654 「平沼内閣始動」

「あーっ! やっぱり、大臣なんかなるんじゃなかった!」


「ご立派な姿にございました。先代、先々代が草葉の陰でお喜びの事でしょう」


「いや、それは絶対にないぞ。父さんは絶対に笑ってる。爺さんは、鼻で笑ってるな。酒の肴にされてるに決まってる。……決めたぞ。何かボロを出して、すぐに辞めてやる!」


「病院なんだから静かにしてちょうだい」


 人の病室に、絵に描いたようなモーニング姿のお爺様が、時田を連れて愚痴りにやって来た。

 本気で愚痴れる相手が私と時田くらいだから愚痴くらい聞くけど、もう一人の時田は終始ニコニコしている。


 その時田だけど、お爺様が大臣の間だけお返しする事にしていた。何しろこの2年ほどの私は、活動が大きく低下している。だから、時田が側にいなくても特に問題はない。

 そしてお爺様は執事や秘書を持ってはいるけど、時田がいた方が何かと心強い筈だ。


(けど、このツーショットって久々に見るかも)


「まあ、何はともあれ、大臣就任おめでとう」


「いや、そんな上っ面の言葉を聞きに来たんじゃないぞ」


「じゃあ何? 自慢か愚痴以外の用だったら、せめて着替えてから来てよ。屋敷はすぐそこなのに」


「この後も色々あるんだよ。だからすぐに戻る」


(つまり愚痴を吐き出しておきたいって事か)


「ご苦労様。じゃあ、せっかくだから時間の限り聞かせてちょうだい」


「おう、聞け聞け。知ってはいたが、大臣なんてなるもんじゃないぞ。ロクでもない奴らしか寄って来ない!」


 そう言って話し始めて、時田が止めるまで小一時間ぶっ続けで話し続けてから私の病室から去って行った。


 そうして愚痴を聞いていて改めて実感したのは、お爺様、というより鳳一族が欧米スタイルのトップダウンだという事。

 だから日本の権力構造に合わない。当人は軍人もしたから組織人にはなれるし、暗躍するのが好きだから水面下で動くのは得意だけど、大臣とかそういったポストとは相性が悪い。

 そしてそれは、転生してからの私も同じなのだと、話を聞きつつ痛感させられた。


 そんなお爺様も入閣した平沼内閣は、平沼騏一郎が首相になったように、共産主義に対抗する内閣と見られていた。また、外交関係は親英米でガッチリ固められたので、外交の方向性も明らかだった。

 そして5月に大規模な臨時軍事予算を予算通過させ、総選挙後に挙国一致内閣を組閣したので、日本は準戦時体制に向けて大きく動いたと内外から見られた。


 そして新内閣を国民は歓迎した。

 宇垣内閣最後の置き土産と言える巨大な臨時軍事予算で、軍需、重工業は未曾有の好景気に突入。加えて、内戦が泥沼化した中華民国からの、武器弾薬の発注も大幅に増加。それら軍需が牽引して、全産業に景気拡大効果は波及する。


 都市部、工業都市、臨海工業地帯を中心として、未曾有の需要発生に沸き返っている。

 地方、農村部も置いてけぼりではなく、好景気に伴うさらなる建設景気に始まり、都市部では足りない新たな工場建設と労働者の需要が起きつつあった。

 加えて好景気と都市部の需要に後押しされて、各種物産の価格も右肩上がりだ。


 ただ、国民の大半は、挙国一致内閣とかは半ばどうでもいい感じだ。

 ヨーロッパは戦争の気配が忍び寄っているし、日本もソ連との戦争の脅威があるけど、ソ連との全面戦争まではないだろうと見ている。それよりも、夢よ再びでヨーロッパでの大戦争が起きて、空前の戦争特需が発生するのを期待すらしていた。

 もしかしたら、日本が平和過ぎるせいかもしれない。



 一方では、諸外国のうちソ連とドイツ以外は日本の新政権に好意的だった。

 アメリカは、相変わらず国内での共産主義には風当たりが強く、ルーズベルト政権は中間選挙の敗北以後はレームダック状態。だから、日本が民主主義を守り、共産主義に対抗する姿勢を高く評価すると、政府もコメントせざるを得なかった。

 大魔王ルーズベルトの内心は、いかばかりだろうか。


 イギリスは、反共産主義政策バンザイ状態。けど、ファシズムに対する動きもよろしくと一言を忘れていなかった。

 取り敢えずじゃないけど、チャーチルやその他の知己に向けて、鳳から支援できる事、渡せるものを伝える動きは加速させた。

 何せ、欧州最後の砦になるであろうブリテンがナチスにより陥落したら、正直日米全面戦争、日ソ全面戦争の次くらいにシャレにならない。


 フランスは相変わらず、右に左にと腰が定まらない。けど、ドイツの脅威が迫っているのを実感しつつある為、日本に対しては取り敢えず俺と仲良くしようぜ、というスタンス。

 そしてフランスは、とにかくドイツが強くなるのが気に入らないので、この点だけはブレがない。それなのに、外交、内政、経済、軍事の全てがグダグダなのだから、失笑を通り越えて失望してしまう。

 史実の日本じゃないけど、負けるべくして負ける国というものを見る思いだ。


 それ以外の中小国は、特にソ連に脅威を感じている東欧諸国が万歳三唱状態。日本側も、ソ連を牽制できるから支援や援助は惜しまない方向だ。

 その東欧諸国に対しては、宇垣内閣全般を通じて東欧諸国との関係を強化していた。中には支援や援助も含め、一応英仏にお伺いを立てた上で、ポーランドやフィンランドなどに格安での武器の用立てもした。


 それらの国々に対し、ファシズム陣営は反応が薄い。この22日にドイツとイタリアがついに軍事同盟を締結したけど、歩調もあまり合わせていない。

 一応ファシズム自体が反共産主義だから、ソ連と対立するのは歓迎というか、せいぜい容認。けどドイツは、大陸の内戦で割を食っているので、日本に対する反感がそこかしこに見られる。


 もっとも、そもそも人種差別バンザイな連中だから、ユダヤ以上に劣る黄色い劣等人種の事は、自分達に直接関わらない限りあまり気にしていない。眼中にないのだ。

 彼らが日本人に対して笑顔になるのは、こっちが買い物で金塊を見せた時くらいだ。


 ただし日本がドイツの反ユダヤ政策に異を唱え、ユダヤ人の亡命、移民、移住すら手厚く支援するので、鬱陶しく思っている。

 鬱陶しい程度で済んでいるのは、まだドイツからユダヤ人を追い出す政策が中心だからだ。

 自分達の手間を省いてくれている、程度には思っている。


 非難轟々なのは、平沼首相がのっけから敵視する声明を発表した相手、ソビエト連邦ロシアだ。

 言葉を撤回しろとか諸々の文句を、キログラム単位の抗議文書を送りつけてきたという噂だ。どうせ大したことは書いてないけど、読まないわけにもいかないので、もし本当ならかなり効果的な嫌がらせと言える。


 けど、嫌がらせで済まないのが、現在進行形の満州での国境紛争。

 ちょうど総選挙の時にピークを迎えて、内閣が動き出した頃には一旦は双方が兵力を引き上げた。

 そして再戦にしろ沈静化にしろ、現場以外での動きも活発化していた。


 諜報面では、日本の中枢を苦労しつつ頑張って泳ぎ回っているリヒャルト・ゾルゲからソ連の中央に、「日本は徹底してやる気だ」、「軍備の近代化で、大規模武力紛争に十分対応できる」という情報が流れていた。

 いや、流れるように仕向けていた。


 ゾルゲは表向きドイツの人間として、ドイツと関係の悪い日本の情報を集めているという姿勢を見せつつ、その裏でソ連に情報を流しているからだ。

 近衛文麿が政界から消えたに等しいせいか、尾崎秀実らも既に一緒に活動中。情報収集は、相当苦労しているらしい。


 なお、この一連の工作は、一部誇張を含めた内容をあえて漏洩して、ソ連の動きを抑えようという意図からだ。

 陸軍の一部血の気の多い者以外は、ソ連との全面戦争につながりかねない大規模紛争はしたくはない。

 だからスパイの皆さんには、手のひらの上で踊ってもらっている。

 貪狼司令が、それは楽しそうに踊らせていた。


 一方、ソ連内部だけど、1930年代半ばに辻政信が泳ぎ回った効果が出ている事が分かってきた。

 というのも、辻は金をばら撒いてソ連内部に多数の『親日派』を形成したのだけど、大粛清で軒並み処刑されるか、シベリアの収容所送りとなったからだ。


 辻政信が手を広げた範囲は、政治家、官僚、軍人、政治将校に至るまで非常に広く及んでおり、しかもソ連の中枢に近いところにまで食い込んでいた。

 大半は、意図的に大粛清の餌食になるように仕組んだそうだけど、一方ではそうした「資産」も残されていた。


 そして粛清したので日本人からのソ連国内での情報源が無くなり、尚の事ゾルゲや尾崎を頼るという流れにもなっていた。



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劣等人種:

ウンターメンシュ(ドイツ語: Untermensch)。

ナチスがユダヤ人、ロマ、スラブ人(主にポーランド人、ロシア人)といった「東方からの集団」の非アーリア人を「劣等人種」と表現した用語である。

有色人にも使用されていた。日本人など、随分下だ。

史実では、防共協定や軍事同盟の関係で、日本人は含まれていない事になっている。

けど総統閣下は、その著書から日本への差別全開だ。

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