652 「次の内閣人事は?」

 満州・ソ連国境のウスリー川で激戦が展開されていた1939年5月28日、衆議院議員選挙が実施された。

 その頃私は、既に鳳の本邸近くの鳳病院に出産入院していた。

 そして国境紛争の話は新聞やラジオ以上は聞けなかったけど、選挙に関してはお見舞いやお付きの側近達から話を聞く事ができた。


 政権与党の政友会は、現職総理の宇垣一成が総裁を退任して、中島知久平が新総裁として政友会の選挙の顔となる。

 中島は、中島飛行機を興した財界出身な事もあって、経済対策と国防充実を選挙公約に掲げた。


 その中島を、現職大臣の三土忠造、吉田茂らが支持して政友会内の地盤を固めた。当然、後ろには、政友会の長老や重鎮達が付いている。私が知己のある政界のお爺ちゃん達も、まだ欠ける事なく存命で、存命である限り強い影響力を持っていた。

 やや不確定なのは政友会にあって外様の犬養毅だけど、今回は中島側に付いた。ただ犬養毅は、血縁の芳澤謙吉を次の外務大臣に推しており、民政党との調整がどうなるかと言われている。


 それ以外では、鳩山一郎がやっぱり大物になるけど、義兄の鈴木喜三郎が病気が重く選挙も不出馬。

 一方で金蔓というか、日産の大本となる久原財閥創業者の久原房之助が合流。無視できない勢力で、反中島派を形成。場合によっては、政友会を割る姿勢すら見せていた。


 もっとも、今回の選挙の後に待っているのが、民政党など日本中を大同団結した挙国一致内閣だ。

 この事は政友会、民政党双方から選挙開始時点で発表されており、政友会を割ったところであまり意味がない上にハブられるだけなので、自分たちの大臣席を確保する選挙戦術だと見られていた。


 なお久原房之助は、『二・二六事件』関連で思想家を庇って起訴され一旦政界への影響力を喪失。去年くらいから鳩山一郎に接近して勢力を回復し、今回の選挙戦では中島と鳩山の調停で存在感を発揮している。


 総理の器やポジションじゃあないけど、無視できない政治家の一人だ。ただ、政界の重鎮達が存命なので、力は限定的でもある。

 あと、財閥出身なので、鳳一族、特にお爺様と立ち位置が近いとも言われていた。


 そして財閥出身の一応は政治家だとして、私のお爺様である鳳麒一郎の存在が急浮上していた。

 伯爵、貴族院議員なので普通なら政党に属さず、挙国一致内閣での大臣としても、もう少し先輩や経験者が入閣するものだ。


 けど鳳麒一郎は、日本の五大財閥の一角、鳳グループを実質的に支配していると世間では見られていた。

 その支配が間接的ではあっても、鳳一族がアメリカを中心に巨大過ぎる資産、財産を持っている事は、政財界の主に水面下で知らない者はいない。

 そして鳳グループは、宇垣内閣の大きな資金源となり、その人脈から宇垣内閣は鳳内閣と揶揄する言葉もあったほどだった。

 実際、色々お世話になり、色々口を挟ませてもらった。


 そして鳳グループは、日本国内の主に重化学工業において、今や圧倒的と言えるシェアを誇っている。

 採掘から製油、販売に至るまでの石油・製油産業。原料資源の採掘、輸入を含めた一貫製鉄。特にこの二つは、最初から最後まで持つのでツヨツヨだ。もはや誰も文句が言えない。


 他にも、装軌車両を含む自動車両全般、大規模建造施設と総トン数の面での巨大な造船能力、財閥としては珍しい巨大な建設業。さらに全ての産業向けの高精度の工作機械を、設計から大量生産までできる能力。

 その他、ディーゼルを中心とする造機、諸々の工業製品に使う各種精密機器などなど。電気、電波に関わる製品、事業でも、既に大きなシェアを有しつつある。


 ほぼ全ての重工業に手を広げる影響力は、もはや日本の重工業を中心とする二次産業が、鳳グループ抜きでは語れない状態になっていた。

 加えて、鈴木商店を飲み込んだ事による、軽工業分野でも無視できない。その延長として、満州では満州臨時政府と組んで、大豆を中心とする極めて大規模な農業事業を実施している。


 しかも重工業の大半が、巨大過ぎる資金力を背景として、10年足らずで実現された。新興財閥として短期間で巨大化に成功した日産ですら、ここまで極端ではないし、巨大でもない。

 大砲は作っていないけれど、『日本のクルップ』などと呼ばれることがある。

 一方で石油を牛耳っているから、クルップ以上の力がある。『日本のロックフェラー』と呼ぶこともあるそうだ。小さなロックフェラーもあったものだ。


 そしてその極端で巨大な財閥が、1930年代の政友会による安定政権を支える大きな力となってきた。

 高橋是清による財政下での二人三脚体制、宇垣内閣での親密度合いは政財界で知らぬ者はない。


 さらに陸軍の枠で見ると、鳳麒一郎は宇垣一成の派閥に属しているので、退任した宇垣一成の派閥枠として有力視されている。

 加えて、『二・二六事件』で間接的に助けられた重臣達も、鳳一族の存在を無下にはできない。だからこそ、候補の候補程度だけど総理候補にすらなったと見られていた。



「それで、お爺様自身はどうなの?」


「これ以上面倒臭いのはゴメンだ。もう65だぞ」


「政治家としては、まだ65よ。宇垣様が総理になられたお年より若いじゃない。犬養毅なんて、80半ばなのに元気一杯だし」


「宇垣さんはともかく、犬養みたいな妖怪ジジイと一緒にするな。だいたい、俺に何の大臣が務まるって言うんだ? どれも無理だぞ」


 お爺様が私の見舞いに顔を出した時に雑談として聞いてみたけど、確かに本人の言う通り、表の顔となる大臣が務まる器とは言い難い。

 鳳騏一郎という男は、切れ者だけど昼行灯を装っていたりして、どちらかというと水面下で泳ぎ回るタイプだ。しかも当人の名誉欲や権威欲が薄い。

 そして人には得手不得手があって、お爺様には裏で暗躍がお似合いだとも強く感じる。


 なお、仮に大臣に推薦されるとしても、内務や外務、大蔵あたりの大きな椅子は流石に有り得ない。陸軍出身でも少将で退役しているから、陸軍大臣もまず無理だ。

 そして、他の中途半端な影響力のない大臣になるより、裏で色々と動く方が強い影響力を持つ事ができる。

 私も聞いてみただけだ。

 

「それはそうかもしれないけど。それじゃあ、宇垣さんの派閥の枠はどうなるの?」


「陸軍大臣に杉山がなるそうだ」


「そうなの? 永田様は?」


「教育総監という声もあるが、しばらくは参議官で中休みだ。政治家としての経験を積む為、どこかの総督に行くかもしれんな。だいたい、いくら頭がキレるからって、永田が大臣になるのが早すぎたんだ。あいつ16期で、俺より10期も下だぞ。クーデター未遂の後とはいえ、順番を飛ばされた連中がかなり頭にきている。一旦は一歩退く頃合いだよ」


「ふーん。じゃあ海相も、米内光政の先輩がなるの?」


 永田鉄山の舎弟状態の東条英機陸相爆誕の可能性は低そうだと思いつつ、最近は疎かになってる事をなんとなく聞いてみた。


「海軍はまだ上が少ないから、そのまま下がなる。ちょうど1期後輩の百武源吾が内定しているらしい。まあ、無難な人事だろう」


「他に海軍大将はいないのね?」


「いいや。今の海軍次官の堀悌吉が、最近昇進してただろ。噂では、海軍きっての凄い切れ者だそうだ。だが、百武源吾も凄いぞ。なんとこの百武、兄も海軍大将だ。しかも弟が陸軍で、今は少将。大した軍人兄弟だ」


「うん、そういうの、聞きたいわけじゃないから。海軍内での、出世競争とか派閥争いはないのね?」


「そこまでは知らん。だが海軍の軍政は、この10年程は親英米で固めている。どっちも山梨から続く親英米派で穏健派だから問題ないだろ」


(堀悌吉か。前世でも聞いた事のある名前ね。確か56の同期で、前世の歴史上だと軍縮派だからハブられた人だったっけ? そんな人が次官をして大臣候補になるなら、海軍が健全な証よね)


「どうかしたか?」


「ううん。その堀って人が、軍令部長か連合艦隊司令長官になるのかなって」


「今は軍令部長が永野修身、連合艦隊の方は及川古志郎だが、確かこの秋口に交代だな。軍令部長は長谷川清、連合艦隊はその1つ下辺りがなるんじゃないかってのが下馬評だ。堀という奴も、その1つ下辺りの1人だな」


「以前お爺様が説教した山本五十六という方も?」


「説教? ああ、あのガキ大将みたいな奴か。あいつは軍政家だから、なるとしたら軍令部長だろうな。軍縮会議にも二度行っているから、何年か先の大臣の方が向いているかもな」


「あれ? 説教した割には、意外に高評価ね」


「まあ、川西の時は強引な事をしてくれたが、会ってみたら面白い奴だったぞ。その後も何度か会っているが、癖は強いが人としては面白いやつだ。それで博打が強いらしいと話を振ってカードをしたんだが、確かに強かった。全部持ってかれたよ」


(ああ、真珠湾の人だし、博打打ちで有名だったっけ。確かに、お爺様と気が合いそう)


「……玲子、同類を見るような目はやめろ。あいつはお天道様の下を歩く性分の方で、俺は精々お月様の下だ」


「ふーん。それで今、山本様は何を?」


「今は海軍航空本部長だったんじゃないかな? 次は海軍次官か軍令部次長辺りだろ」


 「なるほどねー」そう返しつつも、選挙から脱線しすぎたと思い直す。

 出産入院で暇なせいに違いない。



__________________


鈴木喜三郎:

1939年5月に政友会総裁を任期満了で退任。1940年6月に死去。



久原房之助:

久原財閥の創業者にして総帥。その後、政界に出たので、財閥は義兄の鮎川義介に譲渡して日産となる。

久原自身は、政界の黒幕として強い影響力を発揮した。



軍令部長:

念のため、この世界は伏見宮博恭王が軍令部長(総長)をしていないので、軍令部長は数年置きに変わっている。

また「軍令部総長」に変更(事実上の格上げ)はされていない。



百武源吾、長谷川清:

記録を見る限り、史実で目立つ立ち位置にいた海軍大将達よりも立派に思える。

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