6・1 人が訪れたのですが
昼下がりにエドの仕事部屋で魔法を習っていると、光の珠がみっつほど窓から入ってきた。以前見たようなふんわりとした動きではなくツバメのような鋭い飛びかた。
「なんだ、また生け贄が来たのか?」
精霊は忙しくエドの顔の周りを飛び回る。
エドは空中に魔方陣を描きながら呪文を唱える。するとすぐに崖上の景色が空中に広がった。
馬車が一台停まっている。どこか見覚えが――
「うちの馬車だわ!」
見覚えもなにも、バジェット家の紋章がついた父の馬車だ。
「どういうこと!?」
見えている景色がぐるりと動く。と、崖際に人が集まっている。父の従者たちや御者が長いロープを腰に巻き付けながら持っている。
「まさか降りているのか!」エドが叫ぶ。「成功率、1パーセントだぞ!」
「きっとお父様だわ! お父様の馬車なの!」
エドが新しい魔方陣を描く。
「待っていろ!」
その言葉が終わらないうちにエドの姿が魔方陣の中に消えた。崖上の光景もなくなっている。
「どうかしましたかな、叫び声が聞こえましたが」
ナイフが扉から顔を出す。
「お父様が崖を降りているみたいなの! 今、エドが向かったわ」
「む。ではお客様がいらっしゃるのですな。ドリンクの準備をしなければ」
「ドリンク……」
ナイフは落ち着いている。危機感はないらしい。きっとエドを信頼しているからだ。
わたくしは息をついた。いつの間にか体がこわばっていた。
「ナイフ、今、果実酒をもらえる? 彼らにお礼をしなくては」
「そうですな。ちょっとお待ちを」
もう一度息をつき、まだ室内を飛んでいる精霊たちに
「知らせてくれて、ありがとう」と礼を言った。
◇◇
すぐにエドが帰ってきた。お父様を連れて、仕事部屋に。わたくしを見て目を丸くするお父様。
「リリアナ!」
「お父様!」
がしっ抱きしめられる。こんなのは子供のときぶり。肩を震わせているお父様に、わたくしも涙がこぼれる。
どうして生け贄になって構わないと思ったのだろうとの後悔が湧き上がる。
しばらくふたりで泣いて、気がつくとわたくしたちは応接間にいた。エドが魔法で移動させたらしい。テーブルにはよく冷えていそうな果実酒の入ったグラスがみっつある。エドにうながされて彼の向かいにお父様と並んですわる。お父様はわたくしの手をしっかりと握って離そうとはしなかった。
「あなた様が災厄の竜から娘をお助けくださったのですね。ありがとうございます」
お父様が深々と頭を下げる。
お父様の説明によると視察先にわたくしが自ら望んで生け贄になったとの知らせが届いたのは、わたくしが竜の元に発ってから二週間も過ぎてからだったそうだ。
贄は崖から飛び降りる。
万が一竜に食べられていなくとも助からない。
お父様は飛んで帰りたい気持ちを押し殺して、予定通りの視察をこなした。
そうして都に帰ってきたところで、書斎の机の上にわたくしからの手紙をみつけたという。
「すまない」とエドが申し訳なさそうに言う。「俺の確認不足だ。リリアナの父上が都にいないとは思わなかった」
「わたくしも伝えなかった気がします」
お父様のことを思うと哀しくなるから、あまり考えないようにしていた。だから話しそびれてしまったのかもしれない。
「手紙を読んで、とにかくリリアナを探さなければとやって来たのだが」とお父様。「麓で災厄の竜は崖下に住んでいるが、そこには魔神も住んでいるらしいという噂を聞いてな」
「魔神!」エドがすっとんきょうな声をあげる。
うなずくお父様。
「リリアナの手がかりがまったくなかったから、それならば魔神に話を伺ってみようと考えたのです。あなた様がその魔神と言われる方なのですね」
「魔神ではないがな。――いや、もう同じようなものか」
「お父様、エドは人よ」
「人ではあるが」とエド。「俺は廃れた魔法を使う、最後の魔術師だ」
「そうでしたか。失礼をしました」とお父様。「とにかくも娘を助けてくださったことは、感謝の念に絶えません」
再び頭を下げるお父様。
「ああ。だがリリアナの父上よ。俺のことを一言でも口外したならば、いかような理由であっても命を取る。人間は魔術師を迫害する。俺は静かに暮らしたい」
「承知いたしました」
エドがわたくしを見てにやりとする。
「さすがリリアナの父上だ。話が早い」
「ですが魔術師様」とお父様。「私はリリアナを連れて帰りたいのです。どうすればお許しいただけますか」
「ん? 俺がここに留めているわけではないぞ。生け贄が帰るとほぼ例外なく、役目をまっとうしなかったことを責められて袋叩きにあう。それに、だ」
エドが過去を見る呪文を唱えた。
「やめて、エド!」
だけどブンッと音がして、あの日の礼拝堂の光景が空中に現れる。そしてガエターノ様がわたくしを詰り、暴力をふるった様子が映し出された。
お父様が息を飲む音が聞こえる。
「だから彼女は帰りたくないんだよ」エドの静かな声。「こんなことをされてもまだ、リリアナはあの愚か者をかばっている」
「ああ、リリアナ。可哀想に!」
再びお父様に抱き寄せられる。
「――でもあのときのケガはエドが治してくれたのよ」
耳元で嗚咽が聞こえる。
「悲しませてばかりでごめんなさい、お父様」
「リリアナ」エドがわたくしの名を呼ぶ。
首を巡らせ彼を見る。
「元の生活に戻れ」
エドは静かにそう言った。
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