570 「結婚式(1)」

「この日を迎える事が出来て、心底安心するよ」


「左様にございますな」


 大きな神社の一角で、老境の男性二人が感慨深げに周囲の人々や情景を穏やかに見る。


 1937年、昭和12年、7月3日土曜日。大安吉日。

 天気は、梅雨の合間で小雨がぱらつく曇り空。だが、日が出ていないおかげで、この季節にしては気温は低い。

 それでも、主に海外からの来賓の為に用意した冷房装置の付いたバスが、何台も活躍していた。だが、日本人にとっては激しい運動でもしない限り、冷房のお世話になる必要もなかった。


 場所は明治神宮。今回の結婚式の為に、半ば貸し切る形で催される。

 もっとも、主に神社で行う「神前式」の伝統は浅い。

 神道の神々に誓いを立てる様式だが、1900年(明治33年)年に行われた大正天皇のご成婚が最初だ。


 それまでの日本の結婚式は、新郎の自宅に身内の者が集まり床の間に祀られた神様の前で行う形だった。

 鳳一族も同様で、日本人の多くもまだこの頃は自宅で式を挙げる。

 そういった背景もあり、今回の結婚式は国内でもかなり注目されている。


 何しろ鳳一族は、日本に100家程度しかない伯爵家であると同時に、今や日本屈指の大財閥。その上鳳一族は、莫大な資産を保有していると一部では囁かれていた。

 この10年ほどの巨大すぎる成功は、一族が持つ国家予算に匹敵するとまで噂される巨大な資産が無ければ、到底不可能な規模だからだ。


 もっとも、結婚式の報道は自らの財閥に属する皇国新聞のみ。大手はシャットアウト。しかも、自らの警備会社、家人を使い、過剰なくらい警備、封鎖してあった。

 神社に潜入しようとしたブン屋が何名も捕まったが、彼らの抗議を「警備上の理由」で聞き入れることはなかった。


 その代わりと言うべきか、映画撮影でもするかの様な最新の映像機材とスタッフが用意されていた。写真の方も、白黒ではなく最新技術のカラーのものが用意された。その上、全てが市販のものではなく、特注の最高級素材を使うという徹底ぶりだ。

 そうした撮影の総指揮は、これから式を挙げる女性の執事の一人が熱心に行なっている。

 そんな様を見て、二人の老人は小さく苦笑した。


「列にも式にも加わらず、熱心な事だ」


「あれほど忠義に厚いとは、拾った頃は思いもしませんでしたな」


「安心して後は任せられるか?」


「玲子様個人に対してなら私以上でしょう。実務の方は、荒事と国外の事でしたら。ですが国内の事となると、もう少し仕込まねばならんでしょうな」


「では、お互い隠居はもう少し先になりそうだな」


「そうですな。ですが、これで一つの節目に御座います」


「節目か。少しばかり早いが、そこは我慢してもらうしかない。まあ、あいつには小さな頃から子供らしい事はロクにさせてやれなかったから、今更か」


「……悔いておいでですか?」


 少し意外そうに、仕える側の老人が問いかける。それにもう一人の老人が、片眉を上げる。


「悔いはないが、責任は感じている。これでも、祖父であり父親代わりだからな。だが、親代わりも今日限りだ」


 仕える側の老人に返答はなく、ただ恭しい一礼を返すのみだった。

 それにもう一人の老人は短く笑う。


「さあ、俺達も映写機に収まりに行くぞ。玲子の晴れ舞台だ」


「はい。お供いたします」


「何を言っている。時田、お前ら仲人の役だろうが」


「おっと、そうでした。歳は取るものではございませんな」


 


 様々なレンズの向こう、その少し先で、着飾った人々が行列を作りつつあった。

 参進(さんしん)の儀、いわゆる花嫁行列をする為だ。


「良いですか。お嬢様の一挙手一投足、全ての瞬間を逃さない様に!」


 かなり太った体型を上質の執事服で身を包んだ、今日結婚式を挙げる鳳玲子の執事であるセバスチャン・ステュアートは、熱の入った声をかける。

 彼女に仕える様になって約8年。出会った頃はまだ子供だったので、彼にとっても彼女の晴れ姿を見るのは、感慨もひとしおだった。

 油断すると、目頭が熱くなってしまう。

 だが影から目立たない様に一人の男性が近づくと、その熱くなりかけた眼が、全く違うものへと変化する。


「涼宮か。首尾は?」


「抜かりありません。既に船の上です。数日後には黒潮に乗り、いずれ祖国に帰るでしょう」


「ご苦労。他は?」


「今のところは、疑わしい者が来賓の随員の中に2、3名。ですが、今回の件に気付き、手を退く者が出るかもしれません」


「筋金入りのコミュニストが、そんなに甘ければ苦労はないんだがな。それにしても、八神殿、王殿が、道中随分と掃除してくれてこれとはな」


「八神様は、大統領の周辺かシンパの影をおっしゃっておられました。でなければ、入り込める筈がないと」


「あれだけアメリカのアカ掃除をされては、恨みが積もるのも必然か。それで残りは?」


「今までと変わらず、単に金で雇われた者もいました。それに技術と思想の双方を併せ持つ者は、そう多くはないでしょう」


「かもしれないが、くれぐれも……」


「はい。油断も容赦も致しません」


「頼んだぞ。お嬢様には決して知られるな。それと、この聖域を血で汚す事は決してない様に頼む」


「心得ております。ステュアート様におかれては、心置きなく我らが主の晴れ姿をその目にお納め下さい」


「涼宮も、お嬢様の晴れ姿をちゃんと目に納めておけよ」


 その言葉に太った執事は満面の笑みを浮かべて返すも、言葉をかけた方はその言葉を最後に、不思議と誰にも気づかれないままその場から姿を消した。

 だが、その場の全員が気づいていないわけではない。その内一人が、入れ替わりに太った執事の近くまで来る。

 いつもはブリテッシュ風のメイド姿だが、この日は珍しく地味目ながら上質の黒留袖に袖を通した女性だった。


「セバスチャン様」


「シズさん、心配いりません。アカは消毒済みです。少なくとも、この神殿での結婚式は問題ないでしょう」


「披露宴は?」


「出席者が増えます。現在進行形で、鳳警備保障の阿部様、貪狼殿、ミスタ・スミスとも連携して身元調査は続行していますが、何名かグレーがいます」


「うち何名かはクロですか?」


「間違いないでしょう。お嬢様を目の敵にする者は、アメリカに少なくないですからな」


「この日本で、お嬢様に近づく絶好の機会ですからね」


 そう言うと、黒留袖の女性の目がスーッと細くなる。


「シズさん、いけませんよ。今日のあなたは、お嬢様のお側で笑顔でいなくては」


「そうでした。セバスチャン様には」


「それ以上は言わないで下さい。あなたは、お嬢様にとって家族も同然。それにひきかえ私は、デブの無駄飯喰らい。どちらがお側にいるべきか、自明です。それに、こうして特等席で拝見する方が役得やもしれませんし、要所要所ではご挨拶にも伺います」


 ニコリと笑い言葉を締める。

 それにシズと呼ばれた黒留袖の女性は、相変わらずだなあと思いつつも、いつもの様に静かに綺麗な一礼をし、その場を後にする。

 彼女も、これからの花嫁行列から始まる結婚式に出席する為だ。


 そうしてしばらくすると、派手やかで艶やかで、そして厳かな花嫁行列が始まる。


 斎主、巫女、雅楽演奏者などの神職が、まずは先頭を進む。続いて主役である、新郎新婦がしずしずと進む。

 今回の縁組は入り婿となるせいか、花嫁はどこか威厳に満ちていた。


 白無垢に文金高島田を覆う綿帽子(わたぼうし)。姿自体は、ごく普通の花嫁衣装だったが、その全てがこの世に二つとない、この日の為に用意された最上級のものだった。

 当然全てが最上質の絹だったが、加えて繊維のダイヤモンドと言われる天蚕糸の、その中でも最上質のものがアクセントに使われていた。

 ただし、ほぼ地毛で結ったという文金高島田は、真っ白な綿帽子(わたぼうし)で、その素顔共々見ることは叶わなかった。


 新郎も身の丈6尺の偉丈夫で、大柄ながら細身の体を同じく最高品質の紋付羽織袴(もんつきはおりばかま)を纏っていた。

 其の紋には、鳳伯爵家の紋が記されている。


 そんな二人のすぐ後ろを、大きく赤い野点傘(のだてがさ)を持った男性を挟んで、仲人役の年老いた夫婦が進む。

 鳳伯爵家の筆頭執事であり、鳳玲子の筆頭執事でもある時田丈夫と、家の一切を取り仕切る家政婦の時田麻里だ。

 この二人は鳳伯爵家に長年仕えているが、家族ぐるみの付き合いであり、鳳玲子の世話役もしていたので今回の仲人役を務めていた。


 そして次はそれぞれの親が続くが、鳳玲子の両親は既に没していた。

 この為、祖父であるが戸籍を含めて親代わりとなっていた麒一郎(きいちろう)、瑞子(たまこ)が務める。

 新郎の側は、虎三郎(とらさぶろう)とアメリカ人のジェニファーが並ぶ。

 並びは父親が前列、母親が後列になる。


 そしてその後ろは、大勢の親族が続いた。基本的には10歳以上の者で出席できる者全てが参列していたのだが、30名以上になる。

 それぞれが素晴らしい衣装を纏っており、そして纏う当人達も見栄えのする者ばかりなので、非常に華やかな行列だった。


 さらに列の最初の方では、鳳一族に仕える者達が石畳の道の両脇に閲兵式のように並んだ。

 ただしあくまで一族の式である為、鳳グループに属する者はいない。


 そしてその行列を、雅楽(がかく)の音楽が静かにかつ厳かに盛り上げる。

 映画の撮影と言われても何ら違和感のないもので、行列を見学に来ていた欧米からの来賓は、口々に「アメイジング」「エクセレント」などと感嘆の言葉を自然と呟いてた。


 そうして先導する神職らに導かれ、行列は結婚式がとり行われる神殿へと入っていった。

 式自体は、厳かではあるが他と変わりなかった。



 神事を行う斎主が結婚を伝える祝詞(のりと)を奏上し、三三九度の杯を交わす三献の儀を行う。

 少し珍しいのは、新郎新婦が誓詞奉読の後で指輪交換をすることくらいだろう。それでも大正時代には結婚指輪の慣習は定着しているので、神前婚の中でするのが少し珍しいくらいだ。


 指輪自体も、二人の身分、財力から見ればささやかすぎるものだった。豪華にする事も出来たが、普段から付けるのなら簡素のもので良いと新郎新婦が決めた為だ。

 それでも使われた宝石は、小さいながらも最上の中でも最上のものなのは間違いなかった。


 その後も式は滞りなく進み、玉串をささげた後に雅楽奉納の巫女の舞があり、親族がお神酒を飲み、斎主が儀式が終わった事を宣言し、滞りなく終了した。

 委細は撮影されていたが、誰かに見せるという点では、最初の行列だけとも言えるものでしかなかった。


 だが、鳳一族の栄華と繁栄を見せつけるのは、午後に催される披露宴の方だった。



__________________


明治神宮:

明治天皇の崩御を切っ掛けとして建立。創建は1920年。

外苑など周辺を含めると、日本全国から植樹された森が広がる。



神前式:

本文内の説明と同じ。

長くなるので、本文に入れ込んだ。

一般に広まったのは、第二次世界大戦後。



最新の映像機材:

この時点では、「テクニカラー」という技術を使ったものだろう。



写真の方:

1935年に「トライパック」カラーフィルムが発明され、36年から販売開始。ドイツも同時期に発明、販売。

日本は少し遅れた。

もっとも、作中では金にあかせて撮るので、市販とは違うものを使っているだろう。

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