「支配」の圧倒

 ユウは、光学迷彩をといて、中庭に降り立った。

「伊緒!」

 わたしたちが止めるのも聞かず、理人君が駆け出した。

 伊緒君は、ずっと、ずっとわたしを睨んでる。

 怖い。

「待て、理人、様子がおかしいよ!」

 セナが、理人君を呼び止めようと一歩前に出た。

 ほぼ同時に、伊緒君の身体が、ゆらりと動いた。

 理人君を避けるようにしてすれ違って、地面を蹴る。

 遮るようにして飛び出したセナを突き飛ばして、一直線に、わたしの方に走ってくる。

「セナ!」

 理人君が悲鳴のように叫んで、セナに駆け寄った。

 伊緒君は、全部全部、聞こえてないし、見えてないみたいに、わたしだけを睨みつけてる。

 

 怖い、怖い!


 でも


 負けたくない!


 目は閉じなかった。

 伊緒君の顔が、無表情なのに、目だけが鋭い顔が、一気に近づいて。

 理人君とセナの声も、聞こえた気がした。

 伊緒君の両腕が、わたしの首めがけて伸びてきて――


「イオ。だめだよ」


 ユウの声が、耳元で響いて。

 わたしの後ろから、ユウの、長くて綺麗な両腕が伸びてきて。

 伊緒君の両腕を掴んだ。


「イオ。あなたを蝕むエネルギーが、あなたの中で渦巻いてる。そのままじゃ。あなたが吞まれてしまう」

 

 ユウの声は、今まで聞いたこともないくらい静かで、重かった。

 怒ってる? 

 どうしてそう思ったのか、解らないけど。


 伊緒君は、ユウに手首を持ち上げられて、肘が曲がった状態になったけど、そのままぐぐっと腕に力を込めている。

 ユウに腕を掴まれても、伊緒君はわたしだけをずっと見て、わたしの方に来ようとしてる。首を、しめようとしてる。

「伊緒君……ねえ、どうしたの?」

 もしかして――

「伊緒君……わたしのこと、嫌い……なんだね?」

 思わず、口に出してしまった。

 伊緒君のまぶたが、ぴくりと動いた。

「何言ってんだ、結、伊緒がそんなこと……」

 理人君が叫んで、伊緒君の肩を掴んだ。

「しっかりしろ! 伊緒!」

 伊緒君の耳元で理人君が叫ぶと、伊緒君の眼球が、僅かに、痙攣するように動いた。

「イオ。支配を受けて、正常じゃなくなったあなたは、自分の中のマイナスのエネルギーに呑まれてる。

 あなたの中の、マイナスのエネルギーは、本当は、もとは、マイナスじゃなかったはずの感情だよ。気付いて」

 ユウの悲し気な声が、優しく響いた。


「怒りも、憎しみも、大切なものがあったから生まれたんだよ。

 愛があったからこそなんだ。思い出して。

 あなたは、何が大切だったのか。

 何をそんなに、愛しているのか」

 

「伊緒!」

 理人君がもう一度叫んで、肩をゆさぶった。

 ――あ。

 わたしの頬に水滴が当たった。

 涙だ。

 伊緒君が、泣いてる。

 無表情のまま、泣いてる。

「伊緒君、ごめんね、わたしが、伊緒君をそんなに苦しめたんだよね?」

 気付いたら、身体が勝手に動いてた。

 伊緒君の涙をぬぐって、目を、真っ直ぐに見た。


「わたしのことが嫌いなら、伊緒君の本当の気持ちを、ちゃんと受け止めるから。

 だから、お願い。

 本当の伊緒君にもどって!」


 がくんっと、伊緒君の膝が折れた。

 目は開いたままで、ぼたぼたと涙をこぼして。

 気付けば、ユウは手を離していて、伊緒君は力なくその場に座り込んだ。


「あ、支配の数値、下がっていくよ!」

 セナが、スマホを片手に叫んだ。

「伊緒!」

 理人君がしゃがんで伊緒君の腕をつかむと、伊緒君の身体がゆらりと揺れて、理人君の身体に寄り掛かった。

「ごめん、理人、ごめんなさい」

 弱々しい声で、伊緒君が泣いてる。

 まるで、小さな子供みたいに。

「ごめんなさい。成瀬さん」

 泣きながら、うわごとのように伊緒君が言った。

 理人君が、困ったような顔でわたしを見た。

「ううん! 大丈夫だよ」

 わたしが笑って言うと、理人君が安心したように微笑んだ。

「ありがとな、結」

 かくんと力が抜けて、伊緒君の身体が理人君の上に倒れ込んだ。

 理人君は慌てて支えようとしたけど、伊緒君、身体が大きいから支えきれなかったみたい。セナとわたしも、同時に駆け寄って両側から支えた。

 そっと顔を見ると、泣きつかれた子供みたいな顔をして、眠っていた。


「支配、抜けた?」

 セナに確認すると、セナはこくりと頷いた。

「多分。さっき、二十くらいまで下がってて、どんどん下がってたから、今はもっと低いはずだよ」

「ああ~よかった~」

 理人君が力の抜けそうな声でそう言った。待って待って、脱力しないで、重いから!


「許せない」


「え?」

 伊緒君が元に戻って安心していたら、今度は後ろから、震える声が聞こえた。

「ユウ?」


「支配を受けると、人はマイナスのエネルギーを抑えきれなくなるの。それが解っているから、今回の実験では、そこまで強い支配をしないっていうルールだったんだ」


「え? どういう、こと?」

「地球人が、支配の力に完全に取り込まれたら、自暴自棄になったり、狂暴になったり、無気力になったり、とにかくよくないことになるのは解ってた。

 だから、そこまで強く取り込まずに、ミーに魅了される程度で判定するって言う条件だったの。

 それなのに、イオは、自分を失うほどに支配されていた」


 ぞっとした。

 自分を失う。

 確かに、伊緒君の様子は明らかにおかしかったし、理人君のことも解らないみたいだった。セナを突き飛ばしたときだって、遠慮がないっていうか、セナがどうなってもかまわないって感じに見えた。


「これが、支配か」

 セナが、神妙な声で言った。

「おっそろしいな、クソ!」

 理人君が、吐き捨てるように言った。

「ミー……どうしてそんな……」


 全力で挑む。お姉ちゃんはそう言ってた。

 でも、ルール破りは、全力で挑むことと真逆だよね?


「ユウ……」


 声をかけようとしたけど、ユウの顔が、見たことのない、怒りの表情になっていて、思わず息を呑んだ。


「ミー……――――!」


 ユウが叫んだ。

 それは、ユウの名前を聞いた時と同じような、聞き取れない不思議な声だった。

 

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