「理人」視点:群衆の狂気

 伊緒が目を覚ましてすぐ、結を追いかけようと、中庭から校舎に入った直後だった。

 外のグラウンドの方から、叫び声が聞こえてきたんだ。

 結を追いかけた方がいいと思ったんだけど、どうにも気になってしまって、様子を見にきた俺と伊緒は、あまりにひどい光景に言葉を失った。


「どけよ、ここは俺がとっておいた場所だぞ!」

「さっきから汗臭いのよ、近寄らないで!」

「おい、ライブまだかよ! こんなに暑いなか待たせやがって!」

「足踏まないでよ!」


 ミーのライブを見にきていた人たちが、一斉に罵り合いをはじめたのだ。

 怒鳴っている人、泣いている人、今にも暴れ出しそうな人。

 見るに堪えない喧騒が、あちこちで起こっている。


「何だよ、これ」

 俺が呆然と呟くと、伊緒が意を決したように人ごみの中に歩きだした。

「あの、先輩何かあったんですか?」

 伊緒が話しかけたのは、美術部の、結の先輩だった。

「あ、六郷くん! それが、急にみんなが険悪な雰囲気になっちゃって」

「キャー! 伊緒先輩!」

「え?」

 会話を遮るように、黄色い声が聞こえた。

 声の主は、剣道部の一年生の女子だった。

「私とは一緒に帰ってくれないのに、その先輩とは仲良くするんですか? ズルイですっ!」

「はあ?」

 思わず大声をあげてしまった俺を押し退けて、一年女子は、伊緒の方へとつかつかと近寄っていき、またしても予想外に、伊緒ではなく美術部の先輩に食ってかかった。

「あなた、誰なんですか? 伊緒先輩の彼女ですか?」

「ち、ちがうけど」

「じゃあ近づかないでください!」

 だめだ、見てられない。なんとか宥めないと。

「おい、やめろって」

 肩をつかんで、無理やり伊緒と先輩から引きはがしたが、一年生はいやいやをするように抵抗してくる。

「いやです! やめません! だいたい、いつも伊緒先輩を独り占めしてるのは、理人先輩じゃないですか!」

「え、俺?」

「そうですよ! いつもいつもべったりくっついて!」

 くるっとむきを変えて、人差し指をたてて俺の胸に突き刺してくる。美術部の先輩から標的が俺に移ったようだ。

「理人、明らかにおかしいよ。これ」

 伊緒が一年生を無視して、声をかけてきた。

「これ、ミーの支配じゃないのか?」

「これが?」

 なおも俺の胸元で罵声を上げ続ける一年生を、観察してみる。

 確かに、普段はもっと大人しいし、優しい子だったと思う。

 少なくとも三年生の、部活も違う先輩に食って掛かるような子じゃないと思う。

 何より、さっきまで支配の力に自我を奪われていた伊緒が言うんだ。きっとそうなんだろう。


「じゃあ――」


 ふと、校舎の上を見てみると、そこに見えたのは、予想を超えた非常事態だった。


「ゆ、結?!」


 校舎の上空には、ミーとユウが対峙するように、向かい合って浮いていた。

 そしてもう一人。まるでミーに、人質にでもされるみたいに、ミーの指先に浮いている、脱力した女子生徒。

 間違いなく、結だった。

 

「大変だ……!」

 伊緒が呟いて、俺の腕をつかんだ。

「行こう、理人! 助けないと」

「伊緒……ありがとう!」

 伊緒の目は真剣だった。嘘じゃない。本当に、結を心配している目だった。

 結が、伊緒に、自分のことが嫌いなんだろうと言っていたけど、もしかしたら、本当に嫌いなのかもしれないけど、それでも、今の伊緒は本当に結を心配している。

 それが、不謹慎だけど、嬉しかった。

「行こう!」

 走りだそうとした俺たちの腕を、誰かが掴んだ。

「行かせませんよ……先輩」

 振り向くと、騒いでいた人たちが一斉にこっちを見て、今にも襲ってきそうな目で見ていた。

 ゾンビ映画のような光景に、全身が総毛立った。

 

 ふと心配になって、目線だけで美術部の生徒たちを探すと、彼女たちは怯えた顔で、人ごみから離れていた。

 きっと、ユウとの友情が、ユウへの友愛の気持ちが、彼女たちを支配から守ってるんだ。


 希望はある。

 この人たちだって、支配の力がなかったら、こんな風になってないんだ。

 さっきの伊緒と一緒だ。

 

 とにかく、逃げないと。


 俺は、伊緒に目配せをすると、自分の腕を握っている手を振りほどいて、伊緒と同時に走り出した。

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