学校脱出
とりあえず逃げだしたものの、上履きもないし、外履きも体育館の窓に置いてきちゃったわたしは、不安でいっぱいだった。
とりあえず美術室に行くと、運よく先輩も後輩もいなかった。もしかしたらさっきの騒ぎを見ていたギャラリーたちの中にいたのかもしれない。
「と、とりあえず、ここに座ってください。えーと……」
美術室の奥にある、石膏像やキャンバスが並んでいるところに椅子を置いて、ユウを座らせた。先生が来たら、作品にかけるための白い布をかけて隠そう! これしかない。
布を持ってきてユウにかけようとしたら、ユウがこてんと小首を傾げた。
「ユイ、アタシを隠そうとしてる?」
「あ、うんあの、多分先生が来るから、その間だけ隠れててほしくて……お願いします!」
こんな、物みたいに扱われるの、嫌だよね。
「わかった! 隠れればいいんだよね! 任せて!」
ユウが左手のリングをわたしに見えるように掲げて、敬礼のようなポーズになってニカッと笑ったと思うと、すーっと視界から消えていった。
「えっ?」
な、何が起こってるんだろう? ユウが消えちゃった? ゆゆ、幽霊?
震える手をユウがいた場所に伸ばすと、ふわりと髪の毛のさわり心地がした。
「へっ?」
何も見えないけど……ここにいる? 透明人間みたいな?
さわさわしてると、ぷにぷにとほっぺに触ったような感触が……。
「ふふっくすぐったいよユイ。光学迷彩ってヤツ。静かにしてれば見つからないよ!」
いたずらっ子のような楽しそうなユウの声がした。やっぱり、ここにいるんだ。
す、すごい……!
感動していると、後ろで美術室のドアが開いた。
「結!」
「セナ!」
先生かと思って慌てて振り向くと、セナがわたしの上履きを持って息を切らせていた。
「早く靴履いて! 先生が来るよ!」
そう小声で言うと、わたしのところに駆け寄って、上履きを足元に置いてくれた。
「おーい、美術部いるか?」
間髪入れずに、二人の先生と剣道部の子たちがこちらを覗き込んできた。
「はいっ」
セナがわたしを隠すように立って返事をした。セナのシャツに汗がにじんでいて、ものすごく申し訳ない気持ちになった。
とりあえず、靴はかなくちゃ! 立ったまま、つま先で靴をひっかけて、履いている感じを出しておく。
バスケットボール部の顧問の先生と、後ろには剣道部の顧問の先生もいた。
「不審者が入ってきたって聞いたんだ。こっちに来なかったか?」
「さあ。来ていません」
セナが演技とは思えない、興味のなさそうな声を出した。セナは小さい頃からいたずらと、それを隠すのが天才的にうまかったっけ。
わたしは作業をしているふりをして、顔がセナの陰に隠れるように移動した。
「そうか。何かあったらすぐ言うんだぞ。今すぐ顧問の先生が来るからな」
そう言って、みんなが出て行く。剣道部の子が、疑うような目でこちらを見ていた。セナが理人君に駆け寄ったのを見ていたからだろう。
わたしはドキドキした。バラされちゃう!
剣道部の子が口を開いたと思った時、伊緒君の声がした。
「先生! すみません!」
わたしは、ハッと息を呑んだ。と、何かがわたしの手を握った。透明な、ユウの手だ。
どうしよう、伊緒君はユウをあんなに怖い顔で睨んでた。
ユウを連れて逃げたのはわたしだって言われたら、どうしたらいいんだろう。
もうだめだ! そう思ってきゅっと目を閉じた。
「すみません、僕の勘違いでした。入ってきたのは、高等部の先輩でした。もう高等部に戻ったそうです。お騒がせしてごめんなさい」
――え?
聞こえてきたのは、予想もしなかった内容だった。
「大丈夫だよ、結。理人が、伊緒君に頼んでたからさ。結が怒られないようにしてくれって」
セナが耳打ちして教えてくれたので、わたしは目を開けて廊下を見た。
先生たちが戻ってきて、伊緒君に「詳しく話しなさい」「勘違いだったのか」などと声をかけながら、武道館に帰っていくところだった。
伊緒君が完全に見えなくなる寸前、開きっぱなしのドアからチラリとこちらを見た。伊緒君の目はやっぱり、ちょっと怖かった。
「……」
「……」
わたしとセナは、数秒無言で、そのまま息を殺していた。
最初に動いたのはセナで、開いたままのドアへと静かに駆け寄って行って、そうっと閉めた。
カラカラぱたん……って音がして戸が閉まると、わたしとセナは同時に、ふーっとため息をついた。
「もう、大丈夫ですよ」
わたしがそう言って、ユウの手を握り返すと、その手からユウの身体に色が戻って行って、ユウの姿が見えるようになっていった。消えるときも不思議だったけど、現れるときも不思議だ。
「すごい……」
そう言いながら、セナはあっという間にこちらに走ってきた。
「ボクの名前はセナ。さっきは、理人のケガを治してくれてありがとう」
セナが、椅子に座っているユウの前に、王子様みたいに片膝をついた。
「アタシはユウだよ! よろしく! セナは、昨夜空から見たよ。ユイのトモダチ」
「そっか。昨夜の結の話は、本当だったんだね……ごめんね、結。ボク、夢だなんて言って」
セナが申し訳なさそうにわたしを見た。
「ううん、気にしないで。わたしも自信が持てないくらい、不思議な体験だったから」
我ながら情けない、へにゃっとした顔で笑って言うと、なぜかセナじゃなくてユウがピクンッと反応した。
「ユイ、セナとお話するとき、アタシと話すときと違うね」
「えっ」
あ、敬語のことかな? えっと、トモダチって言ってくれたけど、なかなか敬語をやめるタイミングわかんなかったんだよね。
「どうして?」
「セナは、小さい頃からずっと仲良しだったから……」
「アタシもその話し方がいい」
ユウは、金色の瞳をうるませてわたしを見た。椅子に座ってるから上目遣いになっているし、なんか、大型犬に甘えられてるような気分……!
「だめ?」
「だ、だめじゃないです……あ、だめじゃないよ。ユウがいいなら、わたしもそうしたい」
わたしの言葉に、ユウの笑顔が輝く。うう、カワイイ……!
「ふたりとも、和んでるとこなんだけど、今のうちに学校から出よう」
「へっ?」
突然、セナが真面目な様子で言った。
「剣道部の騒ぎも落ち着いたから、もうすぐに先輩たちがここに来るし、また騒ぎになったら面倒だろ?」
「そ、そっか」
さっきの騒ぎさえなければ、友達が見学来たって言えば先輩たちはユウがここにいることも許してくれそうだけど、さすがに一度「不審者」って騒がれた後じゃあね。先輩たちだって困るだろうし。
「よし、じゃあとりあえず、移動しようか」
「なあに? どこかに行くの?」
ユウが幼い子供のようなことを言った。
「うん、ここね学校って言って。全然学校に関係ない人が、簡単には入れないんだ。だから、どこか別のところに行かなくちゃ」
「じゃあ、アタシの船に行こう!」
「ふね?」
ユウは、にっこりと笑って立ち上がった。
「うん! 宇宙船!」
「宇宙船! 行きたい!」
ユウの台詞に驚いて声も出ないわたしの代わりに、セナが歓声を上げた。
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