第5話「逃げれば、充実した学園生活が手に入ります。進めば、ヤンキー少女と海に行くことになります。ならば、逃げます」
* * *
よし、逃げよう……ッ!
終業のチャイムが響く中、眼鏡の少女はそう決意した。
今日の授業が終わり、約束の放課後。
風月はヤンキー少女から逃れようと、カバンを持ち、急いで教室から立ち去る。
一刻もッ!早くッ!この学校から出なければ……!!
風月は下足箱に向かって、今すぐにでも走って行きたかった……のだが、校則で廊下を走ってはいけないので物凄い速さで歩いた。
絶対に、あのヤンキーに関わってはいけない!!
風月の本能がそう警告し続けている。
自販機に1円玉を100枚入れようとしているヤンキーに関わったら、今後のあたしのスクールライフがどうなるかわかったもんじゃない!!
そう思いながら、風月は下足箱まで猛スピードで歩く。
しかし、現実というモノはスティーブン・キング原作映画『ミスト』よりも残酷で非情である。
下足箱で、風月はあのヤンキー少女と会ってしまう。
「よっ、眼鏡の人!」
下足箱の近くに立つ金髪スカジャンのヤンキーが、風月に向けて手を挙げている。
ヤンキーの姿を目視した瞬間、風月の脚は止まり、そのまま全身硬直した。
見つかっちまったぁあああああーーー!!!
声にならない叫びを、心の中で叫ぶ風月。
よく考えてみると、学校が終われば、生徒たちは帰宅か、部活などで下足箱に向かうのだから、ここでヤンキー少女と遭遇する確率は高い。
風月は学校から脱出することを考えすぎて、肝心のヤンキー回避を忘れていたのだ。
「そういや、約束はしたけど、どこで待ち合わせするか言ってなかったなー。いやー、すまん、すまん」
ヘラヘラと笑いながら、軽く謝罪をするヤンキー少女。
すると、風月は固い笑顔をして。
「いやいや、全然、気にしてないですよー。アハハ。それじゃあー」
引き攣った笑顔の風月は硬くなった脚を動かし、さりげなくヤンキー少女の横を通り過ぎようとした。
だが……。
「オイオイ、どこ行こうとしてんだよ、お前ー」
ヤンキー少女は、まるで肉食獣が草食動物の首筋に牙を立てるかのように、風月の制服の後ろ襟を掴んだ。
これにより、風月は動けなく……いや、動かなくなった。
蛇に飲み込まれたカエルのように、鷹に捕まれた蛇のように、もう逃げるという行為を諦めたのだ。
そして、風月を掴んだヤンキー少女はこう言う。
「よし。んじゃあ、これから、海に行こうぜ」
* * *
……。
バスと電車を乗り継いで、2時間。
駅から降りて、5分ほど歩き……二人は海に到着。
「おおー!海だー!!ヒャッハー!!」
「……」
砂浜に立ち、無邪気に喜ぶヤンキー少女。
何故、自分が今、海に居るのかが理解できないでいる眼鏡の少女、香取風月。
ちなみに、移動中の二人は会話という会話をしなかった。
ヤンキー少女はバスと電車での移動中、ずっと目をキラキラさせて窓の外の景色を眺めており、風月の方はヤンキー少女と何を話していいのか、ずっと考え、頭を悩ませ続けていたため、会話らしい会話をしていない。
ただ二時間、二人は無言で海まで移動していた。
4月の海は寒く、長袖の制服ではこの寒さに耐えられず、身体を震わせる風月。
しかし、まだ肌寒い海であっても、ここにはいろんな人々が居た。
砂浜を無言で歩く三十代のぐらいのコートを着たワケあり気な男女二人。トレンディドラマか。
空手部か、柔道部なのかわからないが、胴着を着て海辺をひたすら走る武道家の方々。スポコンドラマか。
厚着をして、砂でお城を作る子どもたちと、それを微笑みながら見つめる親御さんたち。ファミリードラマか。
そして、砂浜でバーベキューをやっている若い男女たち数人。リア充か。
とにかく、4月のまだ寒い海であっても、いろんな人々が海に居た。
「おーい!ここに、ベンチあるから座ろうぜ」
ベンチを見つけたスカジャンのヤンキー少女が、風月に向かって手を振る。
風月は促されるまま、黙って、そのベンチに座った。
……。
鹿取風月、現在15歳の視界には、夕陽のオレンジ色と青く果てしない海と空が広がっていた。
まるで、海の中に沈んでいくかのように夕陽はオレンジ色を放ち、海と空の青色と混ざり合って行く。
オレンジと青の海から漂う潮の香りが、風月の鼻孔に入り込む。
「……」
風月はベンチに座ったまま、なにも考えず……いや、思考を停止させたまま、ただ海を見つめる。
彼女の隣に座るヤンキー少女も黙って海を見つめていた。
「……」
「……」
無言で海を見つめる二人。
……。
風月は思う。
何故、私はこのヤンキーと一緒に海を見つめているのだろう……?
極めて普通で居ようと思い続けていた自分が、自販機にショルダータックルをしていたヤンキーと一緒に海に行くなんて、一体これはどういう展開なんだよ。
もし、これがドラマか、映画だったら、たぶん私は途中で観るのを辞めて、ライトノベルを読んでいるだろう。
だが、これはドラマでも映画でもない。ましてはアニメじゃない。
現実なのだ。本当の事なのだ。
そんな現実の非情さに考えることをやめた風月は、ただ海を見つめる。
すると……。
「海っていいよな……。あたい、海、好きだぜ……」
急に、ヤンキー少女の口が開いた。彼女はオレンジ色に染まる海に見惚れている。
風月は、だからなんだ?と思いつつも、「アッ、ハイ」と魂のない返事をした。
そして、風月は横目でヤンキー少女の横顔を見る。
夕陽のオレンジに照らされるヤンキー少女の横顔は、美しかった。彼女の金髪に染められた髪が潮風になびく。
風月はそんなヤンキー少女の横顔を見て、まるで映画のワンシーンのようだと、ふと思ってしまった。
……しかし、同時にこうも思う。
数時間前、自販機にショルダータックルさえしなければ……授業中にやってこなければ……強引に海に連れていかれなければ……本当にこのヤンキー少女は、ただの美少女なのに……。
風月はいつの間にか、このヤンキー少女の横顔に見惚れていた。本当に無意識で、自分でも気づいていないうちに。
「あ!」
ヤンキー少女は、なにかを思い出したように声を上げた。
その声で、急に目を覚ます風月。
「ひっ!!」
「そういえば、まだだったなー」
ヤンキー少女は、風月に顔を向けて喋り出す。
風月はガタガタ震えながら、持っていたカバンを強く握りしめる。
「な、なにが、まだだったんですか……?」
カバンの中には、財布と今日の朝、コンビニで買った週刊漫画雑誌が入っていた。
いよいよ、このヤンキー、本性を現して「とりあえず、金、出しな」「オイ、まるごとバナナ買ってこいよ。ついでにジャ○プもなー」などと言ってくるのか?と風月は身構えた。
だが、ヤンキー少女の口から出た言葉は……。
「お前、名前は?」
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