3・2 告白されたのですが
魔術師エドは一日のほとんどを、書庫で魔法書を読むか、となりの仕事部屋で魔法を試しているかしているらしい。
千年以上生きている彼が読んでいない魔法書はなく、もう何順目かわからないほど読み込んでいるそう。その目当ては、呪いをとく方法を見つけること。これはと思うものを試したり、自分で新しい魔法を生み出してみたり。
飽きてくると呪いとは関係なく、色々な魔法を試すそう。そうして生み出されたのがカトラリーたちと竜らしい。
カトラリーたちはエドが消さない限り存在し続けるけど、竜は十日で自然に消えてしまうそう。
エドは何十年かに一度、竜に乗って息抜きの空中散歩に行くらしい。その姿をたまたま目撃した人たちにより災厄の竜の伝説が生まれたみたいだ。
これらのことはカトラリーたちから聞いた。彼らは総じておしゃべり好きで、こちらが訊かなくてもエドのことをあれこれと教えてくれる。エド自身は身の上を語るタイプではないのだそうだけど、時たまぽろりとこぼすことがあるらしい。なにしろ千年も一緒にいるのだ。そういうことも起きるだろう。
それでも彼らはエドがどうして呪われたのかは、知らないという。谷底に屋敷を構えている理由も。
◇◇
エドの屋敷はそれほど大きくはない。一階に応接間と食堂、書庫と仕事部屋。二階には数部屋あって、エドとわたくしの私室はここ。
魔法書の勉強を終えて部屋に戻ると、ちょうどスプーンがベッドメイキングをしていた。
「お帰りなさい、リリアナ。魔法書は読ませてもらえた?」
「ええ。でも大誤算」スプーンを手伝いながら答える。「魔法書を読めなかったの」
「まあ」
意気込んで本を開いてみたら、見たことのない文字が並んでいたのだ。
エドは額を叩いて『そうだった、魔法専用文字だった』と言ったのだった。
「そうね、すっかり忘れていたわ」とスプーン。「私たちは生まれながらに読めるのよ。魔術師様がそのように作ったから。それなら諦めたの?」
「いいえ。魔法文字を習うことになったの」
「魔術師様に?」
「ええ。――これからは彼のことをエドと呼ぶわ」
「エド!」スプーンが高い声を上げた。「魔術師様のお名前を初めて知ったわ!」
わたくしは曖昧に微笑む。あのときナイフがいたから、すぐにスプーンもエドが本当の名前を忘れてしまっていたことを知るだろう。でもそれをわたくしの口からは伝えたくなかった。
『名前を忘れた』と言ったときの彼は悲しそうだった。
彼はわたくしに魔法文字を教えるのは気が進まないようで、ちょっとだけ渋った。だけどわたくしが『それならスプーンに頼む』と言うと観念して教授してくれることになったのだ。
寝台を整え終えたスプーンは退出しようとしたけどそれを引き止めて、となりの部屋に移動した。優美な曲線を描く長椅子にそれぞれ座る。
「あなたに相談があるの」
「どうぞどうぞ!」スプーンは楽しそうだ。
「エドがわたくしのことを好きだと言うの」
彼女は体全体でうなずいた。「そうなのよ! あんなに落ち着きのない魔術師様は初めてよ」
「わたくしはそんなことは言われたことがなくて――」
「ええっ」のけぞるスプーン。「婚約者がいたのでしょ?」
「いたけれど『好き』と言われたのは子供のころだけ」
胸がツキンと傷む。昔、ガエターノ様がまだ優しかったときの話だ。
だけど今は彼のことを思い出して落ち込んでいる場合ではない。
「つまり」と話を戻す。「あまり経験がないからわからないの。わたくしはエドの気持ちに応えられないのに、この屋敷にいていいのかしら」
先ほどエドには、『いたい』と答えてしまった。だけどそれはベストの答えだったのだろうか。
「いいに決まっているでしょ」とスプーン。「だって嫌なら、あなたを遠い場所へ送ってしまえばいいのだから。それをしないってことは、ここにいてほしいということ」
「そうなのかしら」
「それに魔術師様は、あなたが快適に過ごせているか、とても気にしているわよ」
「そう」わたくしは部屋を見渡した。
ここだけでなくどこの部屋も清潔に整えられ、衣服も食事も満ち足りている。ほとんどがエドの魔法らしい。
「この上なく快適よ」
スプーンがにこりとする。
「私からもお願いするわ。ぜひここにいてね。永遠を生きる魔術師様に、楽しい思い出を作ってあげてほしいの」
――そうだった。エドは呪われている。
「エドは呪いをときたいから魔術書を読んでいるのよね?」
「そうよ。本当は他の人でない解けないらしいのだけど彼はずっとひとりだから、魔術書になにかヒントがないかを探しているの」
「わたくしでもとけるの?」
「わからない。でも私よりは可能性はある。私たちはカトラリーだもの」
エドはわたくしに呪いのことを話していない。
「彼と話してくる」
「もうそろそろ晩餐よ」
「ええ、でも」
足早に部屋を出て階段に向かう。と、近くの扉が開いてエドが出てきた。いつものローブ姿ではない。洒落た衣服をまとい、髪を後頭部でひとつに結っている。
「どうだ? 都の流行を真似てみた」
「……よく似合っているわ」
ローブ姿のときはわからなかったけど、エドはスタイルがいいらしい。とてもしっくりしている。
「良かった」
エドが微笑む。すごく嬉しそうだ。彼はすっと手を差し出す。
「夕飯を一緒にと思って」
「いいわね。ひとりよりふたりのほうが楽しいもの」
差しのべられた手に手を重ねる。
エスコートされるのなんて、久しぶり。ガエターノ様は何年も前から、してくれなくなった。
なんだか胸の内がほわほわする。
そのまま階段を降り――途中でふと疑問を感じた。
魔術師エド。千年もここに暮らしているみたいだけど、エスコートはとても自然だ。以前は貴族だったのだろうか。
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