653 「挙国一致内閣成立」
1939年5月28日、衆議院総選挙が行われた。
結果は翌日から分かり始めたけど、基本的には政友会が勝利した。というか、民政党に勝ち目がなさすぎた。
民政党は、直近で起きた大規模国境紛争を最後の攻撃に使ったけど、そもそも本当に大規模化したのが選挙当日の28日ではインパクトに欠けた。
それ以外では、安定した政権運営、良好な外交関係、そして絶好調の経済という状態では、多少の政治腐敗や賄賂が指摘され続けている程度の政友会の勝利は揺るがなかった。
大勢としては、政友会6に対して民政党3、その他1未満といったところ。ほぼダブルスコアで、宇垣一成は内閣総理大臣としての有終の美を飾った。
しかも直前には、未曾有の規模の軍備拡張案を通しており、それを最後の仕事としていた。
まさに勇退だ。もっと平和な時代なら、倍の任期くらい務めたかもしれない。
けど宇垣一成は、総理の椅子から去る人。今後は、政界の重鎮、重臣、さらに陸軍の重鎮として日本の政界に君臨する事になるだろうけど、二度の総理はない筈だ。
そして空になった総理の椅子に対して、重臣会議が選挙翌日に召集された。
けど、もうそこに最後の元老西園寺公望はいなかった。
まだご存命だけど、今年の2月に体調を崩し、それ以後も体調を崩しっぱなしという話だ。
けれども、去年のうちから挙国一致内閣の話は水面下で言われていたので、西園寺公望は内務大臣だった平沼騏一郎を次の総理に推薦していた。
それ以外だと、まずは内大臣の斉藤実。侍従長の鈴木貫太郎。この二人がいる事に、大きな安堵を感じてしまう。何しろ、『二・二六事件』で青年将校達に暗殺もしくは暗殺未遂された人達だ。
首相経験者からは、政友会から原敬、犬養毅、田中義一、近衛文麿、宇垣一成、それに同格とされる高橋是清、民政党から加藤高明、若槻礼次郎が会議参加の候補となる。
けど、原敬、田中義一、高橋是清は老齢を理由に、近衛文麿は病気療養を理由に辞退。参加者は犬養毅、宇垣一成、加藤高明、若槻礼次郎の4人となった。生粋の政友会出身はなしだ。
近衛文麿は、いまだに『二・二六事件』が強いトラウマみたいで、なんとも苦笑に近い感情を持ってしまう。それに対して、出席しない政界のお爺ちゃん達がまだご存命なのは、知己があるだけにホッとする。
そうして、これらの人が次の総理を選んだわけだけど、結果は最初から決まっていた。次の総理は平沼騏一郎。そして彼を中心として、挙国一致内閣を編成する。
そして丁度と言うわけじゃないけど、ソ連との大きな国境紛争が起きたので、緊張感も高い組閣となった。
「そういう事で、ご当主様が頭を抱えていらしたよ」
「本当に大臣の椅子を推薦されるとはねえ」
「他人事みたいに。宇垣内閣に肩入れし過ぎでしょ。幾ら貢いだ事やら」
病院に来たお芳ちゃんから、そんな話を聞く。平沼騏一郎に組閣の大命が降ったので、ただいま組閣人事真っ盛り。
そして今回は、政友会ではない平沼騏一郎が内閣総理大臣になるように、挙国一致内閣だ。
そこで政党以外からも大臣を選びバランスを取る事になったけど、上っ面的には貴族院議員の一人でしかない鳳麒一郎に、大臣のお鉢が回って来た。
「厚生大臣ねえ。一番似合わないわね」
「そうかな? 鳳グループは大きな製薬会社と病院持ってて、それに大学は医大でもあるし、紅龍先生までいらっしゃるでしょ。ただの議員がなるより相応しいんじゃない。それに省庁設立最初の大臣だし、二大政党の出身は避けたかったのかもね」
お芳ちゃんの論評通りだろう。厚生大臣は今回初めてだ。何しろ厚生事業は、今まで内務省の管轄にあった。
そして今後の来るべき戦争では、厚生事業の肥大化が容易に予測された。それ以上に国家、政府として厚生事業を重視する必要性もあった。
何年か前から準備は進められてはいたのを、今回の挙国一致内閣に合わせる形で内務省から分離したのだ。
そして新しい省庁の最初の大臣は、せっかくの挙国一致内閣だからどちらの政党でもなく別の人をという事で、宇垣閥で貴族院議員で超巨大財閥の創業家の当主であるお爺様が良いんじゃないかと、半ば押し付けでお鉢が回って来たという流れだった。
ただし最初だから大変だ。次官など下に付く布陣を分厚くしているけど、ただの議員では務まらなかっただろう。その点お爺様は、陸軍という巨大官僚組織の中央で長らく過ごした組織人としての経験があるので、実務面でも下手な議員より相応しいと見られていた。
「まあ、お爺様からの愚痴はまた今度聞くとして、総理大臣以外は?」
「昨日、ご当主様から陸海軍大臣の事は聞いたって?」
「うん。陸軍大臣は宇垣閥の杉山元、海軍大臣は順番から百武源吾。変わりない?」
「うん。内定そのままみたい。陸海軍も、宇垣さんが最後に大盤振る舞いで予算を通したから、半ばご祝儀で他の人がごねる様子もなし」
「大いに結構。他は? 外相は幣原喜重郎?」
「だね。総裁の町田忠治は入閣せずに、民政党の下っ端に大臣の椅子を譲ってる」
「あらま。親分をするのも大変ね。それに犬養毅が推してた芳澤謙吉も入閣ならず?」
「芳澤謙吉は政務次官を続投。外相は次じゃない? それと外交関連だけど、吉田茂様は駐英大使が内定。有事の際の全権大使も視野に入れての事で、同じように駐米大使の斎藤博も留任で、こっちも似た感じみたいだね」
「なるほどねえ。吉田様と同期の広田弘毅は?」
「お嬢の言葉を政友会が優先して、民政党が一旦は外相に推薦した広田弘毅を下げて、長老格の幣原喜重郎が出てきたって感じだね」
「ふーん」と他人事を装いつつも、ちょっと気の毒に思わなくもない。私の前世の歴史だと、何度も外務大臣を務め総理にまでなるのに、この世界では何もなしのまま終わりそうだからだ。
しかも外相には同期の吉田茂が、鳳との関係を活かして早期エントリーして道を塞いでる格好だから尚更だ。
「……多少は気になる?」
「まあ、お気の毒くらいには。けど、平時はともかく有事にこの人はやめた方がいい。当人も周りも、それに日本も、ろくな事にならないから」
「日本もか。じゃあ、仕方ないね」
「うん、仕方ない。それで他は?」
「政友会総裁の中島知久平は内務大臣。お嬢の嫌いな鳩山一郎は商工大臣」
「大蔵大臣は? 賀屋興宣?」
「うん、賀屋興宣。次官に石渡荘太郎」
「まあ、どれも順当な人選か」
「まあね。他に気になる椅子は?」
「あとは誰でもって感じね。お爺様の入閣が、私にとっては一番のサプライズよ。あ、けど、久原房之助と三土忠造は入閣してる?」
「どっちもなし。政友会の中を固める方向みたいだね」
「お爺ちゃん達はまだご存命とはいえ、政治はもう厳しいものね」
「……お嬢はご不満?」
「ううん。ただ、正統派の政治家は、大物が少ないかなって。幣原喜重郎がまた外相にならないといけないわけだし、よりにもよってお爺様が入閣よ。もうちょっと、政治家に人がいないのかって思うわね」
「大臣になりたい人は大勢いるみたいだけどね」
「そんなのいつもの事でしょう。お爺様も、辞退して譲って恩を売れば良かったんじゃない?」
「直にそう言ってあげたら」
「大臣の椅子は宇垣様に言われたんだから、無理に決まってるでしょう。この話をするなら、宇垣様に最初に言われた時にしないと」
「まあ、そうだろうね。でも、鳳一族から大臣を出したんだから、目出度い事じゃない」
「表向きはね。けどこれで、お爺様は水面下で動きにくくなったから、そっちの方が痛いわね。宇垣様がそれを狙ったとは思えないけど、政友会自体がうちの水面下での動きを煙たがったのもあるでしょうね」
「金蔓は大人しく金だけ出してろって?」
「代議士様が考えそうな事ね。落選したらただの無職のくせに。けどまあ、議員、政治家が偉そうにしているってのは、政治が多少なりとも健全な証拠よ。甘んじて受け入れましょう」
「多少はねえ。お嬢の夢の中の酷さが、目に浮かぶよ」
そう言ってお芳ちゃんに、私は軽く肩を竦めた。
議会政治が真っ当に動いているのだから、本当に良い状態なのだと思う。同時に、これから戦時に入るから、裏でコソコソする機会も減るだろうと、状況を受け入れるだけの余裕もあった。
それにもう一つあったので、つい口から出てしまった。
「どうせ、すぐにひっくり返るわよ」
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平沼内閣:
史実では、近衛文麿が最初の内閣を放り投げたのが、1939年の年初。平沼内閣は1月5日に発足している。
広田弘毅 (ひろた こうき):
外交官で何度も外務大臣を歴任。さらに、内閣総理大臣(第32代)にもなる。
結果として、外交の人なのに無定見で、政治家としては押しに弱く、有事の人ではないと言われる事が多い。
逆にだからこそ、1930年代の外相と首相になれたとも言えるのだろう。
ただし身から出た錆とばかりに、A級戦犯として軍人以外では唯一、絞首刑に処された。
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