───ここは、何処だ。僕は……誰だったか。

 人生において、役者でもない限りは誰であれ、およそ言うことはないであろう台詞セリフを口にする。

 夢のような、曖昧で朦朧とした意識の下、ふと、彼の中で疑問が芽生えた。この世界はどのようなところで、いま自分が置かれている状況は何なのか。ふわふわとした感覚は、液体の中に浮かんでいるからだろうか? 周りの全てが流体で満たされているのに、息ができない苦しさというものが無い。

 目を開けると、辺りは暗かった。目に映る光景が、どのような意味を持っているのかを判断できない。音も、耳鳴りのように遠く鳴り止まない連続音がただ聞こえるのみ。……いや。時折、話し声のようなものも聞こえる。


 「……これ以上、無理を続けるべきでは……」

 「……この子たちの為を思うのなら……」

 「……これが、我々の使命ではないのか……」

 「……私は、どうしても納得できない……」


 なにやら言い争いをしているようにも感じられるが、曖昧模糊な意識の中では内容まで頭に入ってこない。どうせ聞こえるのならば、せめて喧嘩などしないでくれたらいいのに。こちらからは何も干渉できず、向こうからも大して影響を与えられることはない、まどろみの世界。

 ふと、胎児とはこういうものなのだろうかと、彼は何ともなしに思った。



 なにもが遠く、この世の全てがゆりかごのような世界の中。

 そんな中でふと、人影が目に映った。


 「──────」


 彼は、声にならない声で何かを呟く。

 彼の目の前に初めて、意味のある存在が姿を現したのだ。“それ”を認識するほどに、その輪郭はしだいにはっきりとカタチを持ち始める。閉じられた瞳、整った顔立ち、白くて長い髪、色素の薄い肌……





 ……ちょっと待て。この子は今、何も着ていないんじゃないか? 手足を抱いて丸まった姿勢ゆえに、見えてはいけないものが見えているわけではないのだけれど。生まれたまま姿とは、まさにこのことなのではなかろうか。




 「あー! いけないんだー。女の子のハダカをまじまじと見ちゃうなんて、やっぱり男の子なんだねぇ。」

 「……うるさいな。別に見たくて見たわけじゃないし……そもそもこんなに年下のちいさい子は守備範囲外だよ。」


 からかうような、非難するような声に、バツが悪くなって目を逸らす。一目見た限りでは、この子は歳が二桁にも満たない子どものように見えた。さすがに十も離れた歳の女の子を相手に変なことを考えたりはしないつもりなのだが。


 「ふぅん。『ちいさい』ねぇ。あたしには、あなたもそんなに変わらない歳に見えるけど?」

 「え?」


 そう言われてみると、自分の身体にも何か違和感がある。身体を動かしてみた時の感覚が、どうにも今までとは違う。


 「な……!」


 気が付いてから自分の身体を見てみて、思わず驚いてしまった。僕の身体が、縮んでいる……? 手も今までより小さいし、腕の肉付きもない。それに、あの子と同じように、丸裸じゃないか!?


 「ふふっ、今さら気が付いたんだ? いろいろと鈍感なところがあるんだね。」

 「っといてくれよ!」

 「くすくす……そのままじゃ気になってゆっくり話せないだろうから、服は着せてあげるね。」


 その“声”が可愛らしく笑うと、いつの間にか僕は病院で着るような白い検査衣のようなものを着せられていた。


 「おお……」


 どうなっているのかは皆目分からないが、何でもいいから真っ裸の状態からは脱することができたのでまずは一安心。イチジクの葉で身体を隠すようなことにならなかっただけマシだ。




 「それで、君は誰? できれば、姿を見せてくれると助かるのだけど。」


 ひと息ついたところで、この“声”の主へと意識を向ける。先ほどから姿が見えず、ただ声だけで揶揄からかってくる相手。不思議と警戒心は掻き立てられないが、胡散臭いことは確かである。


 「おお、やっとあたしのことを聞いてくれた。もしかしたら、あたしにキョーミ無いのかと思っちゃったよ。」

 「正直それどころじゃなかったからね。本当に何もかもが分からない状態だったから……」


 また別の女の子がひとり、僕の目の前に姿を現した。今度の子は、一糸纏わぬ姿ということもない、ちゃんと服を着た普通の女の子である。いや、こんな風にパッといきなり目の前に現れるのだから、普通の女の子であるはずは無いが。着ているものも中世の絵画にでも描かれていそうな小娘ふうのワンピースで、見た目はさながら妖精ニュンペーのよう。年の頃も15、6歳といったところだろうか。


 「ふふふ、初めまして……かな。会えて嬉しいよ。」


 花がほころぶような笑顔で少女は言った。

 こうまで好意全開で笑いかけられては、すげなく接するのも難しい。何か照れくさくて、頬を掻きながら目を逸らしてしまう。


 「えっと……それで、けっきょく君は何者なの?」

 「えー、人に名前を訊ねるなら、まずは自分から名乗るものなんじゃない?」

 「それができないから困ってるんだよ。僕は一体誰なんだろう……」

 「そっか。まあ、混乱してても仕方ないよね。」


 そうひとりごちると、僕の目の前で少女は一回転してみせた。ワンピースの裾がふわりと舞い、可憐な姿につい目を奪われかける。


 「あたしは“死神しにがみ”なの。こう見えて。」


 そして、唇に手を当てて、こそっと秘密を漏らすようにそう言った。


 


 「しに……がみ……!?」


 思いもよらぬ告白に、頭が追い付かない。その言葉を反芻して、数秒経ってからようやく思考が回転し始める。


 「“死神”って、死神……?」

 「そう、死神。」

 「デカい鎌で首を刈ったり、死者の魂を冥界へ連れていく、あの!?」

 「そうそう。……いや、逃げないで大丈夫だからね? あなたを連れて行ったりしないから!」


 ついつい後ずさりしてしまった僕を、彼女はあわてて引き留める。目の前に現れていきなり「死神です」と名乗る相手をただ信用するのも難しい話だとは思うが、この子が少なからず不思議な現象を起こして見せているのも事実。「死神」という突拍子のない物騒な言葉にも、ある程度の真実味を感じてしまっている。肌にうすら寒い感覚を覚えるくらいには。


 「えっと……そんな死神さまが、一体僕に何のご用で……?」

 「用というか……もしかして、ホントに何も気づいてないというか、覚えてないの?」

 「え?」


 がっかりしたような、寂しそうにも見える表情を浮かべるも、小さく首を振って気持ちを切り替えるように真剣な目を向けてくる。




 「ならば、少しだけあなたの“過去”を見せましょう。」


そう言うと、少女は祈るように胸の前で手を組んで何ごとかを呟く。すると……




 ───待ってて! すぐに助けに行くから!!

 ───あなた……は……

 ───目が覚めたか。とにかく掴まってて……!

 ───あ……う……

 ───ゴゴゴゴゴ───ッ!





 「─────────ッ!!?」


 突如、脳裏に流れ込んでくる断片的な記憶。何故か覚えのある……否、の出来事。


 「どう? 思い出した?」

 「あ……あれは……」

 「今あなたが見たのは、夢なんかじゃない。かつて実際にあなたの身に起こった出来事。」


 厳然と、少女は言い放つ。


 「ユウヤ。あなたは、死んだのです。」


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