「伊緒」視点:すれちがい
理人、ちゃんと病院行ったかな。
練習中からずっと気になって仕方なかった。だけど、校内での携帯電話・スマートフォンの使用は禁止されてるから、連絡したくてもできない。
早く着替えて、帰ろう。
更衣室に向かうべく、足を向けた瞬間だった。
「あの、伊緒先輩」
僕を呼び止める女子生徒の声。剣道部の一年生の女子かな。
「何?」
出来る限りいつも通りを心がけたつもりが、いら立ちが声に出てしまったようだ。僕よりも頭一つ分ちいさなその女子生徒は、ビクッとしてうつむいてしまった。
「どうしたの?」
仕方ない。努力してやさしい声を出してみると、女子生徒は恐る恐る顔を上げて、上目遣いを僕を見た。
「あの、伊緒先輩、今日もしよかったら」
……嫌な目。僕をそんな風に見上げないでほしい。あの子を思い出してイライラしてしまう。
成瀬結。
僕にないものを、両手に持って、いつもいつもふにゃふにゃ笑ってるあの子。
僕の中に、この島に来るまでなかったどす黒い感情を植え付けた子。
「あの、よかったら、一緒に、帰ってくれませんか」
彼女の後ろには、友人らしい女子が二人いて、応援するようなしぐさをしている。
こういうの、最近はずっとなかったのにな。
理人がずっと一緒にいてくれたから。
「ごめんね、帰りは理人のお見舞いに行こうかと思ってるから」
僕は、若干の後ろめたさを抱えながら、理人を言い訳に使ってしまった。
でも、嘘じゃない。学校の敷地を出たらすぐにでも、理人に連絡をするつもりだし。
「そ、そうですか。ごめんなさい、じゃあ、さようなら」
「うん、僕こそ誘ってくれたのに、ごめんね。それじゃ」
「爽やか」に笑えてるだろうか。
ちょっとだけ心配になりながら、涙目の彼女が僕に背を向けるより早く、僕は更衣室に向かって歩き出した。
イライラがちょっと増えてしまって、着替えをする手が、うまく動かない気がする。ほんの数秒だけど、いつもより無駄な動作が増えている気がする。
他の生徒や、後輩たちが挨拶をしながら更衣室を出て行く。早く僕も行かないと。
何とか着替えて、玄関に移動する。
正直、部活のためだけに来ているんだから、他の部員たちみたいに、武道館の裏口から直接出入りすればいい。僕もそれが一番効率がいいと思う。
こっちの正面玄関を使ってる理由は、理人の付き合いなんだ。
理人がいないと、本当に無駄なことをしている気分になる。
理人がここを使って出入りしているのは、成瀬結と五城目星奈がここから出入りしているからだ。もしかしたら、昨日みたいに帰りに会えるかもしれないって思ってる。なんだかんだと言い訳をしてごまかしてるけど、バレバレなんだよな。
ふと、そんなつもりもないけど、成瀬結の靴箱を見てしまった。
上履きしかない。もう帰ったんだな。
理人にケガをさせた、あの女子のことを知ってる風だった。
気になるな。あの子。人間の動きじゃない。まるで超能力者だった。
成瀬結。理人のことを、変なことに巻き込んでいないといいけれど。
外靴を履いて、足早に学校を出る。
校門をくぐって角を曲がって、すぐにリュックからスマホを取り出した。
「……!」
理人から、メッセージが来ていた。
――部活が終わったら、連絡してほしい――
どうしたんだろう? まさか、骨に異常でも見つかったんじゃないだろうな。
慌てて、通話ボタンを押そうとしたが、視界が暗くなってハッとした。
目の前に人が立っている。普通に道路だから、邪魔になっているんだ。
「すみませ――」
謝罪をしながら避けようと顔を上げて、息を呑んだ。
ぶつかる寸前、文字通り目と鼻の先に立っていた人は、学校でも一二を争うくらい背が高い僕ですら、見上げるほどの長身だった。
いっそ青いくらいに真っ白な肌。腰のあたりで大きくカールするロングヘアは、水色に近い白。顔の左半分に入った鱗のような模様。とても、この世の人間には見えないような、冷たい美しさ。
服装だって、まるでゲームのコスプレ衣装みたいだ。
僕を見下ろす緑色の瞳は、氷のように冷たくて、マネキンと見紛うくらいに無機質だ。
どうしてだろう? 雰囲気は全然違うのに、今朝見たあの不審者の女子を思い出す。
数秒。
どのくらいだろう。僕はまるで猛獣ににらまれたカエルみたいにフリーズしてしまっていた。
僕を見下ろしていた、緑の瞳がスッと視線を外した瞬間、唐突に我に返った。
さっと脇によけると、緑の目が一瞬だけこちらを見て、すぐに歩き出して通り過ぎて行った。
まるで、興味ないとでも言いたげな態度だった。
手の中のスマホが振動した。
理人からだった。
僕は、こっそり、小さく深呼吸をして、通話ボタンをタップした。
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