007 「外伝・第二次世界大戦(4)」
1941年6月22日にドイツがソビエト連邦に突如侵攻を開始する事で、世界情勢は激変した。
もっとも、攻め込ませたヒトラーらドイツ中枢の一部の者達は、ソ連は大粛清や無理な政治で内情はガタガタ、年内に戦争は終わると楽観していたと言われる。
そしてソ連を倒して併呑した上で、イギリスを降伏へと追い込んで戦争に終止符を打つつもりだったとも。
この中で、日本の事は考えられていなかった。
イギリスが降伏してしまえば戦争理由を失って勝手に手を上げてくる、という程度にしか考えていなかったと見られている。
何しろ、ナチス政権から見れば、日本は劣等人種の三等国家に過ぎない。
だが世界情勢は、そのような稚拙な妄想とすら言える思惑通りには運ばなかった。
古来からの敵の敵は味方の図式により、日英とソ連は即座に握手した。日本国内でははかなり強い反発が見られたが、内閣を短期間で交代させ、反対勢力を警察組織が一斉検挙などで封じ込めソ連との共闘体制を構築した。
ナチズムは共産主義以上に危険だからだ。
もっとも、日本が無条件にソ連と軍事同盟を結んだわけではない。むしろ、国際条約を結ぶ事はなく、単に敵が同じになったので共闘したという状況に過ぎなかった。
だが、ソ連にとっては勿論だが、日本にとっても大きな利益があった。
事実上の不可侵と共闘が約束され、互いに満州と極東に積み上げていた膨大な軍事力にフリーハンドを与える事に成功した。
勿論、簡単に交渉は運ばなかったし、互いに深い疑心暗鬼もあった。だが、それでも夏のうちに、互いの兵力の多くがそれまでの場所を離れられるようになった。
ソ連が日本や極東どころではなくなったからだ。
そして半年後には、日本軍25個師団、ソ連軍40個師団を中心とする膨大な兵力は、独ソ戦開始から互いの軽装備の国境守備隊以外、多くが姿を消す事になる。
しかし日本側は、満州臨時政府軍を動かす事はなかったので、ソ連も極東に5個師団程度の兵力を万が一に備えて配備し続ける事にもなる。
だが逆に35個師団とその支援兵力という膨大な戦力が、ドイツとの戦いに投じられる事になった。
そしてドイツ軍は、この通称「シベリア軍」を軽視しており、半年後に手痛いしっぺ返しを受ける事となる。
また秋には、最初の日本による援助物資がウラジオストクか満州の大連に陸揚げされ、早くも冬の戦いには一部が使われるようになっている。
特に満州で多少余剰していた食料は、この年厳しい冬に見舞われたソ連にとって大きな助けとなった。
一方の日本は、この秋から続々と主にブリテン島に自らの大兵団の移動を開始する。一部は中東、北アフリカ、地中海にも向かったが、派兵兵力の8割までが2年後までを目処にブリテン島を目指す事になる。
そして日本としては、その巨大な兵力でフランス正面での大規模な反攻作戦を実施する腹積もりだった。
特に満州にいた陸軍の主力航空戦力の派兵は早く、42年春にはドイツを強く圧迫するようになる。
また一方で、1939年秋の開戦から数えて、この年の秋が来れば丸2年となる。当然、日本国内での総力戦体制は整えられ、武器弾薬をはじめ戦争に必要なあらゆる製品が無尽蔵に生産されるようになっていた。
徴兵、召集、訓練も進められ、1941年6月時点で取り敢えず200万の陸軍は完成見込みだった。兵士の動員全体も、1942年には陸海軍合わせて500万人に達する見込みだった。
そしてうち半数を、完全武装の上でヨーロッパに派兵する計画で日本帝国は動いていた。
そのくらいの兵力を派兵しなければ、フランス方面からの反撃は戦力的に不可能と考えられていたからだ。
そしてこの頃の前提条件として、アメリカの参戦とその兵力は考えられていなかった。
日英は、アメリカ軍抜きで戦争に勝つ予定で動いていた。
何しろアメリカ市民は、戦争景気だとはしゃぐばかり。飛び火を警戒した自らの軍備増強以外は連合国の援助止まりで、参戦は否定していたからだ。
しかも1940年11月の選挙では、参戦はしないと言った民主党のフランクリン・ルーズベルトが何とか3選を果たしていた。
ルーズベルトが勝利したのも、ヨーロッパでの戦争が激化したからで、アメリカ市民の戦争を嫌がる傾向はそれだけ強かった。
加えて1941年6月にドイツがソ連に侵攻開始すると、アメリカ国内の反共産主義世論がさらなる戦争否定へと傾かせた。
ドイツと戦うという事は、ソ連、共産主義と手を組む事にもなるからだ。
もっとも、当のルーズベルト政権は、イギリスが倒れないまでもドイツが勝利してヨーロッパの市場を失う事を強く警戒していた。
また、ルーズベルト政権の内部には水面下に潜む多くの社会主義者、共産主義者とそのシンパがいまだに多く残っており、彼らとしては何としてもソ連滅亡を避けようと考えていたと言われる。
その影響からか、アメリカはこの戦争においても陰謀論が囁かれ続けるような状況で戦争に加わる事となった。
最初の大きな事件は、1941年12月8日にアメリカ本土に近い北大西洋上で、アメリカ海軍の巡洋艦が所属不明の潜水艦から雷撃を受けて沈没した事件だった。
この時沈んだアメリカ海軍の巡洋艦は、自国商船を護衛中だった。この為、護衛されていた側の商船と他の友軍艦艇が、写真で巡洋艦が沈む様子を捉えていた。
この事件にアメリカ世論は激昂。アメリカ政府も、まずはドイツ政府に対して事実関係を明らかにする事を要求。突然魚雷が巡洋艦を沈めたのだから、潜水艦による攻撃に違いないからだ。
そして日英がアメリカ海軍の巡洋艦を攻撃する理由がない。そもそも日本海軍は、北大西洋に潜水艦を派遣していなかったし、イギリス海軍は北アメリカ大陸側に潜水艦を配備する余裕はどこにもない。
故意であれ誤認であれ、攻撃したのはドイツ海軍の潜水艦以外に考えられなかった。
だがドイツは、日英の陰謀だとほぼ即座に強く否定。一方で調査も何もしなかった。勿論だが、謝罪、弁明は一切なかった。
ただし、調査をしなかったのは、主にヒトラー総統がアメリカを侮っていた為とされる。さらにアメリカ海軍が既にイギリスに向かう商船の護衛をしたり、ドイツ軍潜水艦に威嚇攻撃を行うなどしていたので、ドイツ側が相当苦々しく考えていた為だとも言われる。
しかし、この一件だけでアメリカは参戦には至らなかった。ルーズベルト大統領も、議会に参戦の是非を問う事はなかった。
だがその後も、ドイツ軍潜水艦がアメリカ沿岸で浮上航行しているとか、アメリカ船籍の艦船を誤認して攻撃したといった事件が何度も発生した。
そして決定的事件として、1942年5月にアメリカ船籍の貨客船が原因不明で沈没し、多くの民間人の命が失われた。しかも沈没場所が、アメリカ沿岸と言える場所だった。
これでアメリカ世論は再び激昂。ルーズベルト大統領も、議会の要請を受ける形で、遂に議会に参戦の是非を問うに至る。
もっとも参戦に否定的な世論も強く、その意を受けた議員による反発も少なくなかった。
この為、参戦の是非はかろうじて賛成が上回る。参戦当初の国民の戦意も、全体として高いとは言えなかった。
だが、事実としてアメリカは遂に参戦した。
その間戦争は、ドイツがソ連領内深くに攻め込んだ戦いが多くを占めた。
それ以外では、日英の航空部隊がドイツ北西部に対する戦略爆撃を大規模に行うようになる。北大西洋と地中海の一部では、枢軸側の潜水艦と日英の護衛艦艇が激しい戦いを繰り広げた。
既に全ての主要参戦国の戦争経済がフル回転する状態に入りつつあるので、互いに巨大な戦力を作り上げ、激しく潰し合っている状態だった。
そうした状態に対して、ソ連に全面侵攻したドイツがやや不利になっていた。戦争では決して行ってはいけないと言われる、二正面での戦争を自ら始めてしまったのが主な原因だ。
しかも欧州大陸を制覇したとは言っても、日英の国力、生産力を全て合わせると、ほぼ互角だった。その上、ドイツ本国の生産力に匹敵する工業力を持つソ連と戦い始めたのだから、ドイツが不利になるのは当然の結果でしかなかった。
加えて言えば、占領地の生産力を占領前同様に稼働させる事は、全ての面から不可能だった。
例えばフランスの粗鋼生産力は、降伏前は1200万トンあった。しかし、ドイツは主要生産地の一つを併合して3分の1を奪うも、残りは消極的サボタージュや海上交通途絶による資源不足などで半分の生産力に下落している。
他の地域も似たり寄ったりだった。
そこに物資不足、資源不足が拍車をかけた。
この点で、ドイツは戦争に失敗したと言われる事もある。ただしドイツとしては、他にも計算外というより予想すらしていなかった事態があった。
その予想していなかった事態とは、日本の国力と生産力だった。
ドイツは、日本を軽視していた。それどころか、殆ど眼中に入れていなかった。
典型的な人種差別の発露でしかないが、大半のドイツ人が本気で大した事のない三等人種だとしか考えていなかった。
辛うじて評価に値するのは、英米に次ぐ規模を有する海軍くらい。だがそれも、自らの潜水艦隊の前には張り子の虎だと考えていた。
事実日本海軍は、開戦から1年以上経っても苦戦を強いられ、損害を積み上げていた。
また本国とヨーロッパの距離が遠すぎる事と、ソ連との極東での対立があるので、十分な戦力をヨーロッパに送り込めていなかった。
地中海方面には、海軍力を中心に早期に大軍が展開したが、それはイタリアが対応するべきでドイツにはあまり関係がないと考えられていた。
少し様子がおかしいと考えるようになったのは、1941年に入ってからだった。イギリス空軍と共に、日本陸海軍の航空隊が西ヨーロッパ沿岸部を激しく爆撃するようになったからだ。
それでも程度問題だと考え、先にソ連を叩く事にした。
ソ連を半年で滅ぼし、返す刀でソ連の資源も活用して生み出した軍備で、日英を叩き潰すという計画だ。
しかし戦争には相手があり、自らの思惑通り進む筈もなかった。
ソ連との戦いでは、例年よりかなり早い冬の到来、厳しい冬、無尽蔵に出現するソ連軍、頼りにならない友邦軍などに苦労しつつも、12月にはモスクワ市街まであと10キロメートルにまで進軍する。
世界中でも、モスクワ陥落かと悲報が飛び交った。
これでソ連側に兵力が残されていなければ、ドイツが押し切れると考えられた状況だ。
しかしソ連には、極東から根こそぎ持ってきた精鋭部隊があり、その他にも十分な反撃用の戦力が確保されていた。ドイツ軍は、モスクワを半ば囮とした罠に引き込まれた形だ。
だからドイツ軍が攻勢の限界に達した時点で、ソ連赤軍は大規模な反抗を開始。モスクワは守られ、ドイツ軍は例年よりも厳しい冬の戦いを強いられる事となる。
そしてその後、ドイツは戦争のイニシアチブを徐々に失っていくようになる。
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.。゚+..。゚+.玲子の部屋.。゚+..。゚+
お嬢様「USA! USA! USA!」
勝次郎「なんだ、藪から棒に。玲子は相変わらずだな」
お嬢様「アラ、勝次郎くん。お久しぶり」
勝次郎「ああ、久しぶり。騒いでいるのが聞こえて、こうして駆けつけたんだが?」
お嬢様「聞こえない聞こえない。私の耳には勝利確定BGMが流れているわ!」
勝次郎「ますます分からない。それにだ、ここでは独ソ戦であってアメリカ参戦じゃないだろ」
お嬢様「だって私、ナチスもソ連も大嫌いだし。ソ連もアメリカ抜きだと大変よ」
勝次郎「アメリカ参戦が重要な事くらいは誰でも理解している」
お嬢様「理解してなかった人が、当事者にいたけどね」
勝次郎「全くだったな。しかも、どうしてこう悪手ばかり打つのか、素人目にも理解に苦しむ」
お嬢様「二正面戦争、ソ連舐めプ、日本蔑視、アメリカ軽視。そして根拠のない自信」
勝次郎「当人達は根拠十分だったと思うがな」
お嬢様「それを慢心って言うのよ」
勝次郎「敵を知り己を知れば百戦危うからず、だな」
お嬢様「うん。ドイツの科学は世界一とか自画自賛しているから、ドイツには最初から負けフラグしか無かったのよ」
勝次郎「言いたいことは分かるが、訳が分からない例えだ」
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