670 「日ソ国境紛争(7)」

 7月31日の昼前、ソ連軍のあまり統制の取れていない突撃を粉砕すると、引くタイミングを合わせて日本軍の前線の後ろから戦車隊を押し出した。


 同時に、前線の後ろからと川の西岸後方の陣地から、野砲と重砲、それに戦車砲の砲撃が開始される。

 射程距離の長い重砲は、前線や逃げるソ連兵をはるかに超えて、ソ連軍の重砲部隊が砲列を展開する場所に向けて砲撃を集中していた。


「戦車前進!」


 池田少佐の命令一下、戦車の群れが丘の陰から次々に姿を見せる。この時代の戦車にしては軽快な動きで、全体として有機的な動きを見せて各車が前進する。操作する将兵の練度も高いということだ。

 ただその速度は、戦車としてはかなり速い。人が続くとなると全力疾走でもどうかという速度だったが、戦車に続いて次々に奇妙な形の車両が姿を見せる。


 前から見ると、一見、少し大ぶりのトラックなのだが、車体の後輪が車輪ではなく装軌式になっていた。

 半装軌車、もしくはハーフトラックと言われる車両だ。

 日本陸軍が『九八式半装軌車』と呼ぶれっきとした兵器で、既に列強各国でも同種の兵器が導入されていたが、日本軍も予算拡大や軍の近代化に沿って多数が導入されつつあった。

 特に固定武装はないが、車輪だけの車よりも路外での走行性能に優れ、運転が装軌式と比べると格段に簡単などの利点があった。


 今回は、張鼓峰方面での地上戦の可能性が高いという事で、野中の大隊の一部が装備していた。

 そして固定武装がなくても、乗っている兵士は多数の武器を携行しているし、重いものも運べるので歩いたまま突撃するよりも多くの武器を携えていた。


「ガンッ!」


 軽快に前進する『九五式重戦車』の砲塔に、何か硬いものが高速で激突する。

 敵の砲弾、しかも弾道から考えて、対戦車砲か戦車が搭載する戦車砲だった。装甲が薄ければ、貫かれていた事だろう。

 だが、大陸で投入された同車両は、その火力と装甲は折り紙付きだ。その代わり他と比べると重く、橋などがなかなか渡れず苦労したと報告されているが、この場では関係ない。


 その砲塔前面装甲は、50ミリメートルの厚さを誇っていた。他も、被弾の可能性が高い、斜めになった砲塔側面の全面、車体前面上部も30ミリある。相手が37ミリ砲なら、余程の近距離からでない限り安心の防御力。流石は重戦車だった。


 しかし命中したのは、ソ連軍が多用する45ミリ砲の砲弾。『九五式重戦車』の前面でなければ、危なかったかもしれない強力な砲だ。

 そして最初の被弾と相前後して、各所に砲弾が降り注いでいた。

 日本側に呼応して、ソ連側も戦車隊を出撃させたのだ。


「各個に撃破せよ。重戦車隊はこのまま前進。各中戦車隊は両翼に展開し、敵を斜め側面から攻撃せよ。……俺達も負けるなよ」


 池田少佐は無線で命じつつ、自らも目標を探す。本来は指揮に専念しても良かったが、相手が正面だけで距離もあるので、まずは撃破に専念しようという事だった。


 そうして狭い場所で戦車戦が始まったのだが、日本軍が軽戦車を含めて60両なのに対して、ソ連軍は当初こそ同程度だったが、撃破しても撃破しても増える一方だった。

 この為当初は「相手はブリキだ。撃破数を稼ぐ好機と思え」と部下をけしかけていたが、徐々にげんなりさせられていった。


「奴ら戦車旅団を投入してきたというが、師団の間違いじゃないのか?」


「ですが殆どが小型の『Tー26』です。大陸で出くわしたという新型の『Tー31』は姿を見せていません」


 砲手の言葉に、池田は小さく首肯する。


「そうだな。いないのか、それとも虎の子なのでおいそれと出せないんだろう。だがこっちも、既に連隊は全部前に出した。それなのに、この数では押し留めるのが精一杯だ」


「越境されたくないのかもしれませんね」


「する気もないがな。それに今日は潮時だ。各隊、次に押し返したら、呼吸を合わせて引くぞ。残弾を気にせず各個撃破に専念せよ」




「やりましたね、池田さん」


 敵の砲火が取り敢えずこない場所まで後退すると、随伴歩兵で頑張っていた野中少佐が戦車のそばまで来た。それを砲塔の上で周囲を見渡していた池田少佐が、破顔した。


「こいつのお陰ですよ。相手の弾は弾くのに、こっちの弾は遠距離でも相手を粉砕してくれる。相手が多すぎて徹甲弾が尽きた時は冷や汗ものだったが、榴弾でも相手を難なく砕いてくれるんだから、本当に頼もしいよ」


「まるでブリキの玩具でしたね。お陰でこっちは、楽させてもらいました。ただ露助は、兵の命を無駄に使いすぎですね」


「戦車に直に歩兵を載せたり、無造作に戦車と一緒に前進させたりしていたな。車載銃でも、かなり倒したんじゃないかな?」


「ええ。しかも『九四式』の機関銃でも、『Tー26』を撃破してましたよ」


「うん。それは大陸でも立証されていたからな。だが、連中の45ミリはやっぱり脅威だな。完全撃破はないが、重戦車でも損傷車両を出してしまった。それ以外では、まともに撃ち込まれたらどうしようもない」


「そうですね。戦場を見ている限り、重戦車以外は当たれば両軍どちらでも撃破されている印象でした。両軍共に、攻撃力に対して防御力が不足しているのかもしれません」


「攻撃と防御はいたちごっこだからな。だが、大陸で立証されたように我が方の戦車が優勢で助かったよ。あの数は、流石に予想してなかった」


「100やそこらはいましたね。戦車師団を投入してきたんでしょうか?」


「かもしれん。だが、こっちは報告を上げて、今ある物でなんとかするしかない。対戦車砲も多めに持ち込んだというから、少なくとも撃ち負ける事はないだろ」


「そう願いたいですね。それでは」


「うん。今度酒でも飲もう」


「喜んで。では」


 そう言って野中は、部下の元へと戻って行った。

 激しい戦いになったが、戦いはまだ続くからだ。


 何しろ、ソ連軍が張鼓峰での国境紛争に用意したのは、彼らの基準での3個師団と1個機械化旅団。それに重砲などの支援部隊。さらに後方からは、航空機の支援もあった。

 つまり今回の戦闘は、まだ序盤戦に過ぎなかった。


 一方で、ソ連軍にとって、戦闘の早い段階で日本軍が大量の戦車を投入してきたのは誤算だった。

 撃破できれば誤算ではなかったのだが、大陸での情報から容易ならざる相手と見て大量の戦車を投入したのに、数で圧倒する筈が多数の戦車が撃破されるか戦闘不能となったからだ。

 しかも修理すれば使える戦闘不能車両のかなりが、両軍が対峙する間で動けなくなっているので、この戦闘がひと段落するまでは完全撃破されたも同然だった。


 なおこの戦いでソ連軍は、第2機械化旅団を戦闘に投入していた。そしてこの頃のソ連軍の機械化旅団は、とにかく戦車と装甲車の大集団だった。

 しかも、第2という若い番号の精鋭部隊だ。当然、他よりもさらに多くの戦車を保有していた。

 全ての情報が明らかになるのは情報開示されて以後の事だったが、『Tー26』軽戦車257両、新型の『Tー31』戦車81両、自走砲13両をこの時の紛争に送り込んでいた。


 そして31日の戦闘では、南北に分かれて配備されていたうちの、日本軍が反撃に出てきた北側の半数の全力で応戦していた。

 ただしこの時は、北側でも日本軍が反撃に転じ、北側の方が戦車こそないものの激しかった事、南側で戦車を投入したのに北側では姿を見せない事の2点から、日本軍戦車隊の主力部隊が北側にいつ出現するのか分からないと判断。『Tー31』戦車の大半を北側の戦線後方に伏せていた。


 この為南側での迎撃では、日本側の予測を大きく上回る約180両の『Tー26』軽戦車が、狭い戦線に波状的に投入される。

 そして45ミリ砲という大きな口径の戦車砲を搭載するも、軽戦車なだけに日本軍の攻撃に対して非常に脆かった。

 『九五式重戦車』に対しては一方的に撃破され、日本軍の30両の重戦車はそれぞれが2両以上の敵戦車を撃破していた。


 『九五式中戦車』は、戦車砲としては砲身が短く貧弱な57ミリ砲だったが、それでも『Tー26』を十分撃破できた。軽戦車として投入された『九四式重装甲車』のM2重機関銃は、正面と砲塔以外の全ての装甲を貫いて、『Tー26』を高速ですれ違いざまに蜂の巣にした。


 『Tー26』以外にも装輪式の装甲車が投入されたが、正面から戦う兵器としてはあまり有効ではないのもあって、撃破される一方だった。

 さらに、巧妙な随伴歩兵、後方の野砲、歩兵砲、対戦車砲にも撃破される車両が後を絶たなかった。


 これに対してソ連側は、とにかく数と後方からの火力で日本軍戦車隊を攻撃したが、相手に十分な力を残した状態で引き揚げられている。

 戦場に遺棄された日本軍車両もあったが、その数はソ連軍のものに対して酷く少なかった。


 そうして数時間の激しい戦車戦が終わり、お互いが後方に下がって状況を確認するとソ連側は愕然とさせられた。

 投入した戦車のうち、半数程度しか戻ってこなかったからだ。実数で言えば、生還率は46%。実に97両が、たった1回の戦闘で失われていた。

 これを日本側は、後に新聞が「戦車百人斬り」と喝采している。


 もちろん回収して修理すれば使える車両も多い筈だが、先にも書いた通り、この戦場では意味がなかった。

 対する日本軍は、中戦車、重装甲車に数両ずつの損害を出したが、重戦車はついに完全撃破されず30両全車が無事に戻ってきた。

 ただし中戦車の何両かは撃破され、中には敵中で撃破された車両も見られた。


 そしてこの、張鼓峰での国境紛争の序盤戦と言える戦いの結果は、さらに波紋をもたらす事になる。



__________________


重くて橋などがなかなか渡れず:

当時の日本本土も似た場所が多かったが、中華民国内の橋は戦車の重さに耐えられなかった。


この世界の九五式重戦車は20トンを少し超える程度の想定だから、史実でのM4戦車ほど運用に苦労はしないだろう。

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