018 「外伝・祝勝会」
「終戦おめでとう」
「終戦おめでとう」
パーティー会場では、ここ最近はやりの言葉のように交わされていた。
日時は1944年6月17日。開催場所は、首相官邸と国会議事堂のすぐ南にある鳳ホテル。戦争特需によって日本最大規模の財閥へと躍り出た、鳳グループの表看板の一つ。各地に支店もある日本屈指の高級ホテルだ。
そしてホテル内にある会場を鳳伯爵家の一族が貸し切り、日本中で行われている戦勝記念パーティーの一つが開催されていた。
ただ、戦争が終わった6月6日の後の最初の日曜日は、国を挙げての最初の催しだった。この集まりはその次の週の土曜日の昼から、6月17日の開催となった。
だからもう熱も冷めたと思いきや、1939年9月から4年9ヶ月も続いた大戦争だったので、「終戦」機運はしばらく続きそうだった。
兵士達の凱旋式典で絶頂に達するだろうと言われている。
そんな雰囲気は、立食パーティーの片隅で椅子に落ち着いている紋付袴の老人と軍服姿の美丈夫の中年男性も同じだった。
話しているのは鳳伯爵家当主の鳳麒一郎と、分家筋の鳳龍也。龍也の軍服には、外見の若さに不釣り合いな少将の階級章があった。
「欧州を始め戦地や海外に行ったのは300万人ほど。動員された兵士の4割は内地にいたまま。出征した兵の何割かも、実質は国費で物見遊山に行ったようなもの。少し浮かれ過ぎだ」
「ですが、欧州で多くの血を流しました。これを世界は無視できませんよ」
「当然だ。だがそれは、世界が日本をどう見てどう扱うかだ。大半の日本人は、戦争特需に沸いただけだ。結局、幾ら儲かったんだ? なあ、玲子よ」
「え?」
偶然そばを通りかかった黒の落ち着いたドレス姿の若い女性が、老人の不意の声に軽い戸惑いを見せる。
ただその表情は、すぐに胡散臭げに変わった。
「……めでたい席なのに、二人とも堅苦しい話はしないでよ」
「この戦争で日本は幾ら儲かったかって話だ。景気が良い話だろ。どれくらいなんだ?」
「……あっそう。まだ最終数値は出てないけど、国民所得で言えば戦争中に2倍に増えたわよ。本年度の数字も400億ドルに乗るんじゃない」
「ドルで言われても、今ひとつわからんのだが?」
「ハァ。世界で見るなら円で見ても仕方ないのよ。少し前にも似たような話をしたけど、1939年度がドルベースで180億から190億。1ドル2円80銭。500億円台の前半。1944年度予測は400億ドル。1ドル2円50銭。ざっと1000億円。どう、もっと分かりにくいでしょ?」
「うむ。為替が入ると面倒なだけだな。だがまあ、5年とかからず倍とはな」
「ちなみに、戦費は600億ドル、1500億円。それにレンドリースが50億ドル分。これを5年か遅くとも10年くらいかけて返していって、財政が安定するところまで持っていかないといけないのよ。
だから、経済をグルグル回して国民所得をさらに伸ばして、相対的に借金を減らす必要があるの。分かる? 私達の戦争は、むしろこれからよ。軍需から民需への転換だけで頭が痛いって、虎三郎と竜さんが泣いていたでしょ」
「その話は、さっき連中から少し愚痴られた。だが、国は成長するから問題ないんだろ」
「うん。ある程度はね。それに金持ちに大増税するだろうから、これで貧富の格差も大幅に解消されて、共産主義者が妄想する革命の機運ってやつも遠のくわよ」
「日本中が儲けたんだから、一番儲けた奴が金を出すのも国民の義務ってやつだな。で、そんな日本は、世界で見るとどれくらいになったんだ? アメリカのケツに喰らいつけたのか?」
どこか呑気な口調の言葉に、女性がまたため息をつく。
「前にも言ったでしょ。喰らいつくどころか、遥か彼方よ。概算だけど、国民所得は2000億ドル。日米の相対的な国力差に変化なし」
「流石はアメリカとしか言えんな。他は?」
「ドイツは瓦礫の山。ソ連の実情は青息吐息。欧州は軒並みガタガタ。一人当たりはまだだけど、全体ではイギリスも追い抜いたわよ」
「ん? つまり、日本が二番目に金持ちになったのか? そりゃあ剛毅な話だ」
「でも玲子、アメリカが圧倒的になりすぎていないかい? 陸軍内でもそれを気にしていた。海軍なんて、あまりの差に途方に暮れているよ。敵にしたらどうなっていたかってね」
それまで黙っていた軍服姿の美丈夫が、最後におどけて肩をすくめる。
最後の言葉通り、アメリカのあまりの物量を見た出征した軍人達は、心底アメリカを敵にしなくて良かったと実感していた。このため、国内に篭っていた軍人達との間に、大きな意識の差が生まれているとも言われている。
「はい。世界の国民所得の半分近くを、アメリカ一国で占める事になります。もしかしたら半分以上になるかも。それに資産、金保有量で見れば比率はさらに大きくなります。金地金なんて、世界の7割がアメリカの金庫の中。
ですから、経済的にはアメリカ一強の時代の到来ですね。世界中にドルが満ち、今まさにドルの黄金時代の幕開け。この流れは、四半世紀くらいは続きますよ。それに連動した会議が、来月からアメリカで開催されます」
「後から首を突っ込んできたくせに、アメリカの一人勝ちか」
「日本も十分以上に勝ち組よ。期間限定になるだろうけど、大英帝国を抜き去って世界第2位、世界の1割の経済力。軍事力は赤い帝国に次ぐ第3位。真の一等国の仲間入りじゃない」
「そうだったな。今日はその事を素直に喜ぼう。玲子の夢見通りなら、こんな宴会してられなかったわけだからな」
「全くですね。そしてこの勝利と実りを、次は外交で形にしないといけません」
「まあ、その辺は政府と外務省が気張るだろ。ようやく出番だからな。それにアメリカには吉田さんも行く。悪い結果にはならんよ。なあ、玲子」
「知らないわよ。けど、次の国連の常任理事国の椅子は確定。それで十分なんじゃない。それより、永田様はいつまで総理を?」
「ある程度戦争の後始末をつけて、出来るだけ楽な状態で次の内閣に引き継ぐだろう。勝ち戦の宰相だから、多少強引な戦後処理をしても文句は言いづらいからな」
(つまり、前世の歴史の東条内閣以上続くのか。小磯内閣くらいまでかな?)
内心で奇妙な比較をしつつ、女性は別のことを口にする。
「それじゃあ、アメリカ大統領選挙の方が先になりそうね」
「だろうな。そう言えば、アメリカはどうなりそうだ? 戦いを勝利に導いたって錦の御旗で4選を狙うって噂で持ちきりなんだろ?」
「民主党大会が来月の今頃だけど、多分そうね。健康問題と年齢を考えろって建前で、民主党内からも反発が強い。けれど、前人未到の4選に相当強いこだわりがあるみたいよ」
「名誉欲か? 困った御仁だな。共和党は? もうすぐだろ」
「うん。候補はトマス・デューイでほぼ決定。4月に対抗馬のウェンデル・ウィルキーがウィスコンシンで惨敗したからね。けど、ホッとした。これで共和党の勝利は確定だろうから」
「ん? 何かあるのかい、玲子」
美丈夫の軍人にそう聞かれた女性は、少し視線を巡らせてから口を開く。そして話し出す前に、周囲にいた彼女のお付き達が、軽く人垣を作る。人を遠ざけ、口元を誰にも見せない為だ。
「ウィルキーさん、確かこの秋、選挙の1ヶ月前に何かの病で急死されるのよ。勿論、内緒でお願いね」
その言葉に老人は口元の片方を軽く上げ、美丈夫の軍人は片眉をあげる。
「まあ誰であっても、戦争が終われば政権交代だろ。英雄は後進に譲り勇退しないとな」
「戦争中、ルーズベルト政権は親ソ傾向が強すぎたと、アメリカ世論の反発はまだまだ強いようですからね」
「うん。戦争に勝つためとは言え、ちょっとやりすぎたわね」
「身から出た錆、因果応報というやつだな。で、夢では4選するんだったか?」
「うん。望み通り4選したのに来年4月にポックリ。副大統領が昇格して、戦争が終わるのを見ることもなし。それを思えば、在任中に勝ったんだから、勇退すれば綺麗に人生の幕を下ろせるのになあ」
「人ってやつは業と欲の塊だ。権力者なら尚更な。仮に真実を告げられても、同じ事をするだろうよ」
「そうですね。玲子ほど達観している者は、なかなか居ないでしょう」
「全くだな。だが、そういう人間ほど、色々背負い込まされるんだ。さあ、そろそろ引き継ぎを始めるぞ」
「えーっ、まだ食べたいものがあるのに」
長い黒髪の女性が子供のように返したが、その反面で逃げられない事も悟った諦観が滲み出てもいた。
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戦死者:
史実日本は軍人が約230万人。
日露戦争の戦死者が8万4000人だから、この世界でも日本史上最大の戦死者数になるだろう。
なお、アメリカの戦死者数は29万人で、うち10万人が太平洋戦争の戦死者数。
この世界では、アメリカの戦死者数もかなり少ない筈だ。
1944年度予測は400億ドル:
史実では1960年くらいに、国民所得が400億ドルになる。
(総人口が8350万人と9340万人で違うが、史実の1960年代は1年違うと所得が大きく違うので、ほぼ誤差範囲)
国民所得は2000億ドル:
史実のアメリカは約2100億ドル。この世界は戦争が1年早く終わり、アメリカは参戦も遅かったので、総力戦の恩恵を史実より受けられていない。ただし準備を終えた段階から2年も総力戦をすれば、所得は似たレベルに一気に膨れ上がる。史実でも1944年度がそうだった。
それに連動した会議:
史実のブレトン・ウッズで行われた会議。この会議で、米ドルを世界の基軸通貨として、「金1オンスを35USドル」と定めたブレトン・ウッズ体制や IMF(国際通貨基金)が作られる。
第二次世界大戦でアメリカはそれだけ裕福になり、また世界中から集めた金地金をため込んだ。
なお、1米ドル=360円と定まるのは1949年。
四半世紀くらいは続きますよ。:
ドルの金本位制が崩れる「ニクソン・ショック」は1971年。
次の国連:
史実では、1945年4月から6月に開催された「サンフランシスコ会議」でUN、国際連合が設立された。
ただし国際連合は日本政府の造語。第二次世界大戦中と同じ、連合国が本来の翻訳になる。
この世界では、開催と設立が少し早まるだろう。
前世の歴史の東条内閣以上:
史実の東条英機内閣はサイパン陥落後の1944年7月に総辞職。その次の小磯国昭内閣は1945年4月に総辞職。
アメリカ大統領選挙:
1944年のアメリカ大統領選挙の流れは、選挙までは史実と同じ。
日時は11月7日。史実ではドイツもまだ健在で戦争中。ルーズベルトは4選される。
対日戦で見ると、マリアナで勝って立候補を固め、レイテで勝って選挙に勝利という流れになる。
アメリカは、いつも選挙の為に戦争をする。
なお、この世界でルーズベルトが選挙で勝てない理由は、歴史の因果もある。
ドイツの占領統治の段階でルーズベルトが現役大統領だと、ドイツ(西ドイツ)の戦後統治がもっと酷い事になる可能性が高い為。
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