006 「外伝・第二次世界大戦(3)」
フランス降伏後、次に戦争が大きく動いたのは1941年6月下旬だった。
この時の影響で、日本では政治にも変化が見られた。
平沼騏一郎内閣が総辞職し、永田鉄山内閣が発足した。
主な原因は、内閣総理大臣の平沼騏一郎だった。
ドイツがソビエト連邦(ソ連)に攻め込んだ事で、ソ連との関係を大きく変化させなければならないのに、平沼騏一郎がソ連との関係強化、同盟関係を強く拒んだ為だ。
ただし表向きは、総力戦体制強化の為とされた。
平沼内閣は閣内協議で総辞職が決まり、すぐにも永田内閣が発足。そして2ヶ月も経たないうちに永田首相はアメリカへ赴き、大西洋憲章を決めた会談に出席した。
軍人宰相にアメリカのルーズベルト大統領は内心で強い不快感を持ったと言われるが、イギリスのチャーチル首相は永田首相と大変打ち解けたと言われる。
そのルーズベルト政権だが、アメリカが1941年3月に法案が成立した「レンドリース法」の対象に、ソビエト連邦を含めることを民意が長らく認めなかった。
認めていたら、アメリカの参戦はさらに遠のくか、最悪できなかったと言われるほど強い民意の反発があり、ルーズベルト大統領も自らの権限で強引に認める事も出来なかった。
観測気球的な発言をしただけで、支持率が5パーセント落ちたと言われるほどだった。
故に、アメリカがソ連をレンドリースの対象にするのは、自らも参戦してからを待たなければならなかった。
このため、表向きイギリスや日本へレンドリースしたものが、横滑りでそのままソ連に渡されるという形にすらなっている。
そして安全な太平洋航路は、「日本向け」レンドリースで大変多くの船が行き交う事となる。
そしてドイツがソ連に攻め込む、アメリカが参戦する、という戦争の大きな転換点よりも前、もしくはその間も戦争は動き続けていた。
主に戦ったのは、ドイツ、イタリア、イギリス、そして日本だ。
しかし1940年夏にドイツがイギリス本土に攻め込めなかったように、戦争は半ばこう着状態に陥った。
地中海には、主に日本軍が短期間で溢れてしまった為、軍事力に不安のあるイタリアは本国に引きこもらざるを得なかった。
だが、引きこもる前に、日本軍と現地イギリス軍の戦力を侮って、自らの植民地のリビアからエジプトに攻め込み、そして少数の現地イギリス軍と日本の僅かな援軍の前に惨めなほどの敗北を喫した。
しかも1940年秋になると、日本軍が地中海に海上交通路を設定しようと躍起になり、イタリア本土の主に南部地域を激しく攻撃するようになる。
イギリス海軍と連携した、イタリア海軍の拠点タラントへの空母複数を用いた大胆かつ大規模な空襲などがその典型だった。
また長い航続距離を活かして、各所に航空隊を展開。かなりの数を早期に送り込んで、地中海の制空権獲得競争は日本を中心とする連合軍優位となった。
日本軍戦闘機の作戦行動半径の広さの為、イタリア軍は日本の空母が常に複数展開していると誤解した程だった。
この為、1940年冬にエジプトで負けてリビアの半分を失って以後のイタリアは、自らの植民地のリビアすら半ば切り捨てて本土防衛を強化する。
イタリアのシチリア島からリビア西部の制海権、制空権に大きな不安がある為、イタリアに泣きつかれたドイツも、シチリア島に援軍(空軍部隊)を派遣するにとどまった。
何しろ地中海には、海上交通路を脅かす敵に対して、手ぐすね引いて獲物を待ち構える日本海軍の精鋭部隊が、アレキサンドリアを中心にたむろしていた。
一度、イタリアが増援部隊を載せた船団を派遣しようとした時には、日本軍水雷戦隊の積極的すぎる突撃を受け、護衛艦隊と船団双方が壊滅するという大打撃を受けている。
そうした事例を見るように、地中海に駐留する日本艦隊は積極的だった。イギリスと共に、イタリア海軍最大の拠点であるタラント湾を空母機動部隊で強襲して壊滅させたり、イタリア南部沿岸を空襲して回るなど傍若無人ぶりを見せている。
中にはシチリア島への艦砲射撃すら実施した事まであった。
リビア西部が保持されている間の補給路の維持でも、イタリアの船舶、艦船は徹底的な攻撃を受けた。
また、41年春の枢軸側によるユーゴスラビア、ギリシャ侵攻での日本軍は、増援到着の遅れなどで少し出遅れるが、クレタ島に陸軍と航空隊を送り込み、さらに周辺に大規模な艦隊を集めた。
そしてギリシャから撤退するイギリス軍を援護すると共に、クレタ島とその周辺部の海上を攻撃するドイツ空軍と激しく戦い、これを実質的に退けている。
日本軍が大規模な部隊を展開しなければ、ドイツはそのままクレタ島へ侵攻していたと言われている。
そして日本軍はアレキサンドリア=クレタ島=マルタ島の空中輸送路(航空機補給路)を設定し、各地に強力な航空隊を配備した。
ただし日本軍機の大半は、スエズのポートサイドからマルタ島に無補給で移動可能だった。マルタ島には、気がついたら日本軍機が展開するので、枢軸側は航空機を輸送する「謎の輸送船団」を長らく探し回る事になる。
もしくは謎の空母が多数存在するのではと強く警戒した。
これは、欧州の一般的な戦闘機の多くが、連合軍の他の拠点からマルタ島に直接飛べるだけの航続距離がない為だった。
なお、日本が地中海航路にこだわったのは、日本本国とブリテン島の距離だった。
スエズ運河経由で地中海を通らずアフリカ大陸を回ると、時間が余計にかかってしまうからだ。
このため日本は、直接軍に関わらないものは逆回りさせる。
北太平洋を横断して北米へ、さらにパナマ運河を経由して北米大陸沿岸を通り、北大西洋を横断してブリテン島に至るというルートを選ばざるを得なかった。
当然、日本軍のブリテン島への派兵、特に陸軍部隊の派兵は、かなりの間必要最小限にならざるを得なかった。
また、輸送路に関しては、北太平洋から北米大陸の大陸横断鉄道を経由して北大西洋を抜けるルートも開かれた。
このルートでは、荷物の積み替えが大きな問題だった。
だが、日本発祥の革新的な輸送システムであるコンテナ輸送が、その問題の多くを解決した。コンテナ輸送は第二次世界大戦中に日英そして中心となったアメリカで大きく発展し、戦後は世界に広がっていく事になる。
戦争の短期終結に最も貢献したのが、このコンテナ輸送とそのシステムだったと言われることもある程だ。
そうした中での海での最大の戦闘が、1941年5月に発生した。「ビスマルク追撃戦」などと呼ばれる戦いだ。
ビスマルクというのは、この当時のドイツ海軍が誇る最新最大の戦艦だ。その最新鋭の巨大戦艦を、ドイツ海軍は連合軍の航路を脅かす通商破壊戦に投入した。
一方の日英海軍は、少し前の2月から3月にも似たような戦闘でドイツ海軍に振り回されていたので、今度こそ阻止しようと強い警戒態勢を敷いていた。
この時の戦闘では、日本海軍は『金剛型』高速戦艦4隻に加えて、最新鋭戦艦の『紀伊』『尾張』のヨーロッパ派遣を行ったばかりだった。
そして『金剛型』の『金剛』『榛名』、新型の『紀伊』『尾張』が北大西洋方面に、船団護衛の支援任務で待機していた。
また、すでに派遣された4隻の航空母艦のうち『蒼龍』『飛龍』が、北大西洋方面での作戦展開が可能だった。
さらに日本海軍は、長大な航続距離を誇る大型飛行艇を英本土、カナダ、ジブラルタルなどに展開して、偵察や潜水艦の制圧任務に就かせていた。
そして本命のイギリス海軍が、北大西洋各所に分厚い布陣を敷いて展開していた。
この濃密な警戒網の海をすり抜け、ドイツ海軍は連合軍の船団または輸送船を狙わなくてはならなかった。
通常なら、作戦を変更するか中止するところだ。
だが、恐らくは既にソ連との戦いを決意していたヒトラー総統の関心をソ連から背けるか、自分たちに向けさせるという政治的意図が、この時のビスマルク出撃にあったのではないかとも言われている。
この時の戦闘は二転三転する。
最初は戦艦『ビスマルク』の優位に運んだ。イギリスの誇る巡洋戦艦『フッド』、最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と戦い、運も味方した『ビスマルク』は『フッド』をたった1発の砲弾で轟沈させる。
だがこれが、日英側、特にイギリスを必死にさせた。全ての艦艇を出撃させ、日英海軍は『ビスマルク』を追撃した。
しかし戦場は錯綜し、一度は手負いとなった『ビスマルク』を一度は見失う。それでも諦めず、最初に一撃を与えた時と同様に空母艦載機が捕捉に成功。
そして『ビスマルク』にとどめを刺したのが、空母『アークロイヤル』『蒼龍』『飛龍』の3隻の空母艦載機だった。
3隻に搭載されていた総数約150機の小型機の群れが、友軍艦隊が『ビスマルク』に追いつくまでに2度の大規模な空襲を実施。日英の艦隊が様々な方向から殺到する頃には、既に戦艦『ビスマルク』は致命傷を受けて大きく傾き北大西洋に沈没しようとしていた。
それでも追いついた艦隊は砲撃しようとしたが、既に総員退艦が命令されていた『ビスマルク』からは次々に乗組員が脱出しつつあり、白旗を掲げたり動力が完全停止していなくとも、人道上攻撃はできかねた。
そうして『ビスマルク』は沈んだのだが、これは軍事史上画期的な事件の一つと考えられた。
それまで海の女王として君臨してきた戦艦が、航空機のみの攻撃によって沈められたからだ。
航空攻撃を受けるまでに、戦艦の砲弾数発を受けていなければ結果は違っていたという意見もあるが、事実は覆らないだろう。
しかし戦争全体で見れば、一つの戦場での出来事に過ぎなかった。戦争は国が死力を尽くして戦う総力戦であり、その最大の幕が1ヶ月後に切って落とされる。
1941年6月22日、ドイツが不可侵条約を破って突如ソビエト連邦に全面侵攻を開始した。
そしてここで、戦争は大きな転換点を迎える。
先にも書いたように日本では政権交代が起きたが、戦争全体で見るとソビエト連邦が強制的に戦争に全面参戦させられた形になる。しかも今までの戦争以上に、二つの国が互いの存亡をかけた戦いを始めてしまっていた。
それまでは、西欧、北欧諸国がそうであるように、戦争に負けても国自体が本当に滅ぼされる事例は少なかった。
この時点での現在進行形で国家と民族の解体中だったポーランドなど、一部の国が例外なくらいだ。
だがドイツがソ連に攻め込んだことで、大国同士が本当に滅ぼし合う戦争が始まってしまった。
この為各国は、今まで以上に戦争に総力を傾けなければならなくなる。
戦争のルールはより厳しくなり、敵国を完全に滅ぼす事が戦争目的へと変更されてしまったからだ。
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.。゚+..。゚+.玲子の部屋.。゚+..。゚+
お嬢様「ビスマルク追撃戦か。この時はハラハラしたわよね」
お芳ちゃん「私は、大西洋会談と独ソ戦開始で、お嬢が奇声をあげてた方が印象深いよ」
お嬢様「ゔっ。そ、そうだった?」
お芳ちゃん「うん。そう。みんなもドン引きしてた」
お嬢様「気づかなかった。けど、みんなも喜んでたじゃない」
お芳ちゃん「そうだけど、お嬢は喜びすぎ」
お嬢様「いやいや、喜ぶでしょ。これで勝ち確定よ」
お芳ちゃん「アメリカが参戦に大きく傾き、ドイツは禁じ手の二正面戦争始めたわけだからね」
お嬢様「うん。味方へのバフと相手へのデバフ両方。勝ったも同然でしょ」
お芳ちゃん「アメリカ参戦は?」
お嬢様「とどめの一撃。グランドスラム。あとは全部消化試合」
お芳ちゃん「そうかもだけど。ソ連が短期間で負ける可能性だってあったよね?」
お嬢様「日本といがみ合ってたもんね」
お芳ちゃん「アメリカとソ連も仲悪かったしね」
お嬢様「うん。いやほんと、夢見と違ったこともあったから、まだまだ大変だったわよねえ」
お芳ちゃん「だから、喜んでた場合じゃないでしょ」
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第二次世界大戦を国力と生産力から見れば、史実においてもアメリカ参戦は連合国の勝利確定、消化試合の始まりに過ぎない。
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