10・1 屋敷に着きましたが

 汗で髪が張りつき苦悶に歪む赤い顔、浅く早い息、かすかに開いた口から時おり漏れる呻き声。

 ベッドに横たわるエドの様子はいたたまれないものだった。


 ナイフが彼の額の汗を拭いながら、

「時々リリアナの名前を呼ぶのですぞ」と言う。

「エド!」

 手を伸ばし、彼の頬に触れる。火傷しそうなくらいに熱い。エドからの反応はなく目は閉じられたまま。力が入っているようで眉間に深い皺が寄っている。

「いつからこんな状態なの?」

「三日前ですな」

「三日も!」

「最初のころは」とフォーク。「自分で治癒魔法をかけていたんだ」

「だけど追いつかなくなっちゃってね」スプーンが後をつぐ。

「お薬は? 予防薬があるなら特効薬もあるのではないの?」

 ねっとりとして、吐き気を催すほどのアレを思い浮かべる。

「飲ませたけどダメだったのですぞ」とナイフ。エドの額に濡れタオルをのせる。

「そうなの。でも一応、また飲ませてみたら?」

「もうないんだ」フォークが言う。「あと一回ぶんだけあるけど、それは万が一リリアナが感染したとき用」

「作りたくても、もう材料がないのよ」スプーンがため息をつく。

「他に打つ手は?」

「無し」カトラリーたちが声を揃える。


「ほんのたまにだけど」とフォーク。「意識が戻るときがあるから」

「魔術師様から見えるところにいてあげてほしいの」とスプーン。

「少しでも魔術師様の辛さが和らげば……」

 ナイフの語尾が珍しく弱々しい。


 わたくしはベッドに近寄るとエドの腕を取り、夜着の袖をまくりあげた。腕の内側にポツポツと紫色の斑点がある。

「これ、紫水玉病むらさきみずたまびょうよね」

 我が国で猛威を奮っている疫病、紫水玉病。高熱と皮膚の柔らかい部位に出る紫色の斑点が特徴だ。

「どうしてこんなものにエドが」

 人との交流を断っている彼が罹るはずのない病だ。カトラリーたちは黙って顔を見合わせている。

 気にはなるけど、今の問題はそこではない。


「お薬の材料がないというのは、どこかに取りに行けばいいの?」

 カトラリーたちが揃って首を横に振る。

「もう手に入らないんだ」とフォーク。

「次の春までね。ひなぎくの花びらが必要なのよ」

 スプーンの言うとおり、確かにひなぎくの盛りは過ぎている。探せばどこかに咲いてはいるだろうけど、見つけるのは容易ではないだろう。

「それに薬作りの素材は本物でなければなりませんでな」

 ナイフも言葉を継ぐ。


「そうなの」

 と、エドが大きな呻き声をあげた。

「いくら不死でも高熱が続けば脳にダメージがあるかもしれないわ」

「本当ですかな!?」

「魔術師様でも?」

「私たち、人間の病気は知らないのよ!」

 カトラリーたちが悲痛な声を上げる。

「ええ。だから――」彼らの顔を見渡す。「治癒魔法を教えてちょうだい」

「ち、治癒魔法……?」

 カトラリーたちが動揺して顔を見合わせている。


 治癒魔法はエドの話では独立したジャンルで、使い手は五百人にひとり程度とのことだった。カトラリーたちに尋ねても同じ答え。

 だけど思うのだ。治癒は光魔法と一緒なのでは、と。


 植物の育成を助ける魔法。あれは、そのものの命を操っている。呪文にも命との言葉があった。

 植物と人と、形態は違っても、生きているということは同じ。なのに魔法のジャンルが異なるのはおかしくないだろうか。


 そんな疑問をエドにぶつけようとしたり、光魔法を話題に出すと、彼は巧みに話をすり替えて妖精を呼ぶ魔法を私に教えた。


「本当は治癒魔法は光魔法と同じ分野のなのではないの? どうしてわたくしに治癒魔法を教えたくないのかはわからないけど」カトラリーたちをしっかりと見る。「今はエドの危機よ。あなたたちが魔法を使えないのなら、わたくししか彼を助けられない。だからお願い。教えて」

 ふたつが同じジャンルの魔法ならば、わたくしにも使えるはず。たとえ違ったとしても、やってみなければ本当に使えないかはわからない。


「……確かに、同じ分野なのですぞ」とナイフが言う。「光魔法の中に含まれてますな」

「……治癒魔法は」スプーンがおずおずと切り出した。「他の魔法に比べて、使う魔力量が相当に多いらしいの。魔力は使いすぎると、命を落とすこともあるとか」

「……魔術師様はリリアナが光魔法の使い手でないことを確かめたくて、教えたと言っていたよ」フォークが言う。「なのに使えちゃって、ものすごく動揺していた」


「そうなのね。話してくれてありがとう」カトラリーたちに微笑む。「誰かそれが載っている魔法書を持ってきてくれるかしら?」

 自分で探す時間は惜しい。

「……魔術師様はリリアナに治癒魔法を使わせたくないんだ」

「彼ですら治せなかったのですぞ。一度もやったことのないリリアナでは魔力の無駄遣いになるだけではないですかな?」

「取ってくる。ちょっと待っていて」

 フォークとナイフが尻込みする中、スプーンが私の目を見てそう言った。それから仲間を見る。

「まずいことを知られちゃったとは思うけど、リリアナをここまで連れてきたのは私たちだもの。彼女が危険を知った上でやりたいと言うのなら、願いを叶えるべきだわ」


 そして彼女は小走りに部屋を出て行った。

「無茶はしないと約束する」わたくしはナイフとフォークに言う。「無理をして倒れたら、エドと一緒だもの」

「……頼みますぞ。今の魔術師様はリリアナが全てなのです」

 ナイフがエドを見る。

「彼がこうなったのは」とフォーク。「リリアナのためなんだ」

「フォーク!」

 ナイフが叫んだ。

「わたくしのため?」

「そうだよ」


 フォークが答え、ナイフは嘆息した。

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