できなかったこと
パシャ、墓石に水をかけ、軽く掃除をする。来たときは湿り気を帯びていた墓石は、いつの間にか乾いていた。年に一度の墓参り。ルーティーンといえるほどではないが、この日は何時間も居座ってしまう。そのため、前に誰かが掃除していたとしても、こうやってキレイにするのだ。
春とはいえ、まだまだ肌寒さの残る季節だからか、少しだけ手にかかった水は、ぼうっとした頭をはっきりとさせるには十分の冷たさだった。
「……最後まで、呼ばれ慣れなかったな」
ーー
そう呼んでいた後輩。あんな回りくどい言い方をした星見に好きに呼べと、許可を出した側でありながら、どこかむず痒さを感じていた。その声も、たった二年前まで日常だったにも関わらず思い出せなくなってしまったが。
「"人は声から忘れていく"なんて、まさか実感する日が来るたぁ思いもしなかったけど。」
実感して良いことじゃないのは確かだった。あんなに、当たり前に聞いていた声。柔らかく、どこか冷えた色を覗かせていたことは、なんとなく覚えている。きっと、動画なんか見れば、あーこんなんだったなと思い返せるだろうけど。数日もすればまた忘れてしまうのだろう。
「"最後に残るのは、聴覚だ"だってさ。お前はどうだったんだ?……わりぃ、不謹慎だな。」
頭の後ろを掻き乱しながら、ため息をつく。
誰かがいたら怒鳴り込まれたかもしれない。いや、そうでなくともなんて非常識なやつなんだ、と侮蔑の視線をプレゼントされたことは想像に難くない。
星見が居なくなって、少しは話すのがうまくなったと思っていたが、そんなのは気のせいだった。ーーかつては、星見がたくさん話して、それを聞くことが多かったから。
そんなことを思いながら、再び口を開いた。
「でも、それって"覚える"ってことだろ。最後に、誰かの声を。……こういう表現、お前は好きじゃないだろうけどさーー死に行く魂が、黄泉を渡る魂が、寂しくならないように。慈悲として……最後に聴覚が残されるんだと、思う。」
残された側は声を忘れ、置いて逝く側は声を覚える。忘れた側は悲しみ、覚える側はーーなんだろうな。
とにかく、残酷だってことは、よくわかる。
だって、残されたやつには、そんな慈悲も何もない。ただ、喪った存在にすがって、戻ってこない現実に打ちのめされるのだから。
ああ、それと
「ーーお前の名前、呼べないままだよ。」
予想外にか細くなってしまった声に苦笑いしつつ、そう告げる。
そんな俺の姿を、墓に添えられたあみぐるみが静かに見つめていた。
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