012 「外伝・第二次世界大戦・略歴年表(1)」
・1939年
8月23日:「独ソ不可侵条約」締結
8月25日:日ポ相互援助条約締結
8月27日:日ソ国境紛争停戦合意
9月1日:ドイツ軍がポーランドに侵攻開始
9月3日:イギリス、フランス、日本がドイツに宣戦布告。正式に第二次世界大戦勃発
同日、アメリカは中立を表明
9月17日:ソ連がポーランド侵攻開始
9月28日:ワルシャワ開城
10月6日:ポーランド戦終了
11月30日:「冬戦争」勃発。ソ連がフィンランドに侵攻
12月:日本、最初の欧州派遣部隊(艦隊)が日本本土を出発
12月10日:国際連盟、ソ連を除名(日本も常任理事国として議決に参加)。国際連盟の事実上の最後の仕事。
12月17日:ドイツ海軍のポケット戦艦が南米沖で自沈
・1940年
1月:満州臨時政府が満州国として中華民国より独立。
(中華内戦と極東防衛の観点から。その代償として、日本から中華民国に膨大な援助が行われる。)
1月:日本海軍の第一陣の艦隊がヨーロッパ到着。以後、続々と続く。派兵は海軍中心。
2月:日本、「紀元二千六百年」。戦争勃発を受けて、戦意高揚を図る方向性が強まる。
この年開催予定の万博は「延期」。
3月:「冬戦争」終結。フィンランドが敗北し、多くの領土をソ連に割譲される。
3月下旬:日本、1940年度予算通過。本格的な戦時財政、戦時体制に移行
4月:ドイツ、デンマーク、ノルウェーに侵攻
4月:イギリス、ノルウェーへ派兵(現地日本海軍も支援)
5月10日:ドイツ、西欧への侵攻開始
5月半ば:英仏の日本軍派兵を求める声が悲鳴に変わる
日本、大量の艦隊、航空隊に加えて、地上部隊の第一陣として3個師団の緊急派兵を決定。
5月25日:日本軍航空隊が「ダンケルクの戦い」で実戦参加。艦隊も支援
6月10日:イタリア参戦
6月14日:ドイツ軍、パリ無血入城
6月22日:フランス降伏
7月10日:「バトル・オブ・ブリテン」開始
7月15日:「シチリア島沖海戦」。日本船団を阻止しようとしたイタリア海空軍は阻止に失敗(小規模な海戦。日本とイタリアの初戦闘)
7月22日:イギリス国会、ドイツの和平提案を拒否
同日、日本の大船団がブリテン島到着(以後の輸送船団は、イタリア参戦の影響で地中海航路をあまり使わなくなる。)
8月13日:「アドラー・ターク」ドイツ、イギリスへの大規模な航空攻撃作戦開始
8月14日:日本軍航空隊、「バトル・オブ・ブリテン」に本格参加
8月24日:ドイツ、ロンドン爆撃。翌日、イギリスがベルリン爆撃。
9月7日:ドイツ空軍の1000機によるロンドン空襲
9月9日:イタリア、エジプトに対し軍事進攻開始
9月15日:「バトル・オブ・ブリテン」で最大規模の戦い
9月17日:ドイツ、「ゼーレーヴェ作戦」(英本土侵攻作戦)延期
9月23日:日本、自由フランス委員会の要請を受けて、自由フランス軍を先頭としてインドシナに進駐開始。しかし、ヴィシー政府側についた現地軍と小規模な戦闘となる。進駐後は自由フランスに任せる。
9月27日:ドイツ、イタリア軍事同盟締結
秋:
日本軍は、英本土との補給路強化の為、地中海での海空戦力を大幅に増強。距離の問題から、地中海を海上交通路に使おうとする。
また、イタリアのリビアへの海上交通路を攻撃。小規模な海戦が頻発。リビアのイタリア軍は、一時的に補給を断たれた状態になる。
10月28日:イタリア、アルバニアからギリシアに侵攻開始
11月:アメリカ大統領選挙は、ルーズベルトが辛うじて勝利。
11月11・12日:「タラント空襲」。日英の空母機動部隊によるイタリア海軍の拠点への攻撃。イタリア海軍、大打撃を受ける。海軍主力は一時的に壊滅。
12月:エジプトで、イギリス軍と一部日本軍がイタリア軍に反撃開始。現地イタリア軍は早期に総崩れ。
12月:日本、シチリア島を空襲。現地に進出を開始していたドイツ空軍の戦闘機隊とも交戦。現地航空部隊に大打撃を与える。大規模な空母機動部隊(空母4隻)を初めて運用。空母機動部隊の機動性と集中性を証明。
12月:日本軍、マルタ島に航空隊を展開。現地イギリス軍と連携。
同月:ドイツ、地中海の海上補給路が確保されるまで、リビアへの援軍派遣を延期。
・1941年
1月〜4月:ドイツ海軍、水上艦隊による大規模な通商破壊戦を数度に分けて実施。
日本、全ての戦艦の欧州派遣を決定。
2月:日英軍、リビアの東半分を占領。現地イタリア軍壊滅。
3月:日本軍(海軍)、リビア東部のベンガジに航空隊の基地設営。
3月11日:アメリカ、「レンドリース法」成立。連合軍への本格的貸与、供給を開始。
3月27日:「マタパン岬沖海戦」イタリア海軍、英海軍に大敗を喫する。タラントでの損害と合わせて、以後、活動は大きく低下。
ドイツ、リビアへの援軍派遣を無期延期。代替案として、シチリア島の空軍を強化。
連合軍に対する海上交通路遮断作戦と、日英軍との間に航空撃滅戦が始まる。
4月:中東イラクで親独派がクーデター
4月6日:ドイツ軍など、ユーゴスラビア、ギリシャ侵攻開始。
日英、ギリシャに大規模な増援派遣
4月中旬:日英軍、ギリシャ本土より撤退。航空戦力差から、ドイツ軍は追撃しきれず。
4月下旬:ドイツ、ギリシャを占領するが、連合軍の反撃が激しくクレタ島攻略は中止。
5月〜6月:日英仏軍、イラクを中心に中東地域の平定を進める。(日本、中東利権を確保したと言われる。)
5月24〜27日:「デンマーク沖海戦」でドイツ戦艦ビスマルクが、イギリス巡洋戦艦フッドを撃沈。その後「北大西洋海戦」で、日英の空母機動部隊の追撃でドイツの戦艦ビスマルクが航空機(空母艦載機)により撃沈される。
6月22日:ドイツを中心とする枢軸軍「バルバロッサ作戦」発動。ソ連に全面侵攻開始。
6月24日:日本、内閣交代。総力戦体制強化の為に平沼内閣は総辞職し、軍を辞した永田鉄山を首相とする挙国一致内閣が成立。
6月25日:フィンランド、ソ連に宣戦布告。「継続戦争」開始。
6月30日:ソ連と日本、独ソ戦開始後最初の大臣級の会談。
7月2日:日ソ相互不可侵条約を締結。(秋までに互いの極東、満州の軍の移動を開始)
7月:ソ連がアメリカのレンドリースを求めるも、アメリカは世論の反発が強く見送り
7月23日:ドイツ軍、キエフ包囲戦開始。(〜9月19日)
8月9日:「大西洋会談」開催。大西洋憲章の調印。日英米首脳会談。永田鉄山、国際デビュー。
8月25日:日英軍、ソ連軍がイランに侵攻。(日本、イランから恨みを買う)
9月3日:日本、民意の反発(反共)を抑え対ソ援助決定。秘密協定で、アメリカの対ソレンドリースも日本への支援の名目でソ連援助が決まる。
9月29日:最初のイギリスによる北極圏船団が出発。
10月2日:ドイツ軍、「タイフーン作戦」開始。モスクワ攻略戦開始。
10月19日:ロシアの大地に例年より早い「泥将軍」、雨季が到来。ドイツ軍の進撃が大きく鈍る。
10月21日:日本による最初のソ連援助物資がウラジオストクに陸揚げ。
11月7日:東部戦線で急速な温度低下。「冬将軍」到来。ドイツ軍攻勢再開。
11月:日英軍、北アフリカのリビア西部に侵攻開始。
12月4日:ソ連、モスクワ正面で冬季反抗開始。シベリアから移動した1個軍集団相当の大軍も反抗に投入。ドイツ軍、モスクワまであと10キロに迫るも総退却。
12月8日:アメリカ海軍の巡洋艦が所属不明潜水艦に大西洋上で撃沈される。アメリカ世論が沸き立つ。
12月10日:シルテ湾海戦。マルタ島の補給を巡る海戦。日英軍、マルタ島に膨大な物資の搬入に成功。
同日、日本海軍の空母機動部隊が、シチリア島などイタリア南部を激しく空襲。その後、基地航空隊による航空撃滅戦を展開。イタリア南部の枢軸空軍に大打撃。
12月13日:イタリア海軍、アレキサンドリアを人間魚雷で攻撃。日本の戦艦『扶桑』『山城』大破着底。また連合国海軍は、前後して各所で大きな損害を受ける。
連合軍、日本海軍のさらなる増援で損害を補充。これに対して、枢軸側は補充できる戦力なし。北アフリカ進出の計画も完全に中止。
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.。゚+..。゚+.玲子の部屋.。゚+..。゚+
舞「こうやって見ると、戦争は1941年の夏が節目ね」
お嬢様「確かにそうですよね」
沙羅「じゃあ、アメリカなしでも勝てた?」
舞「沙羅、それは無理よ」
お嬢様「負けないにしても、勝ちきれなかったと思います」
舞「戦略研でも、そんな結果が出ていたわね」
沙羅「そう言えば見たような気が」
舞「沙羅」
沙羅「いや、だって、この頃の私達は子作りと子育てで、仕事はあんまりしてなかったでしょ」
舞「もうっ」
お嬢様「産めよ増やせよも政府の政策でしたし、普通ならサラさんの感覚が正しいですよね」
舞「……確かにそうね。それにしても、私達って因果な商売しているのね」
沙羅「戦争特需でウハウハ、だったっけ?」
お嬢様「規模の拡大はともかく、利は薄いか無いか、それとも赤字なんですけどね」
舞「お国の為。仕方ないわ」
お嬢様「はい。勝ったからこそ言える愚痴ですね」
沙羅「勝てて本当に良かったねー」
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