6・2 なにを言っているのかわからないのですが
「……なにを言っているの?」
エドの真っ赤な瞳がわたくしをひたと見据えている。
「帰るんだ。元の生活に」
「でも! わたくしはずっとエドのそばに――」
「お父上」エドがわたくしから視線を外す。「リリアナは王子を責めたくないらしい。だからそれを許せるのならば、彼女と共に帰るがいい。協力をしてやる」
「エド!」
お父様がわたくしから離れる。怒りを抑えているのか、ぶるぶると震え鬼のような面相になっている。
「あれを許せというのか!」
「ガエターノ様に嫌われてしまったわたくしが悪いの」
「そんなことがあるかっ!」とお父様。「だがそれが条件だというのならば――堪え忍ぼう。リリアナ。帰るぞ」
「でもわたくしは――」
「お父上」エドがわたくしの言葉を遮る。「災厄の竜というものは存在しない」
「まさか!」
いつの間にかエドの手に、大きなウロコが一枚ある。鈍い緑色をしている。
「だがそんなことを言っても誰も信じないだろう。伝説は強固なものになってしまっているからな。だからこれを――」ウロコが宙に浮き、お父様の前に進む。「持って帰り『竜は死んだらしい』と王に言え。そして『竜の死骸を守る精霊がリリアナを助けていた』と。精霊は俺が幻を出してやる。そうすれば皆信じる。二度と生け贄をしようとはしなくなるだろうし、ちょうど良い」
お父様が手を伸ばしウロコを取った。それがキラリと光る。
「――リリアナを送った一行が行方不明になっているのですが」
「盗賊にでも襲われたのではないか」
「そうですか。では陛下にはそのように話しましょう。元より生け贄に反対のお考えを持つ方なので、受け入れてくれるはずです」お父様がわたくしを見る。「リリアナ。陛下も大変に胸を痛めていらっしゃる。生きているとお知りになったら喜ばれるぞ」
「良かったじゃないか」
エドが微笑む。
「エド! わたくしはここにいると決めたのよ!」
「一度決めたら変えてはいけないのか?」
そう言ったエドはまだ笑みを保っている。
「リリアナ。ここは生きている人間の暮らす場所じゃない」
「なにを言っているの? エドだって生きているでしょう?」
「永遠をな。死が無い世界で何百、何千年と過ごすというのは、リリアナの生とは違う。ここではなんの変化もない中で、リリアナだけが年をとっていかなければならないのだ」
「そんなもの、覚悟はしてるわ!」
「俺は、いつかはリリアナを元の世界に帰さなければと思っていたぞ」
エドが呪文を唱える。彼の手の中に茶色い小瓶が現れた。中に液体が入っている。
「惚れ薬の反対のものだ。辛くなったら王子のことを考えながら飲め。恋心が消える」
瓶が宙を飛び、お父様の前のテーブルに着地する。
「わたくしはもう、殿下のことを考えても辛くないわ」
「責めたくないと言っている時点で、リリアナは奴への思いがまだあるんだよ」
「そんなことは――」
「いいからリリアナ」とエドがわたくしの言葉をさえぎる。「スプーンたちに別れを告げて来い」
「いやよ」
「強制的にここを離れたいか? 二度とあいつらに会えないぞ?」
エドをじっと見る。穏やかな顔は変わらない。
本気なのだ。
「とりあえず会ってくるわ」
立ち上がり、部屋を出た。カトラリーたちを探しに屋敷の奥へ行く。
◇◇
一応の別れを済ませ、でもエドに抗議をする気持ちいっぱいで応接室に戻ると、エドの穏やかな表情はますます強固になっていた。
「エド!」
彼は立ち上がるとわたくしの元にやって来て、両手を取った。
「二ヶ月間、楽しかった」
「わたくしも。でもこの先も――」
「お父上を哀しませるのか? 俺はひとり残される気持ちがわかる。リリアナの父上にそんな思いをさせたくない」
「わたくしがいない間に理論武装したのでしょう!」
エドがふはっと笑う。一瞬だけ辛そうな表情になったけれど、すぐに仮面のような穏やかな顔に戻った。
「好きだ、リリアナ。本当のことを言うと、俺は君が俺を置いて死ぬのを見たくない。遺されるのはもう嫌なんだ。それならば今別れて、どこかで君が生きていると思っているほうがずっといい」
「そんな……」
そんなことを言われてしまったら、なんと返していいのかわからない。
「わたくしが生きている間だけでもエドに楽しいと思ってほしかったの」
「もう十分楽しんだ」エドがわたくしの両手の甲に順番にキスをする。「ありがとな。いい思い出ができた。それに――俺にまだ、誰かを好きになれる気持ちがあるとわかって嬉しかったよ」
エドが手を離す。
「お父上、彼女に並べ。崖上に送る」
「エド!」
「名前もありがとう。リリアナ」エドが笑みを深くする。「頼むから目を覚まして、まともな男に惚れろよ。それだけが心配だ」
「わたくし、あなたの呪いをときたいの!」
エドが魔方陣を描きながら呪文を唱える。
「エド!」
目の前で光が爆散。思わず目をつむる。
「お嬢様!」
「旦那様!」
聞きなれたたくさんの声がした。
恐る恐る目をあける。駆け寄ってくる従者たちの姿。
わたくしは崖の上にいた。
「リリアナ」
お父様がわたくしの顔を覗き見ている。
「わたくし……エドを助けたかったの……」
大きな手がわたくしの頭を撫でる。
「良い人だったな」
お父様の胸に飛びこむ。涙が止まらなかった。
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