017 「外伝・終戦」
「終戦おめでとう」
その言葉が、しばらくは日本で流行語のように言われた。
普通なら「戦勝」なのだが、それを敢えて言わないところがある意味日本らしいのだろう。
もしくは、日本人の意識が変化したのかもしれない。
もっとも、戦争は遠く離れた場所に兵隊達だけが行ったので、多くの日本人にとって現実感に乏しかったからというのが「終戦」という言葉に現されているとも言えた。
「終戦って言葉は悪い印象だったけど、勝って聞くと案外悪くないものね」
「どうして?」
「夢の中の日本では、「敗北」や「敗戦」を「終戦」って言葉で誤魔化していたから。けど、勝ったのに「終戦」って使うのって、謙虚な感じがしない?」
「確かにそうかもね」
1944年の初夏のある日、豪華だが落ち着いた造りの執務用の部屋で、二人の女性が穏やかに話し合っていた。
お互い20歳を超えているが、そのうち片方の生まれつき体の色素が抜けてしまって真っ白な小柄な女性は、白いという事を除けばまだ少女で通る外見をしている。幼い顔立ちとおかっぱの髪型もあって、まるで永遠に少女のままなのではとすら思えてしまう。
もう片方は、黒絹のように艶やかな長髪が、少女の頃のままに腰のあたりまで届いていた。そして揃えた前髪のすぐ下に、ツリ目がちで意志の強そうな瞳が精彩を放っている。気の小さい者は、その瞳に無意識に見られただけで萎縮するほどだった。
見た目の年齢は20歳前後といったところ。これで4児の母だと言われたら、1944年、昭和19年という時代を考えても少し違和感を覚えるほど若々しかった。
その女性が、真っ白な女性を感慨深げに見つめる。
「どうかした?」
「うん。これで私は目標は完全達成。お芳ちゃんも、好きにしていいよ」
「まだ24なのに?」
「お芳ちゃんは23でしょう。大学に行くもよし、研究所に入るもよし、図書館に入り浸るもよし。たまに私の愚痴を聞いて、相談にも乗ってほしいけどね」
「一番最後が私の仕事なんだけど?」
「学ぶのも仕事よ。私の知恵袋なんだから。他の二人にも、海外留学や大学院とか好きな事をさせるつもり」
「他の側近は?」
「交代になるだろうけど、基本は同じ。勉強じゃなくて、単に長期旅行とかでもいいし。何なら結婚、出産してくれてもオーケー。適齢期だし。あー、けどこれからベビーブームが始まるから、出産は2、3年はズラす方が子供は楽かも」
「ベビーブーム?」
「うん。兵隊さんが動員解除や復員するでしょ。500万人も。しかも、死ぬかもって結婚だけ済ませた、若い盛りの男達が。待ってる女の方も、色んな意味で帰りを待ちかねているわよ」
「なるほどね。……それは、お嬢が見た景色からの言葉?」
「うん。そうなる。もっとも、夢の中の日本の都市は焼け野原。そこに疲れ果てた兵隊さんが命からがら復員して、それをもんぺ姿の女が幽霊でも見るように出迎えるってのが定番ね」
「前に何度か聞いた情景だね」
「うん。けど、結果、いいえ現実は大違い。戦争中、国内は戦争特需で未曾有の好景気。戦争は勝ち戦で、戦死者、戦没者は日露戦争と大差なし。戦争自体も、私の夢見より1年早く終わり。我が鳳グループは、ついに日本一の大財閥に上り詰めた。言うこと無しの結末ね」
「……本当に?」
一通り景気の良い言葉を並べ立てた主人に対して、真っ白な女性がアルビノ特有の赤い瞳でじっと見つめる。
そうすると、黒髪の女性が軽く両手を頭のあたりまで上げる。
降参の合図だ。
「終戦時点ではね。けど、この先はそれなりに大変。大半は政府と軍が大変だけど、財閥と金持ちも色々待っているでしょうね」
「戦費回収の為の富裕層に対する大増税。軍需から民需への産業の大転換。国民への戦勝の褒賞となる、戦時の各種労働者保護制度の恒久化への対応。あとなんだっけ?」
「そんなところじゃない? けどまあ、戦争が終わって良いことの方が多いわね。徴用とか動員は近いうちに解除になるし、配給や統制もおしまい。あと国民への褒賞で、婦人参政権とか民主化は随分と進むでしょうね。それに、大きな憲法改正もあるかな?」
「富裕層以外に増税はない?」
「国民所得が上がったから、むしり取られる対象は増えるでしょうね。累進課税で引っかかる人はご愁傷様。もしくは、我らがクラブへようこそ、ってところね。まあ金持ちに大増税すれば、これで明治以来問題だったジニ係数が一気に下がって、国内で共産主義に怯える事も無くなるでしょう。万々歳よね」
「……でもさ、このお屋敷からは出るんでしょう?」
「税の施行は来年か再来年度だろうから、1、2年先ね。けど、お上には献上せずにグループの不動産にするかも。その場合は、そのうち美術館か博物館。それともホテルでも良いかもね」
「未練なさそうだね。やっぱり夢で見たから?」
「さあ、どうかな。けど未練はあるわよ。住みなれた家だし。だからお上にあげたくないわね。まあ、日本最大の財閥に成り上がったから、見栄で維持しても良いけど」
「それ以前に、一族の財産だけで十分に保持できるでしょ。本丸はアメリカだし」
「アメリカも増税はある筈だから、そこまで余裕あるかなあ」
「株で随分儲けたんでしょ。ダウも終戦で上り調子だし、それにドイツで火事場泥棒したんじゃあなかったっけ?」
「火事場泥棒は現在進行形。けど大半は、アメリカに掻っ攫われるわよ。特に、ドイツが持ってる特許関連を日本が手に入れてもね。レンドリースの代金を払うお金が日本にはないから。
ダウの方は今は150ドルくらいだし、利益確定より買い増しの時期ね。アメリカも向こう数年は戦費の返済とか欧州支援に金が回って、経済は停滞するだろうから」
「あっそ。じゃあ、日本は? 停滞するなら見栄を張るのも難しいんじゃない?」
「日本はアメリカと違って、今まで戦費に回ってたお金を公共投資や経済に回すから、少しマシになる筈。そういうレポートも出てたでしょ」
「そうだったね」
「うん。日本はまだまだ新興国。弾丸列車や高速道路どころか、普通の舗装道路もまだ途中。ダムに堤防に街の近代化などなど、戦争で止まったままの工事も数知れず。伸び代が多いから大丈夫よ」
「確かに。でも、国民所得はイギリスを抜いて世界第二位になったって、政府は宣伝してたよね」
「欧州列強はともかく、アメリカはいまだ雲の上じゃない。浮かれて良い数字じゃあないでしょ。それなのに、主要戦勝国として欧州の占領統治並びに欧州復興で存在感を示さねばならない、とか言ってるの誰よ。夢見てんじゃねーよ。現実見ろっての。そんな金、日本にねーよ。借金だらけの戦争景気だったんだぞ。戦争でいくら使ったと思ってんだよ。っての」
「戦費はざっと1500億円、600億ドル。これだけ使っても、国は傾かず経済も普通に回っているんだから、今の日本は大国だよ」
その言葉に黒髪の女性が、「フンッ」と軽く息を吐いて手をヒラヒラさせる。
「まあ、隔世の感ありってのは分かるけど、ないものはないのよ。戦争中、どれだけ背筋が寒くなる思いをしたことか。大蔵官僚に同情したくなるとは思わなかったわ」
「それこそ湯水のようにお金を使ったもんね」
「勝つ為とはいえ、総力戦はもう懲り懲りね。勝ってこれなのに、負けてたらどう思ったんだろう」
「文句言う気力も起きないんじゃない? 今のドイツがまさにそうだし」
「本当ね。なんにせよ、勝って良かった」
「それは同感」
そう言って、二人は苦笑に似た笑みを向けあった。
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富裕層に対する大増税:
イギリスでは、第一次世界大戦での戦費回収の為に、戦後に大幅な増税を実施。これでジェントリーは経済的にも没落。
(人的資源でも、次代を担う男達が戦場で大量に散って没落が進む。)
史実の日本の場合、第二次世界大戦後の大規模な税制改革で、過剰なほどの相続税、固定資産税、贈与税、累進課税など諸々が大幅に導入もしくは拡大された。さらに戦災、戦後の大インフレもあって、富裕層、中間層は殆ど消滅する。
そして一度全員が貧乏になったので、そこからの高度経済成長の先の一時期に、一億総中流などという世界的にも非常に稀な状態が生まれた。
つまりこの世界で一億総中流は起こり得ない。一定の格差が常に存在したままとなる。
状況的にはイギリスが近いだろう。
ジニ係数:
所得などの分布の均等度合を示す指標。
要するに貧富の差の指標。数字が小さい方が所得格差が小さい。
戦費:
史実での支那事変、太平洋戦争の合計の戦費は、7600億円と言われる。ただし政府の歳出は約2000億円。
(昭和20年の為替は1ドル=15円。7600億円でも約500億ドル)
日本のGNPは、まだ平時だった1937年は234億円。戦争末期の1944年には745億円。ただし為替は、1ドル=3円30銭程度から最低でも実質は1ドル=10円程度に下落。(名目上は一応1ドル=4円)
アメリカの戦費は総額約3000億ドル(資料により違いあり)。この世界では、アメリカが参戦している時期が短いので、最低でも500億ドル程度は少ない。ただし史実で対日戦に注がれた分が、全部ドイツに叩きつけられている。
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