八 定め

「そんな……。そんな……。わたしたちのせいで……。わたしのっ……、わたしのせいで……!」

 モモは声をふるわせて言いました。見下ろす先では、変り果てた町の人々がうごめいています。モモたちに向かって宿屋のかべを登ろうとしている鬼もいれば、周りの物を壊したり、鬼同士でなぐり合っている者、そして、いまだ人の姿をとどめている者に、おそいかかっている鬼もいました。その光景のすさまじさに、四人は言葉を失います。

 しかし、やがて五色彦が低い声で言いました。

「みんな……。ここから、逃げなくちゃいけねえ……! モモのせいじゃねえ。こうなったのは……、元はと言えばっ、こいつらが勝手に、おいらたちを悪者あつかいしたからじゃねえかっ! おぞましいのはどっちだってんだ……!」

 赤兵衛も声を落として言いました。

「……たしかに、ここは逃げるのが、かしこい選択というものじゃな。じゃが……」

 ここで小白丸が言いました。彼はその目になみだを浮かべています。

「……五色彦……。きみの怒りは分かる……。ぼくだって歯がゆいし、何より……、悲しい。人間が恐れに飲みこまれて……、我を忘れて、おかしくなるのを見るのが……! けど……、それでもぼくは……」

 彼は言葉につまりました。するとモモはなみだを流しながら小白丸の方を向き、こくりと小さくうなづくと、続いて仲間たち三人に言いました。

「……見捨てられない……。あの人たちを、助けないわけには、いかないの……! どうしても……! どうしても……!」

 小白丸と赤兵衛はだまってうなづきました。五色彦は苦い顔をした後、間もなく大きな声で言いました。

「仕方ねえな、ちくしょうっ! やってやる! けどモモ! あんたが危なくなったら、おいら引きずってでもあんたを逃がすからなっ!」

 モモは静かにほほえみ、それからなみだをふいて、赤兵衛にたずねました。

「青鬼に、なったばっかりの人は……、まだ、もどれるんでしょ……? どうやって戦えばいい?」

「ヒッヒ……! むずかしいことを聞くのう……! 連中を人にもどしたいなら、一応、方法はある。人間を気絶させるようにすればよい。死なぬ程度に頭にガツンと食らわしたり、うまいこと首をしめたりじゃな。ヒッヒ……!」

 五色彦は声を荒らげました。

「そんな手加減してるよゆうがあるのかよ! おいらの炎も活かせねえし!」

 赤兵衛は冷静に言います。

「落ち着くのじゃ。さっきまでの赤鬼に比べれば、一人一人の青鬼はずっと弱い。それにまずまちがいなく、あの桃の種も効くじゃろう。五色彦はモモと組め。こぼれた種を拾い上げるのじゃ。それに影鬼も出ておる。そっちには、ようしゃすることはない」

 五色彦は目にやる気をみなぎらせると、威勢良く言いました。

「へっ! 分かったよ! それじゃあ……、人間様を、救いに行くぜっ!」

 モモも彼らの顔を順番に見つめて、それからはっきりと言いました。

「行こう、みんな!」

 四人は赤兵衛の巻き起こした風に乗って、かべをよじ登ろうとしている青鬼たちの背後に降り立ちました。赤兵衛は赤鬼の物だった槍を逆さにふり回し、小白丸は鬼たちの足にかみついて引きたおします。モモは青鬼に向かって、弓で桃の種を放ちました。

 ヒュドッ!

 鬼の腹に種が当たると、まるで厚く積もったほこりが舞い上がるかのように、鬼の体から青い火の粉が飛び去りました。それから元の人の姿が現れて地面にたおれ、眠ったように動かなくなりました。

「いいぞ、モモっ!」

 五色彦は言いながら転がった種をくちばしで拾い、モモに投げ返します。また、すばやく動き回ったり、加減して火をふいたりして、鬼たちをひるませました。

 宿屋の裏手にいた青鬼たちは次々にモモたちにおそいかかってきましたが、四人は力を合わせて、一匹、また一匹とたおしていきました。間もなく道が開けると、モモは仲間たちに大声で言いました。

「みんなっ! 表の方にっ! 無事な人たちを助けるの!」

 四人は町の表通りへ出ました。そこにはすでに青鬼や影鬼が大勢暴れていて、鬼になっていない人たちは逃げまどったり、あるいは武器を持って必死に抵抗したりしていました。モモたちはいっそう激しく鬼たちと戦います。五色彦と小白丸は影鬼にねらいを定め、炎や牙で猛然と攻撃しました。

 やがて、ようやく鬼たちの数が減ってきたように思われた、その時でした。通りの向こうから、何か大きなものが、ゆっくりと姿を現したのです。

 それは二階建ての建物ほどの大きさの、黒く巨大な鬼でした。それは歩きながら他の鬼や人間をわしづかみにして、口を恐ろしく大きく開き、次々と丸のみにしていました。そうして鬼や人を食らうたびに、巨大な黒鬼の体は、さらに少しずつ大きくなっているのです。

 間もなくその大鬼はモモたちの方に向かって、地をふみ鳴らして歩いてきました。その目には、紫色の炎が燃えています。

 モモたちは言葉を失い、立ちつくしました。しかしそんな中、五色彦はすぐに自分をふるい立たせ、自分よりもはるかに巨大な相手に向かって突進していきました。

「食らえっ!」

 五色彦は敵を目がけて、大きな火の玉をふき出しました。が、大鬼は口をすぼめてものすごい勢いで息をはき、五色彦の火の玉をかき消してしまいました。

 ズドッ!

 次の瞬間、モモが放った鉄の矢が、大鬼の胸に命中しました。けれども大鬼は、びくともせずに前進してきます。続いて小白丸と五色彦が飛びかかったものの、巨大なこぶしで一撃の下にたたき落とされてしまいました。

「小白丸っ! 五色彦っ!」

 モモはさけびましたが、彼らの反応はありません。彼女は歯を食いしばって考えます。

(桃の種を当てるしかない……! けど、もし外したり、はね返されたりしたら……、きっとそこで、すべてが終わりに……)

 大鬼はたおれた小白丸たちには構わず、ゆっくりとモモの方に近づいてきます。その時、赤兵衛がモモの前に飛び出してさけびました。

「モモっ! わしが食い止めるっ! おぬしは思った通りにやるのじゃっ!」

 彼はつむじ風を身にまとって、槍を構えました。が、次の瞬間、大鬼はそばの家の屋根をその大きな手でひとなですると、屋根のかわらを根こそぎ取って、それをモモと赤兵衛に向かって投げつけたのです。

「ぬぅっ……! モモっ……!」

 赤兵衛はモモにおおいかぶさるようにして、彼女をかばいました。風の術ではかわらを防ぎきれず、彼はひどく痛めつけられ、モモの目の前にたおれました。

「赤兵衛っ……!」

 と、その時、大鬼が横からなぐりつけるようにして、モモの体をわしづかみにしました。彼女が持っていた弓も桃の種も、遠くに弾き飛ばされてしまいました。

「いっ……、うぁあああっ……!」

 大鬼がモモの体を、万力のようにしめつけました。彼女は手も足も動かせません。体中の骨が、いやな音を立てて次々と折れていきます。鬼はゆっくりとモモを持ち上げると、その口を狼のように変化させ、恐ろしいほど大きく開きました。モモは、死を覚悟します。

(……食われる……。これで、何もかも、おしまいだ……。失敗だったんだ……。お母さんの言いつけは守れない……。小白丸も五色彦も赤兵衛もやられちゃった。町はめちゃくちゃ。これからこの鬼が、元にもどった人も、残りの鬼も、全部食べてしまう……。それもみんな、わたしのせいで……! 人を助けるどころじゃない……。できなかった……! わたしにはできなかった……! まちがいだったんだ……! わたしみたいなのが、人助けなんて考えたのが、まちがいだったんだっ……!)

 モモは泣きました。彼女を飲みこもうとしている大鬼の頭も、地上でたおれたままの小白丸と五色彦、赤兵衛の姿も、なみだでかすんで分からなくなろうという、ちょうどその時でした。

 赤兵衛が苦しそうに身をよじり、大鬼の足元であおむけになると、息も絶え絶えに口を開いたのです。

「……モモ、よ……。恐れては……、ならぬ……」

 モモは、はっとしました。

(……恐れてはいけない……。赤兵衛はずっと言ってた。お母さんも、言ってた。恐れてはだめ、って……。それから……、そう。お母さんは、こう言ってた。『笑って』、って……。『きっとこれも、定めだから』、って……)

 大鬼の口は、もうすぐそこまでせまっています。が、モモは考えていました。

(……定め……。決まっていること……? 決まっているの……? わたしが桃の力で生まれたことも……、旅に出たことも、戦うことも……。小白丸、赤兵衛、五色彦に出会ったことも……、この世に、鬼が存在することも……。今こうして、どうにもならずに苦しんでいることも……。『定め』……。そう……、か……。決められている……。なら……、そうだよ……。失敗も、まちがいもない……。他と比べることもない。だって、これ一つなんだから……。ここには……。わたしには……! この定め一つしか、ないんだから!」

 モモは、小さく笑いました。そして彼女は歯を食いしばって、全身にありったけの力をこめました。

「うぐぅぁああーー!」

 その時です。モモの体が白くかがやき、そのままみるみる、大きくなったのです。

「うガァッ!」

 あおむけのまま見ていた赤兵衛は、目をうたがいました。モモの体が、巨大なヒグマに変わったのです。

 次の瞬間、モモをつかんでいた大鬼の手は弾き飛ばされました。ヒグマは赤兵衛のすぐそばに四本足で降り立ち、地面をゆらした後、後ろ足で立ち上がりました。大鬼にこそとどかないものの、おどろくほどの巨体です。

「グオオオオーーン!」

 ヒグマが、いいえ、モモが大声でほえました。大鬼はたじろぎながらも、すぐにふたたび、モモにつかみかかろうとします。

 ズバッ!

 モモは鬼の腕をかわしてふところに入りこみ、ヒグマの恐ろしい鎌のような爪で、鬼の胴を引きさきました。大鬼の体はのけぞり、後ずさりしました。血を流すことはなく、声も上げませんが、苦しそうな、あるいは追いつめられたような表情をしています。

 なんと次の瞬間、大鬼は小さな黒っぽい雉に変身して、モモに背を向け、ものすごい速さで走って逃げ出したのです。が、それを見たモモは、ヒグマの姿から、光とともに鷹の姿へと変身し、飛んでその雉を追いかけました。

 通りを走り、時々羽ばたいてとびはねながら逃げていた大鬼の雉は、鷹になったモモに追いつかれそうになると、今度は鯉に姿を変えて川に飛びこみました。するとモモは鵜の鳥に変身し、川の中を逃げる鬼を目がけて、上空から急降下をくり返しました。

 鬼の鯉は流れにそって泳ぎながら身をかわしていましたが、やがてさらに大ワシに変化し、海に向かって飛んでいきました。モモはハヤブサになってそれを追います。

 一方その時、たおれていたモモの仲間たちは、なんとか体を起こして、三人で一か所に集まっていました。小白丸が向こうの空に向けて、鼻を動かして言います。

「……あれは……、ひょっとしてっ! あの大鬼と、モモっ?」

 赤兵衛が笑って答えます。

「ヒッヒッヒ……! その通り。モモが変化の力に目覚めたのじゃ! 獣の声が分かるというのが、こういうことにつながるとはのう……! ちなみに、逃げる大ワシがあの大鬼、追うハヤブサの方がモモじゃ」

 五色彦がおどろきました。

「追いかけてんのがモモっ? ってことは、もう勝負は着いたってことか?」

 赤兵衛は声を落として言いました。

「どちらが強いかははっきり決まった。じゃがあの鬼を逃がせば、他の場所に移って人をおそうじゃろう。モモもそう考えておる。それにあの子は……、大鬼に食われた人々を、どうにかして助けようとしておる」

「まだ、助けられるのっ?」

 小白丸がたずねました。すると赤兵衛は、あの桃の種を持ち上げて言いました。大鬼に弾き飛ばされたのを、見つけて拾ったのです。

「……この桃の種なら、あるいは……」

 五色彦が声を上げました。

「こうしちゃいられねえっ! すぐにそいつをモモに届けねえと!」

 しかし小白丸は悲痛な表情で言いました。

「けど、どうやって……! 鬼もモモも、あんなに高い所をものすごい速さで飛び回ってるんだぞ? きみは飛べないし、ぼくだってふわふわとしか飛べない。モモに降りてきてもらうにしても、受け取ってるうちに、鬼は逃げてしまう……! しかも鳥の姿のままじゃ、それを鬼に投げつけることもできないんじゃないかっ?」

 三人とも困ったようにうなりました。赤兵衛が言います。

「考えるっ! その間に、モモを追いかけるのじゃ! 二人ともまだ動けるじゃろうなっ? 残りの鬼どももたおしながら行くぞ!」

「へっ! 上等だぜ!」

「ああ! 行こうっ! 待っててくれよ、モモっ……!」

 五色彦と小白丸も言いました。こうして三人は傷だらけの体のまま、鬼たちを蹴散らしつつ、海の方へと向かっていったのです。


 海の入り江の上空では、大鬼の変化した大ワシと、モモの変化したハヤブサが飛び回っていました。モモの方が速さで上回り、鬼に追いつくことはできるものの、彼女が飛びかかろうとすると、大ワシは激しく抵抗します。するとモモは力で負けてしまい、鬼に逃げられて、ふたたび追いかけることになるのでした。

(これじゃあ、たおせない……。そのうちに逃げられちゃう……! そうなったら……!)

 その時でした。海岸に赤兵衛たちがやってきたのです。モモは飛びながら、赤兵衛がモモの弓と、それからあの桃の種を持っているのを、そのハヤブサの目でみとめました。

(みんなっ……! 良かった……、なんとか無事で……! あの種と弓……。あれを受け取ることができれば……。でも、わたしがあそこまで降りていく間に、鬼に逃げられちゃう……! どうすれば……!)

 その時、海岸の砂浜では、五色彦が赤兵衛に問いつめていました。

「それでっ? 赤兵衛っ、何か思いついたのかよっ?」

「ぬう……。人任せにしおって……」

 赤兵衛は歯ぎしりをしました。小白丸はモモたちを見上げながら、五色彦に言います。

「きみがあのくらい飛べれば良かったのに……!」

「グヌヌ……! 仕方ねえだろっ! おいらだってそうしてえさ! ここに来るまでにも、ためしたさっ! けどできねえもんは……」

「そうじゃっ!」

 赤兵衛がさけびました。他の二人はぴたりと止まります。

「五色彦っ! おぬし、飛べ! いいや、飛ばすっ! わしと小白丸がなっ!」

 そう言うと彼は、海岸にとまっている、帆のたたまれた小ぶりの船を指差しました。

「あの船の帆げたっ……、そのっ、帆柱の上の横棒じゃっ! あれを外せっ! ほれ早くっ!」

 小白丸たちは疑問を浮かべつつも、すぐに赤兵衛の言う通りにしました。その棒はかなり長く、大人の歩幅二十歩分近くありました。三人でそれを砂浜に下ろすと、赤兵衛はその端を小白丸にくわえさせ、もう片方の端に五色彦を座らせました。そして五色彦の口に、モモの弓と種をくわえさせたのです。五色彦が声を上げようとすると、赤兵衛が二人に言いました。

「作戦はこうじゃ! 鬼とモモがわしらの上を飛んできたらな、小白丸っ、この棒を、思いきり縦に回すんじゃ! ふりかぶった釣りざおを、前に向かってふるようにじゃぞっ。わしも手伝うっ。すると反対側にいる五色彦は、ものすごい速さではね上がることになる! 五色彦っ、おぬしは棒が縦になる直前に、棒を蹴って飛び出すんじゃ! わしも風を起こして助けるっ。そうすりゃおぬしは飛べるっ! 弓と種を、モモにわたすんじゃ! 棒をふる合図はわしが出す。が、飛び立つのは五色彦、おぬしの勘がたよりじゃ! 一瞬のずれも許されぬぞ!」

 小白丸と五色彦は目を丸くして何か言いたそうにしましたが、二人ともすでに口をふさがれているので言えません。けれどもすぐにその目に、やる気の炎が燃えたようでした。赤兵衛も腰を落として棒を持ち、空を見上げて時を待ちます。

 モモは相変わらずワシになった大鬼を追い回して、入り江の上空を飛ぶことしかできずにいました。やがて仲間たちが地上で何かしようとしていることは分かったものの、彼らは棒の周りでじっとしているだけのように見えます。モモは口おしく思いながら、全速力でまっすぐ鬼を追いかけました。

 間もなく、大鬼が赤兵衛たちの真上を通りすぎ、続けてモモが飛んでこようという、その瞬間でした。

「今じゃっ!」

 赤兵衛がさけびました。小白丸はそのあごでがっちりとくわえた棒を、ものすごい勢いで体をひねって回しました。反対側の五色彦は、さらにその何倍もの速さではね上がります。次の瞬間、五色彦は棒をつかんでいた足を蹴りはなしました。同時に赤兵衛から風が巻き上がります。

 五色彦は、空に飛び出しました。ハヤブサになったモモに勝るとも劣らない速さで、彼はぐんぐん舞い上がっていきます。角度は申し分なしです。モモの方からは、五色彦が少しずつ上がって近づいてくるように見えました。

(持ってきてくれたんだ……! みんなで、弓と種を……! なら後は……、どうすればいいのか分かる……!)

 間もなく、モモの先を行く五色彦の速さが、少しばかり落ち始めた時でした。モモは彼との距離をつめ、彼のすぐ近くで、飛びながら変身を解きました。続いて五色彦の口から弓と種をすばやく手に取ると、彼女は高速で宙に投げ出されたまま、前方を逃げる大鬼に向けて弓を構えました。

「モモっ! やっちまえっ!」

 五色彦がさけぶのと同時でした。落下し始めたモモの、その手に固くにぎりしめた白木の弓から、神の桃の種が放たれたのです。

(当たるっ――!)

 ズドンッ!

 種は逃げる大ワシにまたたく間に追いつき、見事その体に命中しました。

「やったぜっ! やったぞモモっ!」

 五色彦が、共に宙を落ちつつあるモモに向かってさけぶや否やのことでした。ワシは元の大鬼の体にもどり、続けて一気に、弾け飛んだのです。

 見れば、弾けたかたまりは、何人もの町の人たちでした。彼らは意識を失ったまま、次々と海の中に落ちていきます。モモはあわてて言いました。

「大変っ……! すぐに助けなきゃっ……! 五色彦っ、わたし行くねっ!」

「えっ……! ちょっと、モモっ!」

 五色彦はとまどいましたが、モモは光って灰色のイルカに姿を変えると、真下の海に向かって飛びこんでいったのです。


 イルカになったモモと、船に乗ってやってきた赤兵衛、小白丸の懸命の救助で、海に落ちた町の人々は、全員浜辺へと上げられました。みんなぐったりしてはいますが、息があり、意識も取りもどしつつあるようです。モモも波打ちぎわで変身を解いて砂浜に上がると、冷たい海の水をしたたらせながらも、大きく安心のため息をつきました。

(ふぅ……、良かった……。みんな無事で……。この海の神様も助けてくれたのかもしれない……。町の残った鬼たちも、赤兵衛たちが退治してくれたみたいだし……)

 と、ここでモモは、はっと気づきました。

「あっ! いけないっ……! あの種はっ? 桃の種っ! お母さんのっ……!」

 モモは真っ青になって海をふり返りました。大鬼に命中させて、種はその体にめりこんだ後、鬼が弾けたのといっしょに、この広い海のどこかに飛んで落ちたにちがいありません。モモはくずれ落ちそうになりました。その時です。

「おおーいっ! 見ろよ! おいら、飛べてるぜっ!」

 モモたちが声のした方を見ると、五色彦が羽を広げて、円を描きながら海の上をゆっくりと降りてきていました。しかし見ていると、彼がちょっと羽ばたこうとしようものなら、上昇するどころかすぐに宙を落ちかけてしまっているようでした。

 モモは苦笑いをしました。赤兵衛は小声で言います。

「ヒッヒ……! ありゃあ落ちとるだけじゃ」

 けれども小白丸は笑って言いました。

「あははっ。ま、いいんじゃないか? 初めの一歩だよ。おおーいっ! 五色彦っ! しっかり感覚、つかんどけよ! 一人だけ人命救助もしてなかったんだからな!」

「おいらぁ、見張ってたんだよ! 種がどっか、流されちまわねえようにな!」

 これを聞いて、モモは目を見開きました。ちょうどその時、五色彦の体はぐらついてそのまま海に落ちてしまい、彼はじたばたともがきました。モモはすぐにハヤブサに変化し、彼の所に飛んでいきます。

「わっぷ……! モモっ、すげえやっ。もうお手の物だな……! ほら、桃の種は、そこっ。弓はあっちに、浮かんでるぜっ……!」

 五色彦はおぼれかけながらモモに言いました。モモは彼のそばまで来て変身を解き、水に入って彼の体と桃の種をつかんで、こう言いました。

「はぁあ、良かった~……! ありがとう五色彦……! ありがとうね……!」

 それからモモはふたたびハヤブサになると、五色彦を足でつかみ、弓も拾い上げて、浜にいる他の仲間の下へともどったのです。

 しかし、その時砂浜では、町の人々が起き上がり始めていました。彼らはモモの変身を目の当たりにし、また、朝日の中で改めて傷だらけの小白丸や赤兵衛の姿を見て、なおのこと四人を気味悪がっていました。町の方からも人々が集まってきていて、ざわつき始めています。

 モモたちは一か所に集まり、だまって人々に向かい合っていました。モモは町の人々を見て思います。

(……同じだ……。同じ……。あの、恐ろしいものを見るような目……。無我夢中だったけど、わたし、あんな風に変身までしちゃって……。もう、人間だ、なんて言っても、説得力、ないよね……)

 彼女はここで、一度深呼吸をすると、人々に向かって淡々と言いました。

「あの、ごめいわくをかけてしまってすみません。信じてもらえないかもしれないけど、わたしたち、赤鬼のサエギリとフサギを退治してたんです。もう鬼はいません。どうかこれからは、安心して暮らしてください」

 町の人たちはどよめきの声を上げました。モモは続けて、その中にいた宿屋の夫婦を見つけて言いました。

「宿屋のおかみさん、だんなさん。泊めてくださって、ありがとうございました。荷物を取りに行ったら……、わたしたち、もう行きます。お金は、はらえないんですけど、代わりに何か、置いていきます。ごめんなさい」

 人々から、安心したような声がもれました。モモは悲しみを押し殺して、町の方に体を向けました。小白丸が声をかけます。

「モモ……。いいのかい? ぼくたちのことなら、気にしなくていいんだよ? その、きみは……」

 モモは静かにほほえんで、こう答えます。

「……いいの。決めたから。……ううん……、決められてるの。ね、行こっ」

 小白丸たち三人は、切なそうにモモを見つめました。その時。

「あんたっ……!」

 宿屋のおかみが、一歩前に出て、モモに言いました。周りの人たちはざわめきます。

「あんた……、その……。ごめんよ……。宿代なんて、いらないからっ。その……、ありがとう……」

 モモはだまって、切なげなほほえみで答えました。それから四人は町に向かって、浜辺を上がっていったのです。


「で、これからどうするよ?」

 町の通りを歩きながら、五色彦が言いました。小白丸も赤兵衛も答えずにいると、モモがためらいがちに言いました。

「……都にでも、行ってみる? ……思ったんだけど、ね。今のこの国って、人が多ければ多いほど、その周りには鬼や妖怪がいるんじゃないか、って気がするの。だから……」

 小白丸はうなづいて言いました。

「なるほどな。それに、都のフジ家ってのが、何をしてるのか、いやむしろ、なんにもしてないのかってのも、見定めてやりたいね」

「ヒッヒ……! 都か。何百年ぶりかのう。遠いぞ? わしらのこの歩みじゃ、何か月もかかろう」

 赤兵衛がにやけながら言いました。けれども五色彦は鼻息を荒くして言います。

「へっ、上等だぜっ! なっ、モモっ? とりあえずそれまでは、変わらず鬼退治の旅ってわけか?」

「……うん。それでいいかな、みんな……」

 モモは遠慮気味に三人にたずねました。小白丸、赤兵衛、五色彦は、彼女を見つめて、深くうなづきました。

「……ありがとう、みんな。また、よろしくね」

 と、モモが言った時でした。一軒の家の庭に、満開の花を咲かせた木が生えていたのです。

「わぁ、すてき……! 今まで気づかなかった……! きれいな桜……!」

 モモが感動の声を上げました。四人とも足を止めて、その木を見上げます。赤兵衛はほくそえんで言いました。

「ヒッヒッヒ……! 桃じゃよ、これは」

「えっ、あっ……」

 モモは顔を赤らめました。赤兵衛は続けて言います。

「もちろん、まずふつうの桃の木じゃがな。じゃが……、見事じゃのう。夏になれば、実を付けるのかもしれんの」

 小白丸と五色彦も、その濃い桃色の花の美しさに、目をうばわれていました。モモは改めて桃の木を見つめて、こう思いました。

(……夏かぁ……。そのころには、わたしはどこで、どうしてるのかな……)

 ここで彼女は仲間たちに視線を移して、それからもう一度、桃の木を見つめました。

(……この先どうなるかなんて、分からない……。けど……。恐れてはだめ。お母さん……、わたしはもう、恐れたりしないよ。これは……、定めだから)

 モモは小さく笑い、仲間たちに声をかけました。

「じゃ、そろそろ行こうか」

 こうして、犬神明神の小白丸、狒狒の赤兵衛、朱雀の子、五色彦、そして桃の力で生まれた少女モモは、春の朝の陽の光の中、ふたたび歩きだしたのです。

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モモノモノガタリ 星本翔 @Shohei_HOSHIMOTO

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