7・1 帰ってきましたが

 都に戻るとすぐにお父様とわたくしは陛下の元に馳せ参じた。このときに知ったのだけどお父様はわたくしを迎えにくるとき、辞表を出したらしい。受理は保留にされたそうだけど。


 わたくしたち親子が通されたのは謁見の間で、国王夫妻のほかに一緒に視察に出ていた第二王子のマッフェオ殿下、重鎮たちがいた。そして、顔を強ばらせたガエターノ様も。


 わたくしが入室するのを見たガエターノ様はとてつもない勢いで駆けてきて、わたくしを強く抱きしめた。

「ああ、リリアナ! よくぞ生きていてくれた!」

 それから鼻をすすりあげるような音。

 驚いたことに、わたくしの中に嫌悪感が生じた。


 ガエターノ様の息が耳にかかる。

「余計なことを言うなよ、バカ女!」低く抑えられた声。「そうすれば多少は可愛がってやる」

 以前だったら舞い上がるほどに嬉しく感じただろう言葉に、鳥肌がだった。言葉が出ず、無言で首を縦に振る。

「宰相になにか話したか?」

 今度は横に。

「よしっ」

 嬉しそうな声。

 ガエターノ様はもう、昔のような優しい方には戻らないのだ、となぜだか唐突にわかった。


 彼が離れるとお父様が鋭い目でこちらを凝視しているのが見えた。目が合うと小さく嘆息して、進むようにわたくしを促す。


 帰途の馬車の中でお父様は、わたくしに『魔術師との約束があるからリリアナの意向に従うが』と前置きをしたあとに言った。『本来ならばガエターノ殿下の行為を許してはならぬ。なぜならば、人間性に問題があると世間に知らしめ適切に対処をしておかねば、第二第三の被害者が出るからだ。なによりリリアナが許したことで彼は増長し、よりろくでもない人間になることだろう』


 今、お父様の言葉の重さを感じる。わたくしはずっとガエターノ様を好きで、彼のためにならないことはしたくなかった。でも――。


 もやもやとしているわたくしなんかの元に陛下と王妃様が立ち上がりやって来て、順番に抱きしめてくださる。無事を喜ぶお言葉までいただいた。ガエターノ様に見捨てられたからと、彼の命令を受け入れたわたくしは愚かすぎたのだ。


 お父様がエドに言われた通りの話をして、懐から竜のウロコを出す。

 と、突然お父様のまわりに丸いものがみっつ浮かんだ。拳大の人の頭に七色の鳥の羽が生えている。


「天使だ!」と重臣の誰かが叫ぶ。

「――精霊です」とお父様。「私に竜のウロコをくれたのは彼らです」

 と、ウロコがきらりと光る。

「精霊殿。リリアナ・バジェットを助けてくださり感謝する」と陛下がおっしゃる。


 精霊はしばらくふわふわと飛んでいたけれど、やがてかき消えるように姿を消した。

「キモかった……」ガエターノ殿下の呟きが室内に響く。

「口を慎め」と陛下。「お前の婚約者の恩人だぞ」

「……すみません」と殿下。


「そのことなのですが、陛下」

「ふむ?」

 陛下の傍らに座るガエターノ殿下を見る。そして再び陛下を。

「ガエターノ殿下との婚約を解消していただきたいのです」

「やっと!」わたくしが言い終えるか終えないかのうちに王妃様が声をあげた。「ではすぐに――」

「待て待て」となぜか苦笑気味の陛下。「一応理由を聞こうか」

「死を感じ、ようやく目が覚めたのでございます」

 そう答えたのはわたくしではなくお父様。打ち合わせではすべてわたくしが話すことになっていたのに。

「そのとおりでございます」わたくしは深く頭を下げた。「身勝手な理由で申し訳ありませんが――」

「構わぬ。わしたちもそなたがついにその気になってくれて大変に嬉しい」


 陛下たちはにこにことしている。わたくしたちの婚約はガエターノ殿下からの申し込みで成立した。十年ほど前のことだ。その直前に王宮で出会い、優しい殿下に一目惚れしていたわたくしは、思いもよらぬ幸運に神に感謝したものだった。


 ただ近年は、陛下たちやお父様に婚約解消を強く勧められていた。ガエターノ様は王子としての資質が低いから、と。それなのにわたくしは彼が大好きで、破談を拒否し続けていたのだ。


 ちらりとガエターノ様を見れば、複雑な表情でわたくしをにらんでいた。婚約解消は嬉しいはずだから、きっとわたくしが『余計なこと』を言い出さないかが心配なのだろう。


 愛してもらえないし、信頼もしてくれない。

 ――わたくし、目が覚めたわ。

 心の中でエドにそう話し掛ける。

 きっと彼との穏やかな日々が、ガエターノ様しか見えなくなってしまっていたわたくしを正常に戻したのだ。

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