8・1 責めるつもりはなかったのですが

 お父様は城に泊まり帰ってこなかった。わたくしがエドの元にいた二ヶ月の間、疫病は更に広がり、一方で根本的な対策は見つからないままなのだそう。あらゆる名医が病気の治療に当たっているけど追い付かないという。

 国全体を不安が覆っているみたいだ。


 マッフェオ殿下から、昼食のときにお父様は時間が取れそうとの連絡が来たので、それに合わせて城を訪れた。

 けれども会議が長引いており、わたくしは小さな控室に通された。王妃様の侍女が話し相手になってくださる。彼女もまた、わたくしの無事を喜んでくれた。エントランスでガエターノ殿下お気に入りのハンナ様に『あんたが死に損なったから疫病がおさまらないじゃない、どうするのよっ』となじれたばかりだったから、とても嬉しい。


 しばらくは視察のお話をしていたけれど、やがて彼女は呼ばれて行ってしまい、わたくしひとりが部屋に残された。


 静かになったところで、お父様より先にガエターノ様に会うべきだっただろうか、と考える。昨晩殿下に手紙を送った。読めば必ず激怒する、そんな内容だ。

 彼を不快にするとわかっている行動をとるなんて、以前のわたくしでは考えられないことだ。だけど今のわたくしが守りたいのはガエターノ様よりお父様。

 あれほど好きだったのに我ながら薄情なものだと思う。


 わたくしは今回のことでガエターノ様を責めるつもりはなかった。だけどどこかで、謝罪してくれることを期待して帰ってきたのだと思う。それが自己保身からのものだとしても、構わなかった。


 勝手に期待しておいて、その期待がうち砕かれたからとがっかりするのは自分勝手だ――。


 突然扉が開き、思考を停止する。部屋に入ってきたのは憤怒の表情をしたガエターノ殿下だった。音高く扉を閉めると大股でやって来て、手にしていた手紙をバシリと卓上に叩きつけた。


「これはどういうことだ!」と殿下、

「書いてあるとおりです」


 立ち上がり、殿下に相対あいたいする。


「ガエターノ殿下がハンナ様のためにわたくしに婚約破棄を宣告したこと、災厄の竜の生け贄になれと命じたこと、暴力をふるったこと。このみっつは口外しません。その代わりに城の兵士を使ったのは殿下の指示だったと明らかにしていただきたいのです」

「貴様」殿下がぷるぷると震えている。「気でも狂ったか」

「いいえ」

「そんなことをしたら私の立場が悪くなるではないか!」

「そうかもしれませんね」


 胸の奥がみしみしと音を立てて軋んでいる錯覚がする。


「『そうかもしれませんね』だと? 愛する私を窮地に陥れるつもりか!」ガエターノ様が悪鬼の形相で叫ぶ。

「殿下を愛していたのは」声が震える。「かつてのことです。それにわたくしが愛していた殿下は十年も昔のガエターノ様です。わたくしはずっと、存在しない幻影を愛していたのです。ようやくそのことに気づきました」


 殿下が手を振り上げる。すぐに頬に激しい衝撃があり、よろめき床に倒れた。涙がこぼれ落ちる。


「今でも殿下に不愉快な思いをさせたくないとは思っています。でも今のわたくしは殿下よりも父を守りたいのです」


 ドスッと肩を蹴られる。

「このようなことをされても、わたくしは殿下には従いません」

「死に損なって、悪魔にでも憑かれたか!」

「死に損なって、目が覚めたのです。今では、あれは愛ではなく盲執だったのではないかと思っています」


 痛む肩をかばいながら立ち上がる。ガエターノ様が恐ろしいものを見るかのような目をわたくしに向けている。


「……私は貴様に従う気はない」

「だとしても、わたくしは陛下にそのように説明します。行方不明の兵士たちは殿下直属の護衛ですし、彼らがわたくしの指示をきくのはおかしい。わたくしの言葉を信じてくださるでしょう」


 そっと叩かれた頬にさわる。ものすごく痛い。


「ガエターノ様はご存知ないようですが、叩かれると腫れてアザになります」

「私がやったとは言うなよ!」

「言わなくても、わたくしがかばうのは殿下だけと誰もが知っております」

「ならば今すぐ治せ!」


 ――これがわたくしの愛した人なのか。

 空しさがこみ上げてくる。どうしてこんな人が、いつかかつての優しい彼に戻ってくれると思い込んでいたのだろう。


 膝を折り、淑女の礼をする。

「失礼します」

「どこへ行く!」

「医師の元へ。治せるかの相談を」

「……転んだと言え」

 もう一度礼をして、扉に向かう。ノブに手を伸ばしたところで、ノック音がした。

「失礼するよ、リリアナ」


 そんな声と共に扉が開く。そこにいたのは陛下だった。後ろには王妃様、お父様、マッフェオ殿下、主だった大臣がいる。

「おや、リリアナ――頬が赤くないか」陛下の視線がガエターノ様に移る。険しくなる表情。「まさか、またガエターノが殴ったのか」


『また』? なぜ前にもあったと知っているの? お父様が話したの?

 お顔を見る。と、お父様は首を横に振って『違う』との答え。


「いえ、私はなにも」しれっと答えるガエターノ様。

「よくもまあ白々しい!」と陛下。「お前の従者が白状したぞ! お前がリリアナに暴力をふるい災厄の竜の生け贄になるよう命じたのだと!」


 ガエターノ様が一瞬にして蒼白になる。

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