13・2 浄化は終わったようですが
「リリアナ、リリアナ!」
スプーンの声だ。やけに懐かしい。
目を開く。と、わたくしを覗き込んでいる彼女と目が合った。
「ああ、良かった! 大丈夫? 話せる? 動ける?」
矢継ぎ早の質問。
リリアナ、とナイフとフォークの声もする。
「大丈夫よ」
と答えて半身を起こして気がついた。わたくし、びしょ濡れ。
「エドは?」
スプーンの視線を追うと、彼女とは反対側にわたくしと並ぶようにエドが横たわっていた。目は閉じられているけど表情は穏やか。眠っているみたい。
「エド」
声を掛けながら、泉の中で見たものを思い出す。ずいぶん沢山の過去を見てしまった。しかも最後のものは、エドが『化け物!』と畏怖されているものだった。あのとき感じた張り裂けそうなほどの胸の痛さは、わたくしのものなのか、エドのものなのか。
手を彼に伸ばす。わたくしと同じように濡れそぼったエドの頬はひんやりとしていた。
「そやつはまだ起きられぬ」
クヴェレ様の声。泉を見ると、最初に会ったときと同じように、中心に佇んでいた。周りを精霊たちが飛んでいる。
「病は浄化した。だが途方もない量を溜め込んでいたようでな。かなりの時間がかかってしまった。体力の回復はリリアナ、そなたに任せる。我は疲れた」
「おふたりは」とナイフ。「七日七晩泉に沈んでおったのですぞ」
「そんなにも!」
思わず声を上げ、それからクヴェレ様に頭を下げた。
「お礼の言い様もありません」
「うむ。そなたの謙虚なところは気にいっておる」とクヴェレ様。「疲れて果ててはおるが特別に、屋敷に送ってやろう」
そう言った精霊王はわたくしたちの返事を待たずに杖を振った。きらきらとした光が宙を舞う。
それに気を取られた次の瞬間、わたくしは屋敷の前にいた。エド、カトラリーたちと一緒に。
泉の中で見たものについて、クヴェレ様に伺いそびれてしまった。とはいえクヴェレ様は愛し子の呼びかけに答えるとのことだったから、尋ねる機会はあるだろう。今はエドを回復することが一番だ。
◇◇
『回復にどれだけかかるかわからないから』とカトラリーたちに言われて、温かいお風呂に入れられた。早くエドに目覚めてほしいだろうに。それに魔法無しでのお風呂準備だって、大変だったはず。彼らの優しさはどこから来るのだろう。
やっぱり生み出したエドの本質からではないかな、と思う。
人心地ついたわたくしがエドの寝室に行くと、エドは衣服を変えられていた。カトラリーたちが濡れたままにはしておけないと、着替えさせたのだろう。
それでも起きることはなかったようで、エドは穏やかな顔で静かな寝息を立てている。
体力回復の魔法を何度かけたら目を覚ましてくれかしら。カトラリーたちのためにも、なるべく早くだといい。
彼の枕元に用意された椅子に腰かける。両てのひらをエドに向け、
「『肉体を形作るものもの、空なるそれらに力を満たさん。なみなみて溢れるが如し』」
と呪文を唱える。一番簡単な、初歩レベルの回復魔法。わたくしの体から魔力がするすると滑り出ていく――。
すぐに以前との感覚の違いに気がついた。格段に楽になっている。精霊王の愛し子になった効果なの?
しばしのあと、魔法が消える。いつの間に来たのか精霊たちがわたくしのそばを飛んでいた。
「あなたたち、また力を貸してくれたの?」
答えはない。けれどみんな笑顔みたいだ。
「ありがとう」
と、ひとりの精霊がエドを指さした。
「魔術師様っ!」
カトラリーたちが口々に叫ぶ。
見ればエドが目を開いていた。
「エド!」身を乗り出す。
「……リリアナ?」かすれた声でエドがわたくしの名前を呼んだ。「なんでいるんだ? 夢か?」
「違うわ。あなた、ずっと高熱を出していたのよ。だからカトラリーたちがわたくしを呼んだの」
「……そんな話を聞いたような気がするな」とエド。「そうだ俺、疫病を……」
「そうよ、無茶しすぎよ」
「ごめん」そう言って、エドは起き上がった。「でももう大丈夫だ。普通に元気だ」
「ま、魔術師様ーっ!」
カトラリーたちが一斉にエドに飛びつく。しがみついて、子供のようにわんわん声を上げて泣いている。
「悪い悪い、心配かけたな」
ひとりひとりの頭を優しく撫でるエド。
わたくしの中で様々な感情が、嵐のように吹き荒れている。体が破裂してしまいそうなほどに強烈に。
「エド」椅子から滑り落ちるように床にひざまずき、より近くに寄る。「……わたくしにも!」
「え?」
「わたくしにも、してちょうだいな。とても心配したのよ」
「……ありがとう」
エドがわたくしの頭を丁寧に撫でる。だけれど全然満足ができない。
離れていく彼の手を取り、両手でそっと包んだ。
「リリアナ?」
不思議そうにわたくしを見るふたつの赤い瞳。
「エド。わたくし、あなたが大切だわ」
「そ……そうか。ありがとな」
「好きよ」
「へ?」
エドが間抜けた顔になる。
「今回のことでよくわかったわ。わたくしはエドが好き」
「やったあぁ!」フォークが叫んで飛び上がり、
「これはこれは、良かったですな」とナイフが言う。
「ああ、嬉しいわ」とスプーンがわたくしに抱きつく。
「……だが俺は」エドが目を反らした。
「わたくしのことは好きではなくなってしまった?」
「まさか!」
エドの手を改めて握りなおす。
「わたくしの生は短いの。嫌いでないなら、わたくしを少しでも長くそばにいさせて。今回の恋は大切にしたいの」
「……あの第二王子でなくていいのか」
「エドがいいのよ!」
「そうか」
千年を生きるという魔術師は、ははっと乾いた小さな笑い声を漏らして、立てた膝の間に顔を隠したのだった。
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