657 「紛争続行?」
「じゃあ、聞こうか」
「はい。ですが、あくまで今の所という話になります」
お爺様の言葉で、龍也叔父様がそう切り出した。
日時は、6月も末の日曜日の午後。日本では、梅雨の真っ只中。鳳の一族としては、1週間後の7月頭にサラさんとエドワードの結婚が控えているので、今のうちにきな臭い話を聞いておこうという事だった。
顔を並べているのは、鳳の大人達のうち集まれる者、話を聞く気がある者全員と時田ら近臣達だ。
日曜だから、龍一くんと玄太郎くんもいる。そして私が居るように、マイさんも私と同じく赤ちゃん達の世話を使用人に任せていてこの場にいた。
お題は、ソ連との満州国境での大規模国境紛争。その再燃だ。
日本はガチでやる気だとソ連の上層部に情報をリークしたのに、向こうも程度は分からないけどやる気十分らしい。
日本が舐められているか恐れられているかのどちらか、という事になるのだろう。出来れば後者であって欲しい。
ソ連が紛争地域に兵力を集めている情報は、鉄道運行や物資の移動からも明らかだった。
そして現地司令官が6月初旬に交代した事も判明していた。その名を、ゲオルギー・ジューコフ。第二次世界大戦で最も活躍したソ連の将軍。ソ連赤軍最強のネームド。
ファンタジー世界なら、騎士団長にして勇者とか英雄といったポジションだ。
警戒心も強い人らしく、大粛清も上手く乗り切っている。私が龍也叔父様に要注意人物とリストアップした人物の一人だったので、辻政信が他の大勢と同様に接待や賄賂で嵌めようとした一人だけど、全然誘いに乗ってこなかったと聞いている。
辻ーんのムーブが通じないとは、流石は最強ネームドと言ったところなんだろう。
私が歴女知識でも知っている将軍の一人で、この時期に起きた『ノモンハン事件』を指揮した人だ。場所は少し違うけど、同じ人が出てきたという形になる。
こういうところは、歴史の因果というより歴史の修正力というやつを感じそうになる。
そして同じく日本側でも、服部卓四郎と辻政信の最凶コンビが関東軍の参謀として赴任していた。
ただしその関東軍は、私の前世の歴史よりも陸軍中央のコントロールが強くなっている。一方で、5月の初戦の戦いで一方的と言える勝利を得た事で天狗になっている、という話も既に聞いていた。
駄菓子菓子。私の告げ口を聞いている龍也叔父様はじめ、永田様達は当然対策を考えていた。
なお、今の陸軍大臣は杉山元だけど、基本的には宇垣閥の人。だから、前首相となって第一線を退いたとはいえ、宇垣一成の言葉には従う。そして永田鉄山も陸軍大臣の任から外れたけど、陸軍中央で強い影響力を持ち続けており、しかも宇垣一成とも握手をしたままだ。
そして宇垣=永田ラインにより、陸軍中央はほぼ一枚岩と言える。
しかも作戦の中枢となる参謀本部の参謀次長の石原莞爾は、永田鉄山に呼ばれて軍中央に返り咲いたのもあって、基本的に同じ方向を向いている。
そして意外というべきか、真崎と違って参謀総長の殿下を蔑ろにしたりはしない。石原莞爾は私が思っていたよりも、ちゃんとした人らしい。それとも、年をとって多少は丸くなったのかもしれない。
それはともかく、軍中央が関東軍をコントロールしてソ連の国境紛争を断固撃退する、という点で陸軍全体の意見は統一されていた。
危惧されている関東軍の暴走、やりすぎ、そして独断専行を止めるのは、当然の事と考えられていた。
この為、参謀次長の石原莞爾が、錦の御旗を掲げて現地に乗り込むべく動いているらしい。
事が実戦なら参謀本部の領分だし、辻と服部は石原莞爾に心酔しているという事なので、この二人の危険人物を制御するには石原莞爾はもってこいというわけだ。
さらに駄目押しで、二人に慕われている龍也叔父様が何か理由をつけて満州入りする話もあるらしい。
ただ、誰から見ても辻と服部が危険人物扱いなのは、ちょっと笑いそうになる。
「結論から言いますと、現状我が軍は戦術的には優位にある一方、兵力的には不利にあります」
そこで挙手。後ろのテーブルに座っていたお芳ちゃんだ。戦場よりも、もっと欲しい情報があるという事だ。
「念のため確認したいのですが、政治を除く戦略的にはどうでしょうか?」
「軍事戦略的には、相対的優位にある。彼らは極東での戦力は二倍あるが、それ以外はヨーロッパ正面から持ってこないといけない。これに対して我が軍は、その気になれば全軍の3分の2程度を短期間で満州に投入可能だ。距離の優位もある。
加えてソ連は、ヨーロッパ正面からこれ以上兵力を引き抜きたくはない。ドイツとの今後の関係がどうなるかは分からないし、このまま兵力を引き抜くとドイツが大きく動く可能性が高まるからだ」
全員にも聞かせる為の質問と答えだった。
そしてお芳ちゃんは、龍也叔父様にお礼を言って引き下がる。続いて別の場所から挙手。今度は息子の龍一くんだ。
「珍宝島は小さな島で、ましてや川を挟んでいます。また、周辺を含めて自然環境が悪く、大兵力の展開は困難と言えます。ここを囮や切っ掛けとして、他の場所で大規模な国境紛争を意図している可能性はありますか?」
「可能性はある。他方でも、鉄道や車両の流れも活発だ。だが、我が方の兵力の動きに対応しているだけの可能性も十分にある。動くとしても、もう少し先になるだろう」
「つまり、しばらくは珍妙な名前の島での空中戦だけか」
「はい、ご当主。ですが、川を挟んで互いに兵力の展開、特に砲兵の展開を急いでおります。来月には動きがあるでしょう」
「それまでに空で圧倒して、ソ連が諦めてくれないかしら」
やり取りを聞きつつ思わずそんな愚痴が出たけど、龍也叔父様の表情は少し明るい。
「玲子のお陰で、今のところかもしれないけど、ほぼ一方的展開だよ」
「私の?」
「ああ。10年以上前から電子技術に多額の投資をしていたし、俺も色々と聞いていたし少し関わってもきた。また、川西飛行機への投資は、日本の航空業界全体に好影響を与えてもいる。その成果である秘密兵器が、今回の空中戦で遺憾無く効果を発揮しているよ」
「電子技術……。レーダー、じゃなくて電波探知機でしたっけ?」
「ああ、そうだ。部内での呼び名は、もっぱらレーダーだけどね。あれのお陰で、相手の空での動きは丸わかりだ」
「お役に立って何よりです」と笑みとともに返したけど、正直間に合って良かったと内心安堵する。
簡単な理屈以上は殆ど分からないけど、上っ面以下しかない前世の歴女知識で、とりあえず押さえて金を突っ込んでおいた技術が花開いたわけだ。
もっとも私も、転生してから色々と研究したり他国の状況を調べたりしたら、それなりの景色は見えてくるようになってはいた。
東北大学が研究開発した八木・宇田アンテナとマグネトロンは、日本と言うか東北大学が世界に先駆けたものだった。だから慌てて人と金、それにコネも使って、世界中で特許を取って回ったものだ。可能なら、政府を動かして技術輸出の停止もしておいた。主にアカに対して。
一方の日本国内では、私の上っ面の知識というか曖昧な概念やヒント程度の言葉を伝えて、東北大学ではレーダーの研究・開発を、厳重な機密管理の元でしてもらっていた。
本当は陸海軍、いや、オールジャパンでしてもらいたかったけど、当初は海軍が無理解でダメだった。
龍也叔父様も、純粋な技術の事となると方々を説得するのも難しく、数年は鳳の大学や理研(理化学研究所)も巻き込んで、鳳家が全面的にスポンサーとなる形の民間研究として進めさせた。
そうして研究の成功によって、ようやく陸軍が動きだす。これが1933年。1934年度予算でようやく本格的に動き出し、試作品が完成したのが1936年。そこから軍用としての実験、研究、さらなる開発が進められていく。
1938年には実用型の実戦配備が開始され、帝都防空の目的で日本初の電探監視哨、多分レーダーサイトとかいう奴が爆誕した。
ソ連の大きな爆撃機が日本海を往復できるとかで、陸軍は意外という以上に熱心に整備に力を入れていた。
現在は小型化、高性能化の研究と開発と並行して、主にソ連の大型爆撃機に備えたレーダーサイトの建設が各地で進められていると聞いていた。役に立ったのは、満州に急ぎ設置されたレーダーサイトの事だろう。
また、1937年からは海軍でもやっと本格的な研究・開発が始まったけど、新技術への理解度はまだ低く、陸軍への対抗が主な目的のようだ。
そしてレーダー開発の件は軍事機密に当たったり、海軍がイマイチ無理解なような状態なので、一族の中でも知らない人もいる。この為しばらくは、他言無用で簡単にレーダーの説明が行われた。
(できれば、実戦データってやつをチャーチルに送ってあげたいなあ)
第二次世界大戦でレーダーを巧みに使った戦闘といえば「バトル・オブ・ブリテン」。戦闘にあまり興味のない私でも、戦争映画とかで知っている。
今回のソ連との国境紛争はその先駆けの筈だから、情報としてはとても有益なものの筈だった。
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電波探知機:
レーダーの日本名として、陸軍が総称として使用。
海軍での呼び方は電波探信儀。電波探知機は、レーダー波の逆探知装置の名称として使用。
せめて名称くらい統一しろよ。
日本でレーダーが実用化されたのは1941年と他国に比べて遅く、主に他国で開発、運用されているのを知ってから。
1938年の実用化だと、イギリスと並んでトップ。
数年の遅れが決定的な差となりかねないのが、この時期のレーダー開発だった。
簡単にレーダーの説明:
電波を発射して目標物に当て、その反射波を受信して方向や位置を測定する装置です。
まあ、ネットの海を彷徨ってください。
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