650 「国境紛争勃発?(4)」

「それで、現地というか満州自体の状況は?」


 気分を入れ替えたお爺様が、龍也叔父様に問う。一応把握しているけど、再確認という事だ。


 そういえば龍也叔父様は、今年の春に大佐に昇進していた。同期でのブッチギリのトップ昇進で、陸軍の歴代で見てもトップだった。

 今年夏に中将昇進が内定している石原莞爾ですら、大佐になったのが43歳の時なのに対して、龍也叔父様は30代で同じ大佐という早さだ。


 そして華族の系譜だし、陛下や重臣からの覚えも目出度い事もあって、夏には近衛師団の機械化捜索連隊の連隊長に内定していた。装甲車やバイクばかりでなく、戦車中隊すら持つ重装備部隊だそうだ。

 そこでの任期が終われば、永田鉄山と似た陸軍大臣に向かう最短コースを歩むだろうと既に言われていた。


 しかも、明治時代を除く歴代最高レコードでの昇進と年齢での就任になるだろうも言われていた。何年か前に、「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と言われたが、「後に」にはそれ以上がいたのかと噂されている。

 龍也叔父様のあだ名も「首席の鳳」で、今や昇進、役職を含めた全ての首席と取られている。


 もっとも、陸軍大臣になれるのは、順調に最速で昇進したとしても1950年前後。

 これが陸軍最短であると同時に、年功序列社会の日本の官僚組織の限界でもあった。

 龍也叔父様が軍を選ばず財界人を目指していたら、今頃は善吉大叔父さんから代替わりしていた事だろう。


 けど、龍也叔父様は軍人で大佐で、陸軍大臣の永田鉄山の子飼いと言われ、さらには漸進的総力戦の理論面での体現者だった。

 慕う者も多く、その中には私的にウルトラ危険なネームドが少なくなかった。もはや舎弟とすら言える西田税などがその典型だ。


 そしてその次ぐらいに危険な辻政信と服部卓四郎は、この時期関東軍にいた。多分だけど前世の歴史と同じで、前世の歴史だとこいつらが事件を拡大方向に向かわせ、さらに辻ーんは色々と無茶苦茶をする。

 さらに言えば、これが二人がコンビを組む序章で、その後日本陸軍に様々な事を起こしていく。

 ある意味で、日本陸軍の最悪コンビだ。

 今は辻が少佐、服部が中佐をしている。


(けど、前世の歴史よりマシな筈よね。当人達は龍也叔父様の薫陶(くんとう)を間近で受けてきたし、関東軍自体も陸軍中央からの統制が強まっているもんね)


 満州の状況を聞きつつも、一番気になる事がどうしても頭の片隅を占めてしまう。

 そんな私を半ば置いて、龍也叔父様の話は進む。


「現地の部隊配置は、朝鮮軍は通常配置。関東軍は、麾下の7個師団のうち1個を、旧中東鉄道沿線警備の部隊として北部要衝のハルビン近辺に配置。しかしこれは、さらなる事態、つまり戦争でも起きない限り動かせません。それに、満州北部一帯の満州臨時政府軍の後ろ盾ともなるので、尚更簡単には動かせません」


「残り6個師団は、戦車師団1個、師団2個で「軍」を編成し、それぞれ第2軍、第3軍として、第2軍は新京、第3軍は奉天に司令部を置いています。

 紛争が拡大した場合は、第2軍の部隊を現地に派遣予定です。その穴埋めに第3軍が新京へ入ります。どちらも既に順次移動を開始しており、現地には先遣隊として1個連隊と支援部隊が到着しています。

 また内地では、緊急派遣用の3個師団が移動準備に入り、政府が決めれば満州へと移動を開始します」


 そこで私は小さく挙手。

 龍也叔父様が小さく頷くのを見て口を開く。


「鳳から、向こうに回せるだけのトラックと、その他諸々の移動って進んでいるんですよね」


 「それは私から」と、龍也叔父様ではなくセバスチャンが立ち上がる。そう言えば、この手の事は任せていた。


「車両の移動自体は、向こうでの工事や運搬という名目、まあ実際使用もしておりますが、90%以上が移動済み。残りは、日本本土より共に運ぶべき物資や人と共に移動できるよう待機に入っております。

 ですが、移動の為の船舶、主にカーフェリーが通常は各所で運行されておりますので、大規模な移動が決まるまでは移動の日時も決められません。途中の輸送を行う満鉄も同様です」


「うん。それじゃあ、現地の移動方法については?」


「鉄道については、満鉄が精力的に路線拡大を実施。1934年からは、新京より北部の鉄道路線も大幅に拡大しました。今回紛争が発生した珍宝島近辺に鉄道はございませんが、50キロほど南の国境そばの虎林までの路線は、1936年に開通しております」


「そこからの道路は? 確か国境線の辺りって、開発があまり進んでいなくて原生林や荒地、湿地ばかりって聞いているけど?」


「はい。道路網については、南部は1932年から、北部は34年から、機械力と中華民国から幾らでも流れてくる流民を動員し、急速に拡大しております。

 なにせ耕しやすい場所に畑があるだけで、大半は更地です。周りから集めた土を盛り上げ簡易舗装すれば、まっすぐな高速道路が容易く作れます。気分はガリアに道を作るローマ軍ですな」


「つまり、車両の移動は問題ないのね?」


「国境警備の問題、有事の際の関東軍の移動の円滑化もあるから、紛争が起きそうな場所を重点的にではあるけど、国境線の道路網も問題ない程度には敷かせている。今回も、途中の虎林までは汽車で、そこからは道路でという事になるね」


「まあ、一種の内線防御作戦ってやつだな」


 今度はセバスチャンではなく、龍也叔父様が答え、お爺様が一言付け加えた。範囲が軍事の事だからだ。

 内線作戦とは、以前聞いた話では複数の敵に挟まれた側が、戦いの主導権を握る戦い方らしい。

 挟まれた側が戦う相手を選択し、敵を各個撃破するそうだ。


 そして二人が話したように、満州での鉄道網、道路網の整備は異常な程の勢いで進んでいる。清朝が漢族を先祖伝来の土地に人(漢族)を入れないようにしてきたお陰で未開発の場所ばかりだから、道路は簡単に伸びていった。

 しかも満州政府、日本政府、満鉄、現地に進出した日産、そして鳳も、全てが先に社会基盤の基礎として鉄道と道路を作る事を重視していた。


 ついでに言えば、満州政府の方針で法律上の規制とかないし、土地問題とかは殆どないか、あっても無視するから、やりたい放題だ。

 それでもドイツのアウトバーンのようにはいかないけど、軍隊の移動には必要十分を満たしている。

 さながら社会資本建設の実験場だそうで、土木関係の技術者、専門家にとっては何でもできる天国らしい。


 一方で現地でのインフラ開発は、満州に流れてくる大陸中央からの流民を労働力として吸収する役割がある。

 何しろすぐに農地にできる場所は、大型農業機械を大規模に使用する資本集約型の大規模農業としての開発が、政府と日本資本の手で大規模に進められている。


 と言うか、鳳財閥が満州臨時政府とつるんで精力的に進めている。これからの日本の、そして世界の大豆市場でイニシアチブを握る為だ。

 少し前にフラリとやってきた川島芳子さんとも、プライベート以外では悪代官と越後屋のような話をしたものだ。


 だから流民が、開発の遅れている荒地ならともかく平野部に勝手に農地を開いたら困るからだ。


 それはともかく、じゃんじゃん鉄を作る体制が年々整っているので、満州での鉄道の敷設の勢いも凄まじい。

 さらに内地でも供給量が十分に達してたから、満州では北満州油田から遼河油田までの念願の、石油輸送の為のパイプライン建設が去年から始まっている。

 産油量も年々大幅に増えているので、2年後にはパイプラインの本格的な稼働を予定している。そうすれば、年産3000万トンを産油しても十分に輸送が可能となる。


 そうした工事は、鉄道は満鉄が、道路とパイプラインは鳳グループが主に行なっている。

 けれど、満州の鉄道以外の重工業の多くは、満州に大挙進出してきた日産改め満業が牛耳っているので、石油関連の事はともかく、道路工事については文句を言ってくる事が増えていた。


 日産は大した建設会社を系列に持ってないのに、政府の肝いりで1937年に財閥ごと満州に進出しているから、声だけはでかい。

 けど、鳳グループによる工事は満州臨時政府のお声掛だから、文句以上にはならない。


 そして有望な土地をタダ同然で購入し、建設に関する利益を吸い上げるという、悪徳財閥ぶりを展開させてもらっている。

 しかも満州側での利益代表は、川島芳子さんだ。川島さんも、鳳から得た利益で強い政治力を手にしている。

 先日も国際電話で満業について軽く話をして、大笑いを聞いた。


 そして悪徳財閥である私達だけど、全員が軍事に通じているわけじゃないので、こうして色々話して、自分達、できるなら日本の優位になるよう毎度毎度話し合っているわけだ。



「内線防御作戦というやつは専門家に任せるとして、補給で負けたりしないんですね? うちとしては、やっぱりそこが気がかりだと思うのですが」


「確かに現地での補給は、距離の面ではソ連軍有利だ。何しろ現地のウスリー川からシベリア鉄道とモスクワ街道まで、せいぜい20キロほどしか離れていない。

 だが、あの場所なら、こちら側も10キロほどの距離に街道が通っている。当然、車両が通行可能な道だ。

 問題があるとすれば、航空隊の基地になるだろうね」


「飛行場ですか?」


「ああ。何しろ、取り決めを守って新京より南にしか基地が置けない。海軍は、少し前に朝鮮北東部の元山という場所に航空隊ごと基地を置いたが、ウラジオすら600キロは離れている」


「それに対してソ連は、近くに沢山あるわけですね」


「そうなるね。だがソ連は、ザバイカル、アムール、ウスリーと国境線に沿って大きく戦力分散を余儀なくされている。それに対してこっちは、南満州に集中的に兵力を配置し、有事の際には各所に展開できる体制は作りつつある。だから、簡易ではあるけど満州空軍の基地という名目で、飛行場自体は確保済みだ」


 流石は龍也叔父様、問題があると言っても抜かりはない。けど、不足や不安があるという事になるのだろう。何しろ極東のソ連軍は、基本的に関東軍の二倍いる。


 紛争場所が川を挟んだ狭い地域だと考えていたけど、問題は色々と多そうだ。



__________________


明治時代を除く歴代最高レコードでの昇進と年齢:

30代のうちに特進(戦死・殉職)以外の順当な昇進で大佐になるのは、日本陸軍ではほぼあり得ないほどの昇進の早さになる。けど、一応は可能な昇進速度。逆に、これ以上早くは無理。



虎林:

史実ではその先の国境線近くに、史実で巨大な大砲を据えた虎頭要塞があった。対岸には、要衝となるイマン市(現在のダリネレチェンスク)がある。

虎頭要塞の巨砲は、シベリア鉄道を寸断するのが目的だった。

要塞なのに攻撃的と言う変わった性質を持っていた。



内線作戦:

主人公は大雑把かつ感覚的にしか見ていないので、詳しい事を知りたければネットの海を彷徨ってください。



世界の大豆市場:

この時代、と言うかかなり先まで、大豆は北東アジア以外での栽培は殆ど見られない。アメリカなどでの栽培は、あのペリーが持ち帰ったのが始まり。1919年に栽培が始まる。

アメリカの主に日本への輸出は戦後。



日産:

昭和初期に隆盛した新興財閥。1937年に国策により満州に大挙進出。満洲重工業開発(満業)を作る。

鮎川義介が中心人物。そして岸信介と関係が深い。

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