571 「結婚式(2)」

 7月に入ると、首相官邸の西側にそびえる鳳ホテルは、鳳一族の中ば貸切状態となっていた。


 鳳ホテルは1928年に開業してから、既に知名度は大きく向上していた。特に日本最大のホテルとして内外にも知られている。

 しかも開業5年で北側に隣接する形で、別館を増築した。別館の規模も本館となった最初の建物に匹敵する大きさで、館内には本館より本格的な大浴場、サウナ、スポーツジムなどのレクリエーションが充実していた。


 もっとも、本館から始まった飲食店街は、別の建物に広げられていた。この為、外堀通りを挟んだ斜め南側に、飲食店ばかりか高級な服飾専門店などが入ったビルの方に広がりつつあった。

 その先進性から、地下鉄が開通すればさらに多くの人が訪れると言われていた。

 その地下鉄工事も来年には開通予定だ。


 そして周辺部は、鳳グループによる再開発によって主に鳳グループの企業が入った大きなオフィスビルが立ち並んでいる。

 しかもグループの拡大に周辺部では追いつかず、新橋駅を目指すように虎ノ門地域に広がっていた。

 これらを合わせて「鳳の城下町」や、最近では「鳳王国」、さらには「鳳官庁街」などとも呼ばれつつあった。


 そしてその始まりにしてもっとも華やかな建造物が、日本一の規模と屈指の豪華さを誇る鳳ホテルだった。

 しかもこのホテルは、『二・二六事件』の舞台になった事で日本全土にその名が知れ渡り、災い転じて福となすという状況で繁盛していた。


 だが1937年の夏、7月頭からお盆にかけては鳳グループが多くを占有し続けた。

 その理由は、財閥宗家である鳳伯爵家の長子である鳳玲子と、一族傍系に当たる鳳晴虎の結婚披露宴をする為であり、その招待客が長期滞在する為だった。

 長期滞在する理由は他でもなく、欧米、主にアメリカから招待された国外からの来訪者達だったからだ。


 しかも鳳ホテルだけでは足りず、近くにある帝国ホテルにも多くが滞在する事となった。

 そして鳳一族が結婚披露宴に招いた招待客達は、式が終わるとビジネスの話をする以外では、主に日本各地を観光して回った。


 この動きは、1930年代に入り外国人観光客を招いて外貨獲得をしようという日本政府との思惑とも合致しており、この時期に建設された日本各地のホテルや宿泊施設を利用して回る事になる。

 

 そして今回は、鳳グループと鳳一族でなければ、一度にこれほど多数の欧米の上客は来なかっただろうし、鳳のホテルが無ければ対応するのは非常に難しかっただろう。

 そうして7月3日、鳳ホテルは多くの外国人で溢れた。


 午前中の結婚式に続いて、午後からは結婚披露宴が盛大に催されたからだ。

 そしてロビーなどには、会場入りする前の人々が思い思いにたむろしていた。


「やけに白人の招待客が多いんだな」


「そりゃあ我が鳳グループは、英米との関係が深いからだろ。だが、日本国内からも、錚々(そうそう)たる面子が来ているらしいぞ。祝電は、皇族にまで及ぶと言うからな」


「今や飛ぶ鳥を落とす勢いの大財閥だから当然だろ」


「それだけじゃない。宇垣内閣の後ろに誰が付いているのか、政財界で知らない奴はいないからな」


「そういうの、あんまり大きな声で言うなよ」


「大丈夫。今日のここは、警備の問題とかで敵のブン屋は締め出されている」


「そうなのか?」


「それより見ろ。外相だぜ」


「吉田茂か。小松の縁者だから、当然出るよな」


「鳳一族、いや、あのお嬢様と昵懇(じっこん)らしいぞ」


「お嬢様じゃなくて、今日の花嫁だろ。婿は入り婿だが」


「我らが主家は、本当の長子継承だからな」


「だが入り婿殿は分家筋の長男。鳳重工の御曹司じゃないか」


「そういえば、法律上は大丈夫なのか?」


「先代の兄弟の子供と孫だ。血筋はそれなりに離れているから、問題ないんだろ。まあ、下々の俺たちには分からん世界だがな」


「それは言えてる」


「だが、感慨深いって奴だな。俺は最初の鳳凰会から出ているが、最初にお嬢様が出席した時は、まだこれくらいだったんだぜ」


「その頃は10かそこらだろ。神童だっていうが」


「一族の同世代も随分優秀だから、そうなんだろ。何せ、巫女とか噂が立つくらいに先読みできるんだろ。鳳の空前の成功も、お嬢様のお陰とも言うしな。途方も無いんじゃないのか?」


「そういうのは、あんまり深入りしない事だな」


「触らぬ神に祟りなしとは聞くが、そうなのか?」


「さあな。間諜としてグループ中枢に入り込んだ奴が、突然姿を消したとか噂は聞いたことがある。だが、拐かしとか下らない事を考えないようにさせる為の噂だろうな」


「そんなところだろうな。それにしても、次々に凄い顔が通り過ぎていくな。さっき通ったのも三菱総帥の一族だったぞ」


「それに、妙に軍人が多くないか? しかもあの飾りの多さ、中央の恩賜組だろ」


「うちは軍からの受注も増えたし、そもそも一族の現当主が元少将閣下で、他にも将校をしている人がいただろ」


「龍也様だ。ついたあだ名が『首席の鳳』だったな。しかしこれだけ色々と多いと、鳳グループの俺たちは端役もいいところだな」


「当たり前だろ。だが招待されただけマシだ。社長会だとあの会場を埋め尽くす社長や重役が、今日は精々2、3割だそうだ」


「それに、最近の社長会は詰め込んで2000人だが、今日はせいぜい1500人程度という話だ」


「さっき、中を少しのぞいたが、やっぱり丸テーブルだった。てっきり、社長会みたいに長テーブルを並べるものと思っていた」


「招待客の格が違うからだろうな。まあ、世紀の催し、歴史の1ページってやつだ。端役でも出席出来る事を喜んでおこうじゃないか」


「全くだな。それにしても、あのお嬢様もついに年貢の納め時か」


「女に年貢の納め時はないだろ。気持ちは分かるが」


 上質なスーツ姿の日本人数名が、ロビー脇でそんな会話をしている。

 年齢と身なりから見ても、それなりに裕福な人物と分かる。すぐ側では、黒留袖姿の夫人と思しき人達が女性ばかりで談笑している。


 そして、そこかしこに、そうした人々の姿があった。

 結婚披露宴の招待客の、8割は日本人だからそれも当然だった。それでも白人が多いと思うのは、この時代の日本国内で外国人、特に白人を見ることが少ないからだ。

 それは帝都東京でも、それほど違いは無かった。



 そうして、会場となる大宴会場以外の様々な部屋などに分散していた招待客たちは、お昼頃になると徐々に会場入りしていった。

 最大2000名を収容できる、この時代で日本最大級のホールは、上座の壇上に金屏風を後ろに置いた新郎新婦の席が設けられ、すぐ近くを親族、その周りを一族に近い者といったように、招待された者の重要度に応じて厳格に席が用意されていた。

 そうして招待客をさばくのにホテル従業員だけでは足りず、鳳伯爵家からも大量に人が送り込まれていた。


 そして会場に入っているのは、単なる使用人だけではなかった。


「左側の随員、あのハゲの男、服の下に大きな拳銃を忍ばせています。歩き方から見て45口径でしょう」


「これで3人目か。確認してから別室にお連れしろ」


「はい」


 報告した赤毛のメイドがお辞儀をすると、数名を連れて目星をつけた男へと向かっていく。

 それを見送る、新婦の執事であるセバスチャン・ステュアートは、命じながらも笑顔を絶やさない。

 何しろ彼のいる場所では、招待客らが頻繁に往来している。剣呑な表情や雰囲気など出せるわけがなかった。


 するとそこに、一人の長身でスマートながら立派な体格の紳士が近づいて来る。こちらも見た目は笑顔だ。


「ミスタ・ステュアート、どうですか?」


 その言葉と共に周りにいた数名が人垣を作り、さらに少し影になる場所に移動する。


「既に連絡した通り、2人を既に拘束済み。幸いその場で暴れるほど愚かではありませんでした。それと、新たに1名を今対処させています」


「3人ですか。こちらは、もう1名欠席でお願いします。他と同じく、急な体調不良で欠席ということになるでしょう。日本のツユという雨季は、ステイツの者には合わないらしい」


「素早い対応、感謝致します」


「とんでもない。エンプレスを狙うヒットマンを大量に連れ込んだのは、我々ステイツの人間です。ステイツで万全に対処できたと考えていたのですが、今頃ステイツでも大騒ぎでしょう。自分達の足元に、まだ他にもコミュニストのスパイやシンパがいるのも同じですからね」


 少し疲れ気味の表情の紳士に、太った執事はニヤリと笑みを浮かべる。


「お嬢様がおっしゃるには、アカは1人を見たら30人はいると思え、だそうです」


「金言ですね。それにしても、以前から忠告を受けてなお、こんなに深く入り込まれていたとは、背筋が凍る思いです。それにひきかえ、皆さんは優秀だ」


「我々も常々注意はしておりますが、日本の治安組織が優秀なのと、日本の過激な共産主義者が間抜けなお陰です。アメリカとは事情が随分と違いますよ」


「なるほど。確かに日本では、共産主義活動は抑え込まれていますね。ステイツも見習いたいものだ」


「アメリカでは、まだまだコミュニストとそのシンパは多いようですね」


「ええ。それでも過激な者はごく一部ですが、今回は「眠っていた状態」の過激な者が動いた事になりますね」


「やはりコミンテルン、いやソビエト連邦の命令でしょうか」


「間違いないでしょう。そして目的は、鳳一族の顔に泥塗る程度ではありません。エンプレスの暗殺です。それ以外に、彼らの目的は達せられないでしょう。それで、直接の護衛の方は?」


「お嬢様と晴虎様の席は壇上ですし、最前列からでも最低3メートルは離れています。また壇上の下に、常に4名が待機。舞台袖に当たる場所にも、左右2名ずつ。

 お二人のテーブルは、選りすぐった黒檀を使用。分厚いので、倒して盾に使えば拳銃程度なら大半を、多少の爆弾程度でも難なく防ぎます。

 そして来賓席の最前列は親族で、ある程度子供も出席しますから、他の来賓は近づけません。また通り道の近くには、一族内でも荒事に長けた者が座ります。

 その他、使用人、給仕の要所にも腕の立つ者を。さらに龍也様が、特に信頼できる腕の立つ軍人を招待されてもいます。また最悪の事態に備え、別室の内窓からは全体監視も兼ねた狙撃兵も待機します」


「ホテル周辺から始まる警備体制を考えると、プレジデント以上ですね。問題は、会場に入った者が爆発物を所持していた場合でしょうか」


「来賓の随員は式が始まる前に全員外に追い出すので、まずその点で安全度は高まるでしょう。そしてご婦人以外、手荷物は原則禁止なので、服の下に隠すしかありませんな。ですが、今の所拘束した者を含めて、爆発物は発見されておりません。ただ拳銃は45口径ばかり。既に拘束した紳士の一人は、護身用で常に身につけているとおっしゃられておりましたがね」


「狙うとしても遠距離になるからか、1発で確実を期すためと言ったところでしょう」


「ええ。国外からの来賓は、最短でも10メートルは離れていますから、その場から拳銃で狙うのは難しいでしょうしね」


「はい。ですが拳銃持ちは、最初からある程度見つかるのが前提でしょう。こんな場に武器を持って入り、暗殺を企てようということ自体が異常です」


「でしょうな。普通なら選り抜きを1人。ここぞというところで仕掛けるでしょう。見つかった大半が囮か、送り込める選り抜きがいないので物量戦に出たか」


「物量戦で、既に弾切れの状況を願いたいですね。ですが、なぜでしょう? 千載一遇の機会かもしれませんが、リスクも大きい」


「ご当主様、時田様の読みでは、ソ連で大規模な粛清が始まったので、それがひと段落する間にロシアが攻撃される可能性を減らしたいから、との事です。

 勿論、反共産主義活動への恨みも積もり積もっているでしょうがね。まだ未確認ですが、そちらのプレジデントの息がかかった者か、そのシンパが送り込んだ者もいました」


「それを知らせれば、本国は大荒れ確定ですね。だが彼らにとっては、切実な理由があるわけだ。では、我々も尚一層気を引き締めましょう」


「ええ、お嬢様の晴れの舞台を、決して血で汚させるわけには参りませんからな」


 その言葉を最後に、二人の男はその場を後にした。

 そしてその後、アメリカからの招待客はさらに2名が欠席となった。


 アメリカ出発前から合わせると10名にもなり、その後アメリカ本国では自分達の幹部にまで浸透しているコミュニズムに対する、激しい活動が実施される事となるが、それは少し先の事だった。



__________________

 

外国人観光客を招いて外貨獲得:

これは史実でもほぼ同じ。

日本各地にある古いホテルは、この時期の政府の政策で建設、開業された。

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