667 「日ソ国境紛争(4)」

「内山少将は『3時間でソ蒙軍砲兵は撲殺され、射撃目標はなくなってしまう』と胸を張ったが、依然砲撃戦は続いているじゃないか。どうなっているんだ」


「当初は多数の砲を撃破したという報告も、今となっては虚しいな」


 とある部屋で、参謀達が雑談として話し合っていた。


「戦闘に誤認は付き物だ。それに向こうも、砲撃を受けて陣地転換したに過ぎなかったというだけの話だろ」


「その通り。こちらも、砲撃で破壊された砲は非常に少ない」


「それに初日と比べると、今日の敵の砲撃は随分衰えたというぞ」


「向こうも弾が減ってきたか、それとも大規模な陣地転換をしているんだろ。こっちと変わらんさ」


「だが、観測将校が友軍の砲撃の下手さ加減に匙を投げたというぞ」


 「その砲兵は、内地で遊んでた訓練不足の連中だろ。最近は予算拡大もあって訓練も増えたし、満州なら目一杯の距離でも撃てるから命中精度は高いぞ。重戦車隊ですら、戦果を挙げていると報告が上がっているじゃないか」


「そうだな。川を挟んだ中距離以下は、こちらが圧倒的優勢という報告が各所から来ている。押しているのはこっちだ。だから連中、川を押し渡ってこられない」


「そりゃあこっちは、野砲を積んだ重戦車だ。移動は楽だし、ちょっとした破片や爆風は気にせず撃てるのは大きいし、損害が少ないのも当然だ」


「ああ、そうだ。鳳大佐も随分贅沢な事をすると思ったが、悪くない戦法だったな」


 とある部屋、新京の関東軍司令部で、参謀達の半ば雑談の議論は続いている。

 一から作られた新京の街の中心部にある関東軍司令部は非常に立派な建物で、『威風凛たる』と謳われるほどだった。

 帝冠様式と呼ばれる和洋折衷の建築様式で建てられ、江戸時代のお城のような櫓の外見をした塔が3箇所備えられているのが特徴的だった。


 その建物の一室は、現在進行形で大規模な砲撃戦が展開されている、ウスリー川の中洲での国境紛争の司令部となっていた。そしてその部屋には、多数の参謀将校達が一見忙しげに働いていた。

 しかし本当に忙しいのは、砲兵関係者以外は主計、補給を担当する者達で、他の者は極端に言えば忙しい振りをしているに等しかった。



「戻ったか、辻」


「危なかったそうじゃないか」


「ご心配なく。腕の良い車引きのお陰で、事なきを得ました」


 大規模な砲撃戦が始まってから4日目の26日、新京の司令部の二人の高級将校の前に、辻と呼ばれた簡素な出で立ちと言える軍装の少佐が敬礼する。

 それを返す二人は、片方は陸軍省から出張してきている同じく簡素な出で立ちの鳳大佐、もう片方は派手な参謀飾緒などを付けた服部中佐だ。

 そして辻少佐は、九七式司令部偵察機を半ば強引に持ち出して、最前線の上を飛んで戻ってきたところだった。


「それで前線の様子は?」


「電文や伝令で報告は、ある程度上がって来ていると思いますが、双方弾切れ寸前、全体としては千日手。こう着状態ですな」


「お互い成果なしか」


「肌で感じた限りでは、贔屓(ひいき)目なしで我が方やや優勢。護衛付きで越境偵察をしたというのに、連中の戦闘機が雲霞のごとく阻止に出て来ました。見られたくないと考えれば、相応の損害は与えたと見るべきかと」


「だが決定打じゃない、か。砲撃戦だけで決着はつけられないのは分かっていたが、現実を突きつけられると意外に堪えるな」


 今回の砲兵部隊と砲弾を根回しして準備した鳳大佐が、小さな苦笑交じりでそう返す。そして当人が口にしたように、先の世界大戦でも西部戦線の戦いが大砲だけでケリがつくという事はなかった。

 東部戦線は事情が違っていたが、その東部戦線でドイツ軍の砲兵に叩かれたのが赤軍になる前のロシア軍の後継者である、目の前のソ連赤軍だ。


 一方の日本陸軍は、文字通り砲弾を山のように積み上げ、それを数日で消費してしまうという西部戦線の実情を見て、本当の近代戦に圧倒されてしまっていた。そして一時は、西欧列強の戦い方は無理だと諦めすらしていた。

 それを経済の拡大で克服して今回のソ連との国境紛争に臨めたのだが、現実を痛感させられただけだった。

 それを感じている鳳大佐を横目で見つつ、服部が口を開いた。如才のない参謀らしく、話題を変えるべきだと考えたからだ。


「空の方は? 貴様を執拗に妨害に出たという事は、連中の戦力にはまだ余裕があるのか?」


「いえ、互いに砲兵の観測機を送り込むか妨害する以外、制空権獲得競争でほぼ精一杯です。しかも、我が方の陸海軍双方の新型が、数は少ないながら圧倒しております。自分も、友軍の新型機が赤い星の戦闘機を落とすのを何度か目にしました。

 それでも深く入り込もうとした自分達を妨害に出たという事は、覗かれたくはないのではと考えた次第です」


「……砲兵以外に、何か隠しているのか?」


「何とも。ですが、さらなる増援という可能性は十分あるかと」


 二人がそう言葉を交わしつつ、鳳大佐を見る。陸軍省の中枢なら何か知っているかもという期待の目だ。

 だが二人に対して、鳳大佐は軽く首を横に振る。


「俺も現状以上は知らないよ。だがソ連軍が、欧州もしくは極東の他からさらに大量の増援を呼ぶ可能性は高いだろう」


「確かに。ですが空中では負けっぱなし、自慢の砲撃戦も精々五分五分か、下手をすればやや劣勢。川を挟んでいるので、おいそれと大軍を送り込む事も出来ず。連中、次は何を仕掛けて来ますかな?」


「張鼓峰だろ。あっちは戦車と歩兵が使える」


 辻の言葉に服部が断言する。


「それだけ、という事はないだろう。張鼓峰で揺さぶりをかけつつ、本命の珍宝島とその周辺を爆撃で叩き、そして強引に損害に構わず上陸部隊を送り込んで占領。それを以って幕引きを図る。向こうの絵図としては、この辺りだろう」


 鳳大佐の言葉は、ソ連が先に仕掛けたので係争地の中洲さえ奪えば、政治的な勝利が得られるからだ。


「では次は、爆撃ですか」


「元々ソ連空軍は、地上支援と偵察を重視しております。体制を整えたら、攻勢に転じると自分も考えます。ですが、逆はありませんか?」


「逆? 張鼓峰が本命だと?」


「はい。珍宝島が膠着状態となったので、牽制と本命を入れ替え、より確実性の高い政治的得点を狙ってくる可能性はないでしょうか?」


 辻の言葉に、上官二人がしばし考え込む。

 そして先に口を開いたのは鳳大佐だった。


「ないだろう。張鼓峰は、朝鮮国境とも接しすぎている。加えて、珍宝島と張鼓峰の司令官が同じという情報はない。より上位での、新たな命令が出たという情報もない。入れ替えとなると、珍宝島の始末を任されたジューコフという司令官の失脚につながりかねない。ソ連中央が派遣した司令官を、簡単には失脚させないだろう」


「確かに」


「となると、中洲の方はより激しい戦いになりますな」


 辻は相槌を打っただけだったが、服部の方は既に次の戦いを見ていた。

 そしてその言葉に、鳳大佐も強く頷いた。


「そうなるだろう。俺は増援の航空隊の手筈を1日も早く整えるので、内地に戻る事にする」



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しばらく、「日ソ国境紛争」の話が連続します。


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『3時間でソ蒙軍砲兵は撲殺され、射撃目標はなくなってしまう』:

史実の「ノモンハン事件」の砲撃戦の時の言葉。



友軍の砲撃の下手さ加減に匙を投げた:

史実の「ノモンハン事件」でも同様だった。



帝冠様式:

鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根をかけたデザインが特徴。1930年代のものだが、多くの建物が現存している。

今回の関東軍司令部は、史実と同じものと想定。 

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