010 「外伝・第二次世界大戦(7)」

 連合軍の総反攻は急激だった。

 その象徴である上陸作戦は完全な成功。作戦参加した兵士たちの多くが、拍子抜けしたと言ったほど。


 上陸2日目には、上陸した兵士と上陸より先に降り立った空挺兵が握手した。

 ノルマンディー海岸への上陸開始から3日目には、予定より早くコタンタン(ノルマンディー)半島の付け根の分断に成功。これで物資の揚陸ができる港があるシェルブールは孤立した。

 また東側では、上陸2日目に上陸した地区の重要拠点となるカーンの町に連合軍が入った。ドイツ軍の抵抗は微弱で、翌日には完全占領に成功する。


 そして上陸2日目には、この上陸作戦での最大の「秘密兵器」である人工的に港を作る工事が開始されていた。この人工港が完成して稼働すれば、膨大な物資の揚陸が簡単に可能となり、連合軍はすぐにも大規模な進撃を開始する予定になっていた。

 それ以前に、港には奇妙な揚陸艦艇が無数にいて、膨大な兵力と物資を迅速に陸地に吐き出していた。

 上陸2日目の朝には、早くも第二波の上陸部隊が第一歩を記している。


 だが、連合軍の上陸が成功した最大の理由は、ドイツの無防備さだった。何しろ、移動力のない貧弱な歩兵師団以外、周辺にドイツ軍の姿は見られなかった。

 僅かに後方で確認されたドイツ軍部隊も、師団とは名ばかりの戦力が磨り減った部隊が休養地から慌てて動き出した程度。

 連合軍の戦略的奇襲攻撃が成功したのは明らかだった。

 空挺作戦に参加した日本軍の広報担当の将校が、「我奇襲ニ成功セリ」と書き残したほどだ。

 

 その頃ドイツ軍は、大慌てでフランス北西部の防衛体制を整えようとした。

 もちろん、ヒトラー総統がどれほど厳命しようが、連合軍がノルマンディー海岸の沖合に姿を見せた時点で上陸阻止は不可能と分かった。

 だが、とにかく連合軍を押しとどめ、戦線を形成できるだけの部隊と体制を用意しなければならなかった。でなければ、フランスどころかドイツ本土までガラ空きだったからだ。


 だが肝心のフランスに、止める為の兵力が無かった。半数は自力での移動力がなく、もう半数は傷だらけか新兵しかいない。しかも空襲で移動がままならない。

 兵力は、ドイツ本国で再編成が完了しつつある一部部隊を除けば、ソ連軍と戦っている東部戦線から持ってくるしかなかった。

 でなければ、西部戦線を構築する前にドイツは連合軍に押し潰されてしまう。


 この為、1ヶ月後の7月初旬に予定していた、ソ連に対する大規模な夏季反抗作戦は準備段階で中止された。

 この作戦には、幾つもの新型戦車を含む戦車・突撃砲3000両と2000機の航空機、80万名近い兵士が投入予定だった。

 このうち3分の1を急ぎフランス方面に移動する事が、6月7日の時点で決定する。他にも、引き抜ける限りの戦力を移動する計画がすぐにも動き出した。


 最終的に、東部戦線全体で全軍の3分の1近くが西に移動する予定となった。

 ただそうすると、東部戦線では攻勢作戦を取るどころか、戦線を維持する事も難しいと考えられた。既に数では、ソ連軍が大幅に圧倒していた。

 そこでソ連軍の動きを見つつだが、戦力を抽出できるように戦線を整理していく事にもなった。


 だが戦争には相手がいる。

 ソ連は、少し前から連合軍の総反攻を知らされていた。

 当然、目の前のドイツ軍が減るのに合わせた、早期の反攻作戦が急ぎ準備された。

 また移動させないまでも、嫌がらせを実施した。


 この為ドイツ軍の東部から西部への移動、戦線の整理は、6月初旬はともかく半ばになるとソ連の激しい攻勢に晒されつつ行わなければならなくなった。

 そして当然というべきか、限られた戦力となってしまったドイツ軍に、兵力の移動を計画通り進める力はなかった。


 それだけでなく、移動予定の戦力の一部を防衛に使わなくてはならなかった。それどころか、戦闘に巻き込まれて移動どころではなくなった部隊も少なくなかった。

 この為、予定していた期間に戦力の7割程度しか西へ移動する事ができなかった。しかも移動できた戦力の半数以上も、予定より遅れての移動となった。

 それに東部戦線から戻した戦力のかなりは、新たな戦いにそのまま投入するには戦力的にも疲弊している場合が少なくなく、さらに投入が遅れる事となった。


 この結果、西部戦線への戦力投入は、数が少ない上に逐次投入にならざるを得なかった。戦力が逐次投入であっても、投入しなければ連合軍に無人の野を進ませる事になるので、泥縄式と分かっても投入しないわけにも行かなかったからだ。

 幸い、6月半ばまでの連合軍も、内陸への侵攻の為には色々な準備、段取り、小さな混乱の連続、そして駆けつけた少数のドイツ軍の決死の防戦などでパリに向けての進撃は無理だった。

 だが、急速な勢いで日々占領地は拡大させていった。


 なお、この一大上陸作戦に際して、日本軍の役割は補助的なものとなった。

 理由の多くは、日本軍の戦力のかなりが地中海に展開していた為だ。この戦力の一部はイタリア方面だったが、それよりも多くの戦力が南仏海岸を指向していた。

 ノルマンディー上陸作戦と時間差をつけて、南仏でも実際の上陸作戦が決行されたからだ。


 この為、ノルマンディー方面の上陸作戦では、第一連合空挺師団(陸海軍合同)が直接参加したのみだった。それ以外は、第二陣以後の上陸となっていた。

 この第二陣以後も、主力は南仏方面から注ぎ込む予定だったので、完全な脇役に回されたと日本軍の一部だけでなく日本国内でもかなりの反発が出ている。

 日本は最初から参戦しているのに、という感情論だ。また大舞台に参加できなかったという感情論も強かった。


 しかし日本政府および軍は、戦争のメインスポンサーがアメリカである事を十分に理解していた。それに損害と散財が最小限で済むなら、それで構わないと考えていた。

 所詮、ヨーロッパでの日本は外様(とざま)であり、どれだけ活躍しようとも、戦争が終わったらあまり大きな顔を出来ないと理解していたからだ。


 加えて、大きな顔をし過ぎてもいけないと、正しく理解していた。何しろ自分たちは有色人種だからだ。

 さらに付け加えれば、日本政府としては戦後に駐留や復興で負担したくなかったという面も強かった。


 それに今まで日本軍が主戦場としてきた地中海方面では主役なので、それで十分という雰囲気が現場では強かったとも言われる。

 そうした様々な感情などは、ヨーロッパに来て様々な人種の違いからくる体験をさせられた結果だった。


 そうした日本の思惑や複雑な感情はさておき、ノルマンディー上陸作戦の成功によって戦争は一気に急加速する。


 6月25日、今度は南フランスの海岸に日本軍を中心とする連合軍が大規模な上陸作戦を決行。

 既にフランスにいるドイツ軍は及び腰で、北部以上に手薄だった事もあり、上陸作戦は無血上陸のごとく成功した。


 そして南部にも連合軍が現れた事で、未だまともな防衛線が構築できていないフランス方面のドイツ軍の士気が一部崩壊。

 これを見逃さなかった連合軍は、自分達の準備不足をよそに果敢なパットン将軍の言葉に押されるように一気に突進と言えるほどの進撃を開始する。


 この進撃は、まだ連合軍の大規模な内陸部侵攻はないと見ていたドイツ軍の不意を突く形となり、多少は集まっていた現地ドイツ軍の主力部隊の約半数を包囲殲滅。パリへの道を大きく切り開く事になる。

 そしてパリは、7月8日にドイツ軍の実質的な無血後退に合わせる形で解放された。


 しかも連合軍の進撃は、戦線の整理、補給線の延長を待つなどの時以外は止まる事はなかった。ドイツ軍が総崩れ状態なところに付け入り、7月中にはフランス全土をほぼ解放。

 さらに進撃を続け、中旬にはベルギー、ルクセンブルクをほぼ解放し、港湾都市アントワープを7月18日に奪回する。

 アントワープは、あまりに連合軍の進撃が早いのでドイツ軍は港湾施設破壊が出来なかったほどだった。


 ただしここで、抜本的な補給体制の再編成を強いられ、連合軍の進撃は一時停滞。この間に、東部から戻って来たドイツ軍部隊が多数配置につき、戦線は膠着する様相を見せる。


 だが勢いに乗る連合軍は、「クリスマスまでに戦争を終わらせる」べく、8月1日に補給体制の構築もそこそこに次なる作戦を発動させる。

 史上最大規模とも言われる、大規模な空挺部隊を投入した野心的な作戦で、一気にオランダの中央部を流れるライン川を抜けて川の東側へと進んでしまおうというものだった。


 この作戦が成功すれば、ライン川中流域のドイツの重工業の中心部であるルール工業地帯は裸同然となる。そしてドイツの兵器生産力が大きく落ちれば、謳い文句通り年内のドイツ降伏も夢ではなかった。

 しかし、あまりにも性急すぎる作戦だった事と、運悪くドイツ軍の精鋭部隊が作戦地域で配置についていた事などから、この野心的な作戦は実質的に失敗。ようやく形成されたばかりの西部戦線は、補給体制の確立の為もあって一度完全に停滞してしまう。

 これが8月の状況だった。


 だが、上陸から一連の作戦によりドイツ国境近くに西部戦線が形成され、ドイツ本土まであと少しとなった。

 誰もが戦争がもうすぐ終わると考えるようになり、人々の関心はドイツがいつ降伏するか、ベルリンは誰が陥落させるかに移っていく。

 圧倒的な国力差、物量差を前に、戦争は一気に事後処理、消化試合へと突入していく。


 そしてそれは、連合国諸国とソ連による、次なる世界の覇権を奪い合う場へと変化した事も意味していた。



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.。゚+..。゚+.玲子の部屋.。゚+..。゚+


龍一「画竜点睛を欠くだよなあ」

お嬢様「まあ、あれね。お約束、様式美よ」

玄太郎「様式美ってなあ。でも、夢見であったんだったな」

お嬢様「うん。口すっぱく警告したのになあ」

虎士郎「でも最初のやつは、『史上最大の作戦』だよね。ラララッラー、ラララーラ」

瑤子「昔映画で見たわね。でも、お兄ちゃんがダメ出しした方は『遠すぎた橋』よね?」

お嬢様(私の歴女知識も、だいたいその二つの映画なのよねえ)

玄太郎「ん? 夢になかったのか?」

龍一「俺は玲子と父上から話を聞いたぞ。現地で警告もした」

瑤子「そう言えば、お兄ちゃんはこの頃ヨーロッパだったのよね。羨ましいなあ」

龍一「ああっ。この目で拝んできたぞ。歴史的瞬間を」

虎士郎「僕も慰問で行ってたよー。郊外の何もないところばかりだったけどね」

玄太郎「僕は内地で書類と会議漬けだったな」

瑤子「勝次郎さんも、似たような感じだったわね」

お嬢様「何にせよ、みんなあの頃はご苦労様」


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ノルマンディー上陸作戦は丸一年、パリ解放からマーケットガーデン作戦は1年1ヶ月ほど史実より早い事になります。

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