7・2 無事に終わったと思ったのですが

 謁見が終わると、陛下やお父様たちは疫病対策の会議に向かった。部屋に残ったのはわたくしの他にふたりの殿下たち。

 マッフェオ様が

「リリアナは僕が送ろう」とおっしゃってくださった。「兄上はどうぞお休みになってください。彼女を止められなかった後悔でこの二ヶ月、ろくに寝食ができなかったのですものね」

「まあ。本当ですか」

 とてもそうは見えない。ガエターノ殿下は肌艶がよく健康そう。


「ああ、そうだな」

 だけど殿下はそう答え、それからわたくしに近づいてきた。

 抱き寄せられる。

「わかっているだろうな、バカ女」

 耳元で囁かれる声。黙ってうなずく。


 ガエターノ殿下はわたくしを乱暴に突き放した。

「これからどうするつもりだ?」

「父に心配をかけないよう、そばで静かに暮らそうと考えています」

「ふん! いいんじゃないか。親バカ宰相は喜ぶだろう。お前可愛さに、いつも私を責めてばかり。ろくでもない――」

「兄上、失礼が過ぎます」

 マッフェオ殿下の言葉に鼻を鳴らすガエターノ殿下。だけど弟に言葉は返さず、無言で去って行った。


「行こう」とマッフェオ殿下がいざなう。

 謁見室を出て、遠ざかるガエターノ殿下とは逆方向の廊下を進む。

「リリアナ。君が生け贄になる決意をしたのは兄上のせいだろう?」

 殿下が尋ねた。わたくしたちの後ろには護衛がふたりいるけれどマッフェオ殿下専属の従者で、信頼が置ける人たちだ。

「またキツイことを言ったのか、例の男爵令嬢ばかりと会っていたのか。いずれにせよ君を追い詰めるような言動を兄上がしたのだろう?」殿下が言葉を重ねる。


「いいえ。わたくしが勝手に決めたことです」

「となると行方不明の兵士たちのことが問題になる」

 そうだった。自分のことばかりを考えていてうっかりしていたけど、わたくしが城の兵士に送ってもらっているのは不自然だし、問題視されることでもある。


「君がなんと言おうとも、兄上をかばっていることはみなわかっている。責任感の強いリリアナが、母上が頼んだ王妃の代役を途中で投げ出すはずがない」とマッフェオ殿下が言う。「だけど君がすべて自分の責任だと主張する限り、王家に仕える兵士を私的に使ったことは問題になるし、彼らが行方不明の責任を宰相閣下はとらされる」

 

 顔から血の気が下がるのがわかった。


「といっても、これまでの功績を鑑みて辞任程度で済むはずだ」

「わたくし、なにも見えていませんでした」

「君は兄上に首ったけだったからな。――ずいぶん前から父上も母上も婚約を解消したくてたまらなかったんだ。だけど無理にしたら君が自殺でもするのでは、と恐れていたから、君の目が覚めるのを待っていたんだよ」

「そうだったのですか」


 マッフェオ殿下が足を止めて、わたくしの頭を撫でた。


「兄上が、君が愛したかつての優しい男に戻らなくてすまなかったね」

「わたくしが愚かだったのです」

「それは確かだ。だが目覚めてくれてよかった」


 殿下がまたわたくしの頭を撫でる。


「父を待つことはできますか」

「ああ――いや、明日おいで。今日は恐らく深夜までかかる。バジェット公爵が留守にしていた間に状況がまた深刻になってしまってね。僕もこのあと会議に参加するから、君が話したいことがあると伝えておこう」

「ありがとうございます」

「僕も君に伝えたいことがあるんだ。すべて方がついたら聞いてほしい」


 わかりましたと答えるとマッフェオ殿下は微笑んだ。



 ◇◇



 マッフェオ殿下の言ったとおりだった。お父様から『帰れそうにない』との連絡が来た。

 三ヶ月にも及ぶ視察の旅に出ていたお父様。心身ともに相当な負担だっただろうに、ひとり娘が生け贄に志願したと聞いてどれほどショックを受けたことか。わたくしはもうお父様に負担をかけてはいけない――


 そうは思うのだけど。


 メイドが下がり部屋にひとりきりになると窓に寄り、細く開いていたされを大きく開いた。雲の少ない空には半月が浮かび星が瞬いている。この空はエドに繋がっている。


 目をつむり心を落ち着ける。それからゆっくりと呪文を唱えた。

 ふわりふわりと、どこからともなく光の珠が集まってくる。夜に見ると蛍のようだ。だけど光の中にいるのは蜻蛉の羽を持った精霊。彼らを呼ぶ魔法を、予想に反してわたくしはひと月で会得できた。


 外ではけっして魔法を使うなとエドには言われているけれど、さっそく言い付けを破ってしまった。

「教えてほしいの」精霊たちに話しかける。「エドは元気かしら」

 精霊たちはみんな黙ってわたくしを見上げている。

「やっぱり、わからないわよね」


 空は繋がっていても、あの谷底と都とでは距離がある。こんなに小さい精霊が行き来はできないのだろう。もしかしたら魔法で可能なのではなんて、淡く期待をしていたのだけど。


「わたくしね、もらった魔法薬を使わなくても恋心が消えたのよ。エドに伝えたかったのだけど、無理そうね。集まってくれてありがとう」

 さんに置いたグラスをとり、ゆっくり下に向けて傾けながら呪文をとなえる。果実酒が雫となり、精霊たちはそれを抱えると静かに去っていった。


 谷底を発ってから幾日も過ぎていないのに、もうエドに会いたい。

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