12・2 助けてくれるとのことですが

「精霊王様の愛し子?」頭を上げたスプーンが涙声で言う。「それになったらリリアナはどうなるのですか」

「その知識も絶えたのか」クヴェレ様の声は苦々しい。「愛し子は毎朝我に祈りを捧げ、日に一度精霊に葡萄酒を振る舞う。必要があるときは我の声を人々に伝え、我の代わりに人々を動かす」


 なるほど。精霊王に仕える神官といったところかしら。


「我は愛し子の呼びかけに答え、助け、守る」とクヴェレ様が続けた。

 一方的ではなく相互に助け合う関係らしい。そして――

「つまりクヴェレ様はこの制度によりわたくしを、ひいてはエドを助けてくださるのですね」

「制度ではあらぬ。慣習だ。だがそなたの言うとおり」


「リリアナ」スプーンが不安そうにわたくしを見る。「私たちは『愛し子』がなにかを知らなさすぎるわ」

「そうね」友人が安心できるよう、微笑む。「心配してくれてありがとう。だけれどわたくしにはなんの不安もないわ。わたくしが生贄として崖から飛び降りなくて済んだのは、精霊たちのおかげでしょう?」

「我よりも精霊たちを信じるというのか」とクヴェレ様。

「彼らは命の恩人です」


 それにスプーンが迎えに来たとき精霊たちは、誰に頼まれたわけでもないのに、わたくしを起こしてくれた。

「彼らは心優しい精霊だとわたくしは知っている。それで十分よ」

 スプーンに向けてそう言うと、彼女はうなずいた。

「そうね、私も知っていたわ」

「我も心優しい精霊王ぞ」とクヴェレ様。気のせいか、すねたようなお声だ。

「もちろん、そうでしょう」精霊王を見て答える。

「愛し子になるか」

 ふたたび敬意を表し、膝を折り頭を下げた。

「ぜひともお願いいたします」

「よろしい」


 クヴェレ様が水面を滑るように近づいてきた。泉の端で止まる。つい、と杖の先端がわたくしに向けられた。

「リリアナ・バジェットを我、精霊王がひとりクヴェレの愛し子に迎えいれる」

 凛としたお声が止むと、杖から虹色の光があふれ、わたくしを包みこんだ。精霊たちが集まってきて周囲を飛んでいる。


 やがて光が消えると精霊たちも離れていった。

「リリアナ」とクヴェレ様。「左手をご覧」

 言われたとおりにすると、親指に指輪がはまっていた。銀色で細く、まったくつけている感覚がない。

「それは愛し子の証よ」

「ありがとうございます」

「リリアナ、なにか変化はある?」スプーンが訊く。

「いいえ。なにも――いえ、疲れがとれているわ!」

「それは今浴びせた力で、減って不安定になっていたそなたの魔力が安定したからだ。副産物にしか過ぎないが、まあ、良かった」とクヴェレ様。「では早速、魔術師をここへ連れてまいれ」

「はいっ!」スプーンが大声で答える。「精霊王様もリリアナもありがとう!」

「精霊たちも、ありがとう」わたくし。


 これでエドを助けることができる!



 ◇◇



 カトラリーたちと、シーツと急遽切ってきた木で即席の担架を作り、四人でエドを運んだ。わたくしが運搬の魔法を使えればよかったのだけど、ダメだったので人力でがんばった。

 そうやって到着したわたくしたちを見たクヴェレ様は、最初と変わらない泉の中心で立ったままの姿で

「そんな魔法も使えぬのか」と嘆息した。「その程度でよく治癒魔法なぞ使おうと思ったものだ」


 彼の顔のまわりを精霊たちが飛ぶ。

「――ふむ。無知とは恐ろしいものよ。しかしながら光魔法の才はあるのだから、逸材ではあるのだろう」

 クヴェレ様の声しか聞こえないけれど、精霊たちと会話をしているらしい。

「――案ずるな。数百年、いや千年ぶりの愛し子を早死にさせはせぬ。彼女のために魔術師を治してやるから我に任せよ」


「よろしくお願いします」

 わたくしとカトラリーたちの声が重なる。うむと鷹揚にうなずくクヴェレ様。

「では魔術師をこの泉に沈めよ」

「ええっ!」カトラリーたちが叫ぶ。

「沈んだら息が吸えないんじゃないの!?」とフォーク。

「さすがの魔術師様もこの状態では魔法を使えませぬが……」とはナイフ。

「さすがにちょっと怖いわ」スプーンがうろたえた顔をわたくしに向ける。


「我は水の精霊王ぞ」とクヴェレ様がわたくしたちを見渡した。「この――」と手で泉を示す。「我の源で悪しきものを浄化する。それが嫌だと言うても他に方法はない」

「みんな、未知のやり方に驚いてしまっただけよね」カトラリーたちに向けて言う。「エドを入れましょう」

「……そうですな。私としたことが取り乱しました」とナイフ。不安そうな声をしているけど、隣のフォークを見てうなずいている。

「ナイフがそう言うのなら」とフォークも納得したみたいだ。

 スプーンは

「リリアナを信じる」と言ってくれた。


 四人でタイミングを合わせて担架を地面にそっと置く。エドは汗だくで苦しそうな表情だ。彼の額に触れれば、変わらず熱い。早く楽にしてあげたい。


 わたくしはクヴェレ様を見て、

「では失礼します」

 と声をかけて泉の周りに生えている花々の中に分け入った。すぐに足元が水につかり、さらにニ、三歩行くと深さは膝までとなった。

「なにをしている」とクヴェレ様。

 わたくしはみんなの元にもどり、

「わたくしがエドを背負って泉に入るわ。三人で乗せてちょうだい」

 と頼んだ。


「担架で泉に入ればよかろう」とクヴェレ様。

「彼らの体は銀です」と答える。「体を拭くものも持っていません。水に濡れたまま放置したらくすんでしまいます」

「ふむ」とクヴェレ様がうなずく。

「くすむくらい平気よ」スプーンが言う。

「磨けばよいのですぞ」とナイフ。

「そうだよ、リリアナだって風邪をひくかも!」

「今は初夏だもの、大丈夫よ。それにあなたたちはエドだけを沈めるのは心配でしょう? わたくしもちょっと沈んで様子を見てみるわ」

「『ちょっと沈んで』とな。そんな気軽なものではないのだが」クヴェレ様が嘆息する。「まあ、よいか」

「ありがとうございます。では、みんなお願い」

 カトラリーたちに背を向けてしゃがみ、両手も付き出す。


 みんなで協力してなんとかエドを背負う。

 想像以上に重い。つぶれてしまいそうだけど、必死に気力を奮い起こして泉に入る。エドの足を引きずっている。でも我慢してもらうしかない。彼が怪我をしないことだけを祈る。

 全てが終わったら運搬の魔法を絶対に習得するのだ。


 泉はすぐに深くなり、エドが軽くなる。ほっとしたところで、足がもつれて前のめりに倒れた。ばしゃりと顔から泉に突っ込む。

 うっかり水を飲みこみむせ、咳き込んでまた水を飲んでしまう。


 だけどすぐに楽になった。なぜだか呼吸もできるし、目も開いていられる。目前を小さな魚が泳いでいく。

 エドを離して体勢を変えて彼を見る。彼は変わらず苦悶の表情だけど、それは前から。問題はなさそう。


 ほっとして彼の手を握る。

 クヴェレ様のお力を信じて。

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