572 「結婚式(3)」

「結婚式の時の、白い衣装じゃないんだな」


「パンフレットには、白いのは白無垢、今の赤いやつは色打ち掛けと呼ぶそうだ。それにパーティーの後半は、ドレスに着替えるらしい」


 披露宴会場で、新郎新婦が入場してしばらくすると、出席者達は食事をしながら歓談していた。

 披露宴の余興としての見世物もあったが、今はゆったりした気持ちで食事が出来るよう、楽団が静かな音楽を奏でていた。

 そのピアノ演奏者が新郎新婦の親族で、日本では既に有名な少年音楽家という事で、それを聞くだけでも価値があった。


「都合3回か。派手とかいう以前に、そうも忙しいと花嫁にはなりたくないな」


「白から赤い着物は、上着を着るだけみたいだぞ。それと、男の方も後半はタキシードになるそうだ」


「まあ、そっちはどうでもいいよ」


「まあな。俺も後半のドレスに期待している。噂の宝石を身につけるかもしれないからな」


「宝石? 凄いのか?」


「二つ名は『フェニックス・ハート』。出どころも何もかも不明だが、世界最大最高級の大粒のルビーだ。ドレス姿の時に、時折身につけているらしい」


「らしい? 世界最高級なのに分からないのか?」


「情報が少ない。公表されているのは、現物と鑑定書の写真だけ。あとは、日本国内での非公式の公開が何度か。それ以外だと、身につけた姿の写真のみ。しかも日本国外に持ち出した形跡はなし。財閥社員の何人かに聞いてみたが、遠目で見たことあるという以上の情報はない。かといって、一族秘蔵の品かといえば、エンプレスが10歳になった頃から彼女だけが身につけたという記録しかない」


「話題作りじゃないのか? ルビーより価値の低い赤い宝石か紛い物を、それらしく見せているだけとか」


「……お前、この財閥と一族の財力が、ステイツの最上級の一族の一角にも匹敵する事くらい知っているだろ。急速に隆盛したといっても、そんな間抜けな事をすると思うか?」


「それじゃあ、本物なのか。それで、探偵さんの読みでは、どういう謎があるんだ? お前、そういうの好きだったよな」


「だから少し調べた。だが何も出てこない。後ろ暗いところもない。噂も色々だ。世界恐慌の翌年からだから、破産したやつから密かに購入したとか、チャイナの墳墓で手に入れたとか、実はロマノフ王家の隠し財宝の一つだとか、タイクーンから賜ったとか」


「どれも胡散臭いな」


「まあ、この一族と財閥の隆盛自体が、1920年代後半のダウ・インデックス株での世紀の大成功だからな。そしてそれを成したのが、当時まだ10歳に満たない今日の新婦であり、成功の象徴一つがそのルビーだという噂だ」


「『フェニックス・エンプレス』か。その話は知っているが、運よく株で大成功した事を脚色する為の話題作りの与太話だろ。俺はそう聞いているぞ」


「そうなのかもな。真実は、余程雲の上の連中じゃないと、知る由もない。強引に真実を知ろうとした奴は、サメの餌になったとも言うからな。今日も、何人か欠席しているという噂だ」


「噂ね。俺は目の前の事実だけで十分だよ。この目の前の美味い飯のようにな」


「そう思うのが一番健全だろうな」


「だが、宝石の真実は知りたいか?」


「全部とは言わんが、もう少し知りたい。せめてもう少し前の席なら、新婦の胸元で輝く宝石をよく見れたんだろうがなあ」


 そう言って自前のオペラグラスを手に取りつつ新郎新婦の席を見るが、その距離は20メートル近くあった。そしてそれでも、長方形の広い会場の中では随分と近い方だった。

 そしてその上座では、赤を基調にした白無垢同様に最高級の色打ち掛けに文金高島田を角隠しで覆った花嫁と、明治神宮の時とは一応違う紋付に変えた新郎が座っていた。


 そしてこうした結婚披露宴の例に漏れず、目の前の食事にはほとんど手が付けられていなかった。

 二人が口に付けたのは、乾杯の際の酒杯くらいかもしれない。

 何かを言ったのも、最初の挨拶くらい。何かをしたのは、この頃だとまだ一般的とはいえないウェディングケーキの入刀。


 各テーブルに挨拶に回るなどは一切なし。

 あとは、自分たちのプロフィールで苦笑していたのが一番の表情の変化だった。他は、様々な人の祝辞や祝電を聞いたり、余興を一緒に見ているだけ。披露宴の名の通り、まさに見られる為にいるようなものだった。


 そうして開始から1時間ほどすると、新郎新婦はお色直しのために一旦下がり、会場はさらに砕けた歓談の場となる。

 


「何事もなし、か。あれで打ち止めだったのか」


「給仕をしている者からも、不審者は見られずとの報告です」


「ホテル内、ホテル周辺も異常ありません」


「ご苦労。アカどもがロクに連携していないのも、良し悪しだな」


 会場がよく見渡せる部屋で、執事のセバスチャンが報告を受ける。表情は真剣だが、口元には皮肉げな笑みが浮かぶ。

 しかしそれも一瞬で、報告にきた数名に厳しい表情を向ける。


「最後まで気を抜くな。お嬢様、いや奥様には何事もなく、披露宴を終えて頂くぞ」


「「ハイ!」」


 

 

「オオォ」


 披露宴も半ばを過ぎ、新郎新婦が再入場してくるとどよめきが会場に響いた。再入場時のドライアイスの演出も効果を発揮していたかもしれないが、それ以上に主役が圧巻だった。

 新郎も文句のつけようがない美丈夫のタキシード姿だが、注目を集めたのは新婦だった。


 最初とは打って変わって、その姿はモダンな洋装。あのシャネルお手製のオーダーメイドと紹介されている。

 肩に薄絹のショールを羽織っているが、上半身は肩を大きく出し胸元を強調し、下半身は足が全く見えない長く大きく広がったスカート状になったドレスだった。


 あまりシャネルらしくないデザインだが、黒を基調としている点でシャネルらしいと人々は思った。それにある白人は、ルイ王朝華やかなりし頃のベルサイユ宮殿にでも居そうだと思ったという。


 そして何より、時折人々の話題に上っていた常識を疑うほど大粒のルビーをあしらったネックレスをかけおり、胸元で赤く妖しい輝きを放っていた。

 そしてその宝石に負けないどころかそれ以上の存在感を、身につけた新婦が放っていた。その瞳は、ただ視線を向けられただけでも、人々は強い力を感じたという。

 

「まさに女帝だな」


 誰かがそう呟いたが、それを否定する者はいなかった。


「披露宴というより戴冠式みたいだった」


 後日、誰かがそう感想を語った。

 そしてさっきまでとの違いが何かに気づいた人は考える。

 明治神宮では、綿帽子で正面以外から顔が見えなかった。お色直し前は、大きく結い上げた髪とそれを隠す布で、顔のかなりが隠れていた。

 だが洋装の今は、見た事もないような華麗な髪型に結い上げ、華やかなブーケで彩りを添えていたが、今まで一番顔を晒している形になっていた。


 

 そして人々の視線が新婦に集中している間に、一角では男性が一人運び出されていた。


「旦那様、どうされましたか? お酒が回られましたか?」


 同席していた者、近くの者は近づいた男性給仕のそんな声を聞いている。だが、誰も注意は払っていなかった。

 それ以前に、新郎新婦が入場してすぐにその旦那様と呼ばれた紳士が立ち上がり前に向かおうとした事すら、誰も気づきすらしていなかった。


「お酒が回られたようだ。医務室に!」


 その言葉で数名の給仕が駆けつけ、両脇を厳重に支えられつつ退出していった。

 しかしその男は、酩酊しているのではなく完全に気を失っていた。



「歩き方や仕草から奇妙だと思っていたのですが、気づくのが遅れ申し訳ありません。あと一歩遅ければ、走り出していたでしょう」


「いや、良く気づいた涼宮。流石、良い目をしているな」


 気を失った上に厳重に拘束された男性を前に、「酩酊」に最初に気づいた給仕と太った白人が言葉を交わす。

 鳳玲子の側近の涼宮輝男と執事のセバスチャンだ。部屋には他に数名詰めている。そして、何かの専門家と思しき人間が気を失った男性を調べる。だが、介抱や治療を施している訳ではなかった。


「ご覧下さい」


 数分後、赤毛のメイドにより手品の種明かしをするように、その場の全員の前に示される。


「間違いありません。爆薬です」


「爆薬の質と量は?」


「詳細は計測しないと不明ですが、この量だと10メートル以内でも十分に危険です」


 ハサミやナイフで切り裂かれた紳士の腹部の形に沿うような詰め物入りの布袋の、さらに中に小分けにされた爆薬があった。


「爆薬の匂いを覚えさせた犬すら用意したのに、すり抜けられるとはな」


「それよりも、この身につけ方は自身もろとも爆発するつもりです。狂気を感じますね」


「ファナテック・コミュニストというやつなんだろう。アメリカでは、テロ事件を起こしたんだろ」


「そっちも未発だがな」


「……こいつが、本命なんだろうか?」


「他には?」


 口々に言う中で、セバスチャンが担当者に問いかける。


「何も。監視は変わらず継続中です。最初に注意してありますので、新郎新婦に近寄ろうとする者はおりません」


「それを見越しての、この爆薬だな。手前で爆発しても、親族の方々が大勢巻き込まれてしまう。最後まで気を緩めるな。涼宮も頼む。それと、誰かミスタ・スミスにこの事の概要を伝えておいてくれ」


「畏まりました」



 その後、酩酊で運び出される人物は現れず、結婚披露宴の方も滞りなく閉宴を迎えた。

 新郎新婦は万雷の拍手に見送られて退場し、そのまま人目に触れることなく新婚旅行に旅立った。


 そして1時間もしないうちに、新婚旅行の主な交通手段となる貸切の専用船に乗り込んだので、暗殺者がまだいたとしても狙う事は不可能だった。



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お嬢様改め奥様「ア゛〜、疲れたぁ〜。寝るね」

シズ「奥様、湯浴みをされた後は、その……」

奥様「あ〜、初夜ってやつか。明日からいっぱい頑張るから、今晩はパスで」

晴虎「え?」

奥様「ごめんね。今日は出席者のプロファイリングで、もう限界。今も頭働いてなくて、風呂入ったら絶対溺れるし、横になったら3秒で寝る自信ある」

晴虎「え?」

奥様「船旅だけで10日くらいあるし、良いでしょ?」

晴虎「あ、はい」

シズ(早くも夫婦間の危機! いや、跡取りの危機なのでは?!)


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「お嬢様」「悪役令嬢」の看板を降ろさない為、プロット段階はもちろん、執筆するかなり直前まで何らかの理由での結婚の中止や破談、破綻を考えていました。(プロットでは結婚しないルートも作りました。)

ですが、どうにもマイナスの展開になりそうなのと、「一族もの」という面を強調する為、結婚は何事も起こしませんでした。

以後は「悪役夫人」としての活躍が始まる事でしょう(笑)


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タイクーン:

タイクーン(tycoon)は、英語で「実力者」や「大物」を意味する。「大君(日本国大君の略)」に由来。

この場合、天皇になる。



ウェディングケーキの入刀:

由来は古代ギリシアにまでさかのぼるが、今のようなケーキの入刀は1930年代から行われ始めた。



各テーブルに挨拶に回るなどは一切なし。:

日本の結婚披露宴でするキャンドルサービスは1959年と言われるが、1970年頃のヨーロッパ起源説もある。

由来となった儀式はキリスト教由来。



爆薬の匂いを覚えさせた犬:

麻薬探知犬だと、オランダ警察が1911年に採用したのが最初。日本での最初の導入は1979年。爆薬探知は、もっと後。

ここでの犬は、主人公の一言が原因だろう。

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