9・2 夜空の旅ですが

 竜の首には輪にしたロープが掛けられていた。

「しっかりつかまってね」とスプーン。

 前回竜に乗ったときはわたくしのうしろにエドという順番だったけれど、今回はわたくしがスプーンを抱えるような体勢で座る。

「ちょっと長い移動になるけど、眠らないでよ」


 彼女の言葉に思わず苦笑し、おかげで不安と緊張が和らいだ。


「眠りなんてしないわ。怖いもの」

「実は私も」とスプーン。「さあ、竜、出発して!」

 竜の大きな羽がバサリと音を立てて動き、空中に浮かび上がる。

「スプーンも怖いの?」

「当たり前じゃない。竜に乗るのは今回が初めてだもの。ナイフとフォークが恐ろしくて嫌だと言うから、私が迎えに来たのよ」

「ええっ!」


 あっという間に竜は空高く昇る。満月の月明かりのもと、遥か彼方までよく見える。湧き上がる恐怖を、唾と共にゴクリと飲み込む。


「スプーンは乗るの、初めてなの?」

「だってそんな機会はなかったもの。竜が私の言うことを聞いてくれてよかったわ。きっと彼も魔術師様が心配なのね」


 オオオンン!!


 と、竜が咆哮した。

「ちょっと! ダメ!」スプーンが叫ぶ。「人に見られたら大変だから! リリアナが困っちゃうから!」


 ブフゥゥー!!


 と鼻息のような音。確か竜は十日ほどしか存在できないはず。それでもエドを慕う気持ちはあるらしい。谷底に着いてロープから手を離しても大丈夫になったら、たくさん撫でてあげたい。


「それでよく、わたくしの屋敷に来られたわね」

「竜は前に来たことがあるから」

「前?」

「そう。竜自体は変わっていても、記憶は引き継いでいるみたいなの。魔術師様もどうしてそうなっているのか、仕組みはわからないって」


 それは不思議だ。でも今はそれよりも――


「竜はうちに来るのは二度目なの?」

「だってほら、あなたのお父様への手紙。魔術師様が届けたから」

「え? 直接?」

 てっきり魔法で送ったのだと思っていた。そう言うとスプーンは、

「知らない場所にはムリなの」と答えた。「先方に魔法陣があれば可能らしいけどね。魔術師様が世界にただひとりになった今はもう、そんな状況は起こり得ないでしょ」

「そうなの……」


 ではわたくしはエドに手数をかけてしまっていたのだ。なにも知らなかった。エドも一言も言わなかったけど。

 ふうとため息をつく。

 眼下に王宮が見える。


「過去を見るのはどこでも大丈夫なの? エドは城内を見せてくれたわ」

「何度か行っているのよ。生贄はやめろと言いにね」とスプーン。

「そうなの!?」

「大昔のことよ。今のお城ができるよりずっと昔の、前のお城のとき」

 それなら数百年は前のことだ。

「建物は変わっていても座標は変わらないから大丈夫なんですって」とスプーン。「でね、説得は、エドがいくら言っても聞く耳を持たないから諦めて、生贄を逃がす方式にしたの」

「そうだったの」


 エドは攻撃されることを嫌がっているのに、わざわざ王の元に出向いて説得していたのか。優しい人だ。


「ねえ、スプーン」

「はぁい!」

「お父様がエドの病気はわたくしに関係があるかもしれないと言うの」

「……」

 おしゃべりなスプーンが黙ってしまった。ということは、そうなのだ。

「ありがとう。エドに尋ねてみるわね」

「……しばらくはムリね。話せる状態じゃないの。本当のことを言うと、魔術師様が回復するにはだいぶ時間がかかると思う」

「どれほどかかろうと、元気になるまでそばで看病するわ」


 スプーンが振り向いた。


「ありがとう、リリアナ。魔術師様には私たちカトラリーではダメなのよ」

「そんなことはないわ」

「いいえ。私たちは魔術師様に作られた。最初から、彼を慕うようにできているのよ。彼を心配するのも当然のこと。だけどあなたは違うでしょ?」


『最初から』? それが事実かどうかはわたくしにはわからない。だけどカトラリーたちにとってもエドにとっても、悲しい考えだ。


「リリアナ、あなたは」とスプーン。「自分の意思で魔術師様と一緒にいたいと言ってくれた。その思いが魔術師様はどれほど嬉しかったことか。――あのお姿になってからは、初めてだと言っていたわ」


 スプーンが前を向く。


「元の生活に戻ったリリアナを連れ戻すのは、私たちのエゴだとナイフが言っていた。でも少しでも、苦しんでいる魔術師様の助けになればいいと思って。ごめんね」

「もしエゴなのだとしても、わたくしは迎えに来てもらえて喜んでいるから、なんの問題もないわ」

「……あなたなら、そう言ってくれると思った」


 ちょっと悩んでから、スプーンの後頭にちゅっとキスをした。

「あなたたちの誕生についてはよく分からないけど、わたくしはスプーン、ナイフ、フォークが大好き。大切なお友達よ」

「うん。私もリリアナが大好き」

「それとね、疫病が収まったら、その報告を口実にエドに会いに行くつもりだったの」

「そうなの!」声を上げてスプーンが振り向く。

「ええ。都に戻されたことは納得できていないし、エドに伝えたいこともあるの」


 スプーンが再び前を向く。

「魔術師様のことは尊敬しているけど、リリアナに関しては独り善がりだと思う。可哀想なくらいに愚かよ」

 いつも明るいスプーンの声が硬い。


 エド。

 わたくしも、意見をもっと聞いてほしかったと思っている。


「エドが元気になったら、しっかり話し合いたい。スプーンはわたくしを助けてくれる?」

「もちろんよ」

「まずはエドの回復ね」

 早く彼の元に行きたい。



 ◇◇



 竜がエドの屋敷前に降り立ったのは、空が白み始めるころだった。たくさん彼(彼女かもしれないけど)を撫でてお礼を言ってから中に入る。すると奥からバタバタとフォークが駆けてきた。

「リリアナ、よく来てくれたね」

「エドの様子は? 二階?」

「待って」

 階段に向かおうとしたわたくしの腕をスプーンが掴む。

「リリアナ、これ」とフォークが手にしていた木のお椀をわたくしに差し出した。「飲んで。一応ね」


 お椀の中にはねっとりとした泥水のようなものが入っている。


「これは?」

「予防薬。エドの病気がリリアナに感染うつったらいけないから」

感染うつる病気なの?」


 フォークとスプーンが顔を見合わせる。


「会うのは怖い?」スプーンが訊く。

「いいえ。ただエドは、どこから感染うつったのかと思って」

 そう言いながらフォークからお椀を受け取る。そこから嗅いだことのない、不快な臭いが立ち昇っている。

 わたくしは一息にそれを飲み干す。


「これでエドに会ってもいい?」

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