「ユウヤ。あなたは、死んだのです。あなたは一度死んで、それから今ここにいる。」

 「死……」


 「ユウヤ」と呼ばれて、それが僕の名前であったことを思い出す。確かにあれは、間違いなく僕が経験したことだ。あの浸かった水が、あの音が、助けようと抱きかかえた腕の感覚が、ついさっきのこととして思い出せる。


 「あなたは川で流されかけているあの女の子を、知恵を尽くし勇気を振り絞り、命を懸けて助けようとした。あたしはそんなあなたの魂を、かけがえのないものとして大切にしたいと思います。」

 「それは……ありがとう?」


 ともすれば無謀とも言える行動だったのだ。それを称賛されてしまうと面映ゆいものがある。


 「勇気と知恵と行動力を持つあなたの魂を、ここで終わりにしてはならない。そう思ったあたしは、あなたを“転生”させることに決めた。」

 「“転生”って……」

 「あなたの魂をそのままに、新しい人間として生まれ変わらせる、って言えばいいのかな。」

 「いや、なんとなくは分かるよ。そういう流行り物の物語には幾つか触れてきたから。」

 「そうだった。便利だねえ現代世界って。」


 再びくすくすと笑う目の前の少女。よく笑う子だ。


 「あなたと、あなたが助けようとしたあの子。あなたたち二人は、新たな世界に新たな人間として転生しました。その身体は、すでにもう『新しいあなた』なの。」


 その言葉と同時に、僕の前の空間に水の「膜」のようなものが現れる。そこには姿見のように僕の“身体”が映っていた。その顔には見覚えがあった。


 「たしかに、僕だな……10歳くらいの頃の。それに、あの子もか。さっき見えた女の子が、もしかして……?」

 「そう、ご明察。さっきあなたがジロジロと裸を見てたあの女の子ね。」

 「見てねーよ!!」


 ここぞとばかりに揶揄からかわれ、心外だとそっぽを向く。




 「……でも、そうか。やっぱり、助けられなかったんだな……」


 僕はあのまま、あの子を助けられずに死んだのか……。その悔しさに、握った拳を爪が食い込むほどに握りしめる。


 「……そんなに、助けたかったんだ。」

 「当たり前だ。僕は、今度こそ助けると誓ったんだ。それなのに! 僕は水害で妹をうしなったんだ。同じ状況で、同じように助けを求める女の子がいた。なんとしても助けたかった。それができなければ、あの時あの子が死んだ意味が、僕だけが生き残った意味が無くなってしまう……!」


 僕が手を伸ばすのを躊躇まよったから……僕が臆病だったばかりに、さくらは死んだ。その後悔を、一日たりとも忘れたことはなかった。そして僕は誓ったのだ。「助けを求める人がいたら、迷わない」と。もう一度、あの時と同じ状況に立たされたのならば。今度こそ、桜を救ってみせると。

 あの状況は、桜を亡くしたあの時に限りなく近いものだった。川の中に取り残された少女、助けを求める声。無茶をしたのは確かだが、無謀だったとまでは思わない。いつ流されてしまうか分からないあの子を、救助が来るまでの間、離さないでおく。本当ならば、何か掴まれるロープや浮きになるものを橋の上から投げ渡して凌がせるのが良かったのだろう。しかし一刻を争う状況で、そういったものを探している余裕はなかった。

 あの判断に悔いは無いが、それでも助けられなかったのならば、僕には最初から、あの子を救う力は無かったのだろう。僕は決して、ヒーローにはなれない。たった一人の女の子を守ることすらできない、無力な人間。妹を見捨てて生き残ったとしても、誰のチカラにもなれない半端者。あそこで死ぬのも、きっと定めだったのだろう。




 「……ユウヤ。」


 ふわりと、頬に温もりを感じた。少女に抱きしめられ、背中をあたたかな腕に包み込まれる。


 「え……ちょっ……!?」


 突然のことに慌てふためく。振りほどこうとするが、彼女は構わず僕を抱きしめ続けた。


 「おねがい。どうか、そんな風に自分を責めないで。」


 優しく、しかし強く。慈しむように、訴えかけるように、ぎゅっと感情の込められた抱擁。


 「あの子はあなたに感謝している。最後の最後に、必死になって、文字通り命を懸けてまで自分を救おうとしてくれたんだよ? そんな相手に、感謝しないはずがない。あなたの妹さんだって、きっとあなたのことを誇りに思っているはず。あなたは、危ない中でも最後まで自分を助けようとしてくれたヒーローなんだもの。」


 彼女の腕の中で、僕はあの子のことを思い出す。兄である僕を信じ、「待つ」と言ってくれたさくら。見ず知らずの僕を頼り身を任せてくれた、名前も知らない少女。


 「……桜……」


 そうだ。

 僕は、僕を信じてくれるあの瞳を、必死にしがみついてくれたあの腕を、何よりも嬉しく思ったのだ。あの子たちの信頼を裏切りたくなかったのは、それが僕にとって何よりも価値があるものだったから。僕が人助けに積極的になったのも、頼られ信頼されることが僕のチカラになったからだ。それが結局上手くいかなかったとしても、僕の尽力に感謝を述べてくれる人はたくさんいた。僕はその言葉が、その気持ちが嬉しくて、無我夢中に動いていただけに過ぎない。

 そう、全ては自分のため。僕が、自分が誰かを助けたかっただけなのだ。時には、僕のせいで余計に悪化させてしまったこともあった。それでも懲りずに反省して改善して、助けを求める人の力になろうとする。それはひとえに、その行為が僕自身のためでもあったからだ。情けは人の為ならず。それこそが、僕の生きる糧になった。

 桜は、そしてあの子は、死の直前に、僕に生きる理由を与えてくれた。あの時、僕は桜を救おうとして救えなかったんじゃない。僕が、僕の方こそが、桜に救われていたのだ。




 「……ありがとう。」


 自然と感謝が口からこぼれた。それは、さくらに向けての言葉だったのか。それとも、最期に心からの信頼をくれたあの子に対してだったのか。はたまた、それに気付かせてくれた、目の前の少女に対してだったのか。


 「ユウヤ……」

 「落ち着いたよ。余計な手間を掛けさせたね。」

 「ううん。」


 少女が頬を赤くして離れる。初対面の女の子に抱きしめられていたのを改めて自覚すると、さすがに恥ずかしい。


 「さすがに抱きしめられるとは思ってなかったから、ちょっと驚いたけどね。」

 「それは……ごめんなさい。」

 「嫌だったわけじゃないよ。久しぶりに、不思議な感覚だった。」

 「そっか。」


 大切なものを見つめるような優しい目の少女。訳もわからず寄せられる優しさと好意に気恥ずかしさこそあれ、そんな風に向けられる視線が嬉しくないわけじゃない。他に兄弟姉妹もおらず、肌が触れ合い誰かの温もりを感じる感覚というのも久々だったものだから、少しドギマギしてもいる。姉がいたらこんな風だったのだろうかと、ふとそんなことも思った。





 しばらく、居心地の悪くない無言が続いた後。僕は、そういえばと改めて口を開いた。


 「ところで、さっき“転生”がどうとか言ってたけど……」

 「そうだったそうだった。」


 忘れていたとばかりに、可憐な死神さまがポンと手を打った。


 「ごめんなさい。まだ何も説明してなかったね。」

 「いやまあ、いいんだけどさ。どうせ話を聞いてもすぐには理解できなそうな気がするし。」

 「ごめんごめん、ちゃんと説明するから。」


 すでに「一度死んだ」身なのだ、僕の知っている常識などこの状況では毛の先ほども役に立たない可能性が高い。この子に説明してもらうまでは、何の判断もできるわけがないのだ。ならばいっそのこと割り切って、のんびりと構えておいた方が良い。




 「あなたたちは、新しい世界に生まれ変わったのです。新しい身体、新しい故郷、新しい名前。……あなたに関しては、何の因果か見た目も名前も以前と同じなのだけれど。」

 「へえ……? たしかにこの見た目は昔の僕そのものだと思うけど。新しい世界ってことは、僕の知ってるあの世界とは全く違うということ?」

 「そうね……ううん、違うな。似ている部分も多いかも。実際に体験すれば分かることだと思う。」

 「ふうん……? まあ、行ってからのお楽しみということか。」

 「そうだね。あたしもまだ勝手が分からないから、そう捉えてくれたら助かるかな。“転生”なんて、させるの初めてだし。」

 「え?」


 今、サラッと聞き捨てならないことが聞こえたような?


 「人間を“転生”させるなんて大仕事、やったことがなかったから。見た目が変わってなかったりするのはそのせいかもしれない。」

 「……今、神さまに対するイメージがガラッと変わった気がするよ。」


 初めてって何だよ、初めてって。


 「今まで、誰かを生まれ変わらせるなんてチカラ、あたしには無かったの。あなたを何とか『続けさせたい』って思って頑張ったら、こうしてあなたが“転生”することになった。だから細かいことまでは説明してあげられなくて。ごめんね。」

 「って、言われてもな……。要するに、神さまの中では君は新人さんってこと?」

 「そんな感じ。実際、もうひとりのあの子については、あたしも知らないの。分かっているのは、他の神様のチカラで転生したということ。そして、ユウヤと同じ世界に転生したってことだけ。今、どこにいるのかも分からないの。」

 「そうか……」


 僕は、さっき見えた白髪の少女の姿を頭の中に描き起こす。細かいところまでは見ていなかったから、ぼんやりとしか思い出せない。


 「どこにいるのか分からないとしても……できれば、会ってみたいな。」

 「会って、どうしたいの?」

 「さあ……でも、幸せに生きていてほしい。僕を信じて、救われなかったんだ。どこかの神さまが生まれ変わらせてくれたんだとしたら、きっとあの子の想いを汲んでくれたんだと思う。今度こそちゃんと報われてほしいし、幸せになってほしい。だから、『どうしたい』と言うのなら、あの子が幸せであるかどうかを確かめたい、かな。……まあ、もし仮に会えたらの話だけど。」


 言ってみて、自分でも少しストーカーっぽいかなと思ったので、ひと言付け足しておく。


 「そっか。……あなたらしいね。」


 その答えを聞いて、死神少女はそう呟いて再び優しげに微笑んだ。


 「なら、あたしもユウヤを見守ることにします。そう簡単に死んでほしくなんかないし、あまり力にはなれないけど、出来る範囲で手助けもする。」

 「助かるけど……いいのかい? 神さまが一人の人間に肩入れするのって。」

 「あたしが“転生”させたんだもん、幸せになってほしいから。それに、あたしが出来ることなんてホント限られてるし。死神さまだよ? そんなに大それたことなんて出来っこないよ。」

 「死神さまって、むしろ凄そうなんだけどなぁ。」

 「そうでもないよ。死神って言ったって、そう簡単に人の生き死にを左右できるわけじゃないもの。」

 「そうは言っても、“死神”だからなぁ。字面が……。それにそもそも、死神さまにいつも見守られてるって余計危なそうというか、いっそ怖い気がしてきたよ。とはいえ……」


 言ってみれば、常に死神に憑かれているようなものだ。すぐ死んでしまいそうで怖いし、仮に僕が平気でも周りでバンバン人が死んでいっても困る。

 しかし。

 僕は改めて、目の前の可憐な少女を見やる。


 「“死神”さま、か。正直、向いてないと思うよ。それを名乗るには、君は優しすぎるんだ。」

 「……そうかな?」

 「そうだよ。これからも死神さまって呼ぶのを躊躇ためらうくらいには。」


 僕を気遣う、優しい手の温かさを思い出す。死神なんて言葉とは正反対の、慈悲深くあたたかい春風のような女神。


 「なら、あたしの名前。ニョッキって呼んでくれたらいいよ。」

 「ニョッキって……パスタの一種の?」

 「そう。美味しいよねニョッキ。おんなじ名前で気に入ってるの。」

 「いやまあ、僕も嫌いじゃないけども。それはそれで呼びづらいなぁ。」


 なんか気が抜ける名前で、余計に死神っぽくないような。でも本人が気に入ってるのなら、口出しすることじゃないか。



 ピシッ。

 目の前の空間に亀裂が入る。


 「じゃあ───ユウヤ。いよいよあなたの目覚めの時。あなたの未来に、どうか幸福があらんことを。」

 「うん。……ありがとう。」


 暗闇の裂け目から、光があふれ出す。


 「言ったように、あたしが直接手助けできることってほとんど無いから。代わりに、あなたの助けになるものをひとつ、預けておくね。」

 「それって……?」

 「ふふっ、見てのお楽しみ。───いってらっしゃい、ユウヤ。」


 優しく、お節介焼きな死神さまに見送られて、僕は新しい人生に旅立つ。

 桜と、あの子と───この子に恥じないように、生きよう。僕はそう、心に決める。

 パリンとガラスの割れるような音がして、僕は、世界の眩しさに目をくらませた。


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或る転生者の目覚め 室太刀 @tambour

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