020 「外伝・世代交代(2)」


「まず最初に、これ以後家令は置かない。執事がこれを行うものとする」


 鳳家当主、麒一郎の言葉に会場が軽いどよめきに包まれた。

 だが何名かはすぐに察した。


「知っている者もいると思うが、理由は数年先に本邸をお上に税として献上するからだ。それ以外にも、色々と税として納めることになるだろう。何せ国は戦争で散財しすぎた。日本中の金持ちから、随分と搾り取る筈だ。

 そして当座とはいえ日本一の財閥にのし上がったうちは、その見本というやつを世間に見せないといかん。なんせ、敵が多いからな。それにだ、うちが納めたら他もしないわけにはいかん。今から、連中の苦々しい顔が思い浮かぶ」


 最後に人の悪い笑み浮かべるも、大半のものは話の内容に納得していた。

 しかしそうでない者もいる。小さく挙手したのは、善吉の妻の佳子(けいこ)だ。彼女は悪い意味で華族や財閥的なので、ある意味当然の反応を見せる。


「麒一郎、逗子の別荘は大丈夫なんでしょうね?」


「あそこは大きくないからそのままだ。他の別荘や別邸も、一部を家から財閥保有に変えるだけだ。だが本邸は、いい場所にありすぎる上に大きいからな。他にもいくつか、都心部にある物件は国にくれてやる」


「東京市に渡さないようにしてよ」


「当然だ。あんな物騒な屋敷を、市や府ごときに渡せるか。国、場合によっては軍に厳重に管理してもらう。そのあと、色々と手直ししてから、国が利用価値を見つけるだろ。ただし、国が物納は嫌だというなら、そのままうちで保持する事になるが、引っ越すのは変わらん。これは決定だ」


 注文をつけた玲子は、その説明に納得して強く頷き返す。周りは、長く暮らしたので思い入れが強いんだろうと感じた。想いは麒一郎と玲子が一番強い筈だからだ。

 その一方で、誰も新しい家もしくは屋敷について問わないのは、すでに鳳の大学などがある川崎の生田の小高い丘とその周辺に、新しい街を作るかのような新たな屋敷群の建設が進んでいるのを知っているからだった。


 そこは一帯を柵で囲んで私道の入口に門を備えた広大な私有地で、別荘地のようにそれぞれの家と本拠となる屋敷、それに使用人の家、迎賓館などその他諸々の施設が人工的な自然の中に作られる予定だ。

 その一方で、都心部勤務の者の為に、本邸のある六本木界隈に警備厳重な大型高級アパートが新たに建設開始されていた。


 こうした動きは鳳だけでなく、三井、三菱など他の大財閥でも大なり小なり行われ始めている。また東京の中心に大きな邸宅をもつ華族も、似た動きを見せていた。皇族ですら例外ではない。

 どこか避暑地か保養地に、華族達の新たな町を作ると言う話すらあるほどだ。


 そのような動きがあるのは、巨大すぎる戦争が否応もなく新たな時代へと財閥を始めとする富裕層、上流階層に起きつつある証だった。

 そうした変化を一族の者も受け入れているのを確認して、麒一郎が言葉を再開する。


「それでだ、代わりというわけではないだろうが、他の土地を安く譲ってもらえる。なにせ、東京市内の大半から軍の兵営は出て行くからな。そうだろ、龍也」


「ええ。近衛すら、宮城警護に最低限必要な近衛兵だけを残して宮城から出ます。2個連隊は多すぎますからね。それに明治の頃ならいざ知らず、移動手段の発達した今日、大都市の真ん中に軍の大部隊を置く必要性は大きく低下しました。動員解除に合わせる形で、東京だけでなく大阪や他の都市でも、城跡や市街地の兵営を中心とした各施設は土地のある場所に移転します」


「そして土地の売却益を、戦費の返済に充てるわけね」


「ああ、そうだ。明治の払い下げのように二束三文とはいかないがな」


「それなら競売にして、金持ちに高く買わせたらいいのよ。ただ高い税金払わされるより、その方が納得するでしょ」


 壇上での玲子と龍也のやりとりに、周りが小さな笑いを作る。

 そしてこの話は、これでおしまいだった。


「まあ、それは玲子がするんだな。北の丸の近衛の兵営はともかく、うちの屋敷の近所はよりどりみどりだ」


「だってさ。高く買ってあげて、うちのビル街をもっと沢山作りましょう」


 麒一郎の言葉を軽く受けた玲子は、そのまま壇上の一角へと視線を向けると数名が恭しく頭を下げる。

 彼女の執事達だ。また壇上の下でも、彼女直属の男女が何名かが頭を下げている。

 それを見つつ、麒一郎が再び口を開いた。


「玲子が頭にくるので、セバスチャン、お前が執事の筆頭だ。日本人じゃないのを嫌がる奴もいるだろうが、気にするな。うちはうち、よそはよそだ」


「ハッ。謹んでお受け致します。奥様に対する日本人への応対は、舞様と涼宮を当たらせますので問題も御座いませんでしょう」


「舞はともかく執事は二人か。玲子、二人で足りるのか?」


「エドワードも家を立てたし、大きくなった商事の方に専念してもらわないとね。それに私には、優秀な秘書や側近がいるから大丈夫。あー、けど家令を置かないんでしょう。一族の警備はどうなるの? 二人と側近だけじゃあ、私の最小限しか無理なんだけど」


「それなら問題ない。呼んである。お声がかりだ」


 玲子の問いに答えた麒一郎がニヤリと笑みを浮かべつつ促すと、舞台袖から大柄な男性が気配もなく現れる。


「あっ。八神のおっちゃん」


「そうだ。名目上は鳳警備保障の役付きとして、八神玄武に一族の警備の一切を任せる。当人は嫌がったが、信頼できるとなるとあとはワンくらいだからな」


「ワンさんは無理でしょう。満州国の内蒙古方面の軍司令官なのよ。呼べるわけないじゃない」


「だから八神に来てもらった。こいつも、第一線を張るにはいい加減厳しい歳だ。ちょうど良い頃合いだろ」


「もうそんな年なのね。まあ、それもそうか」


「そういう事だ。こう見えて、俺も人の子だからな」


 玲子がしげしげと八神を見ると、当人は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。だがそれも一瞬で、全員の方に向いて恭しく、だがやや芝居がかった仕草で頭をさげる。


「八神玄武と申します。皆様におかれましては、お見知りおきの程宜しく申し上げます」


 そしてそこから、雑談混じりではなくそれぞれの代替わりと配置が自身の口から語られていった。

 玲子は長子で一族の長になるが、夫の晴虎と叔父の龍也が補佐する。何しろ日本の社会は、まだまだ男性社会だ。

 ただし、龍也は陸軍省ナンバー3の軍務局長の要職にあるので、基本は睨みを利かせるという立ち位置になる。

 夫の晴虎は、侯爵位を継げば自動的に貴族院議員となる上に、既に鳳ホールディングスの実質的な副社長な上に、この交代で社長へと就任する。

 多忙な毎日が待っている事だろう。


 似たようなのは他も同じ。鳳重工の社長の虎三郎が会長へと退き、家を継いだ竜(りょう)は当面は専務を超えて副社長となる。

 他にも、沙羅(サラ)の入婿で今まで玲子の執事と鳳商事の常務だったエドワードが、鳳商事の専務に収まる。同じく舞(マイ)の入婿の涼太は、鳳総合研究所の副所長に就任する。そして妻の舞の方も、玲子の筆頭秘書として一族とグループ全体の双方に対する実質的な強い権限を手に入れる。

 なお、全員すでに30代なので、少し早いが若返りも目的とした引き継ぎなので若すぎるという事もない。


 他、玲子と同世代の3人のうち、鳳グループに関わるのは玄太郎だけ。既に帝大を卒業して、戦争中は1年ほど形だけ予備将校を勤めたあと、鳳ホールディングスで働いていた。数年後には常務になる予定だ。

 他二人のうち虎士郎は音楽家である事を望み、一族の一部と同じように重要な地位に進む道から離脱している。精々が、一族や財閥が持つ芸術系の財団法人に名前を連ねる程度になるだろう。

 龍一は第二次世界大戦中に陸軍将校となり、陸軍中央で既に活躍していた。そして軍務に専念したいと、一族内での地位は求めていなかった。

 また龍一の妹の遥子は壇上にはいないが、三菱総帥にして分家筋の山崎小弥太の長男勝次郎との婚約が既に成立しているからだった。


「まあ、こんなところだろう。まだ若い者もいるが、爺さんなんか16、7で維新を手伝わされてた。それを思えば、何とかなるだろ。では、後は好きに騒いでくれ」


 呑気に始めたからか、締めも呑気なものだった。

 そして親族達は、面倒くさかったのだろうとしか思わず、仕切り直し始めた。



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北の丸の近衛の兵営:

江戸城もしくは皇居の北の辺り一帯。現在の武道館のあたりに、近衛師団の第一連隊、第二連隊の兵営があった。

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