569 「結婚式前日」
7月2日。結婚式前日になった。
21世紀と違い、二人で手作り結婚式という事はない。
それに私は、黄昏れるどころか今や日本有数の金持ち一族の長子。つまり一族の中枢の人間なので、二人だけの通過儀礼ではなく一族全体の通過儀礼となるから、全部執事やメイド、使用人達にお任せだ。
ベルトコンベアーに乗っていれば、式典その他諸々を完成品に仕上げてくれる。
そもそも、この時代の結婚式というより婚礼の儀は、親が準備するのが当たり前だった。
私達が直に事前にやるべき事も、親への挨拶などはもう全部済ませた。事前にやっておく事、リハーサル、諸々全部完了。
あとは、半ば私が広めて輸入してきたエステで体を磨き上げ、当日に備えて体調を万全にする事くらいしか残っていない。
なお、婚礼の儀は、細々した婚礼の儀礼のこまかな行事を消化しつつ、3日から最大1週間くらいかけて、盛大に催すものらしい。
しかも、「娘三人持てば身代つぶす」ということわざがあるように豪華に行う。
けど鳳では、欧米からの来賓の文化に合わせたり、出席者の時間的拘束を最小限にするという事前の触れ込みで、細かな行事の多くを身内で消化しておき、1日で全部してしまう。
私的には、21世紀の結婚式スタイルだ。
けどこれを始めたのは、明治の後半に入ってからだったけど、創業者の玄一郎(げんいちろう)様と麟(りん)だ。
創業者が面倒がったからだと伝わっているけど、大正時代から幕末への逆行者である麟(りん)が深く関わっていると見て間違い無いだろう。
そして私自身は前世を通じて初婚になるけど、自分で思っていたより緊張や気負いはない。
前世は独身で終えたし、その他大勢のモブである自信はあるけど、学生時代は自慢できない程度に人並みな事はあった。
とはいえ、ゴールインは全く可能性も無かったから、いざ結婚となるとテンパるかと思っていた。
けど、心は思った以上に平静だ。逆に、ニヤついたり浮ついたりもしていないと思う。
婚約から結構時間もあったし、相手がハルトさんだからかも知れない。
なお、そのハルトさんの方は「バチェラーパーティー」ってやつが残っている。
けど、ハルトさんはハーバードに行ったから、気心の知れた友人が日本には少ない。私とはあまり接点のない側近の人を除くと、留学前の高校時代の友人が数名。
それに、最終学歴の友人が生涯の友というように、アメリカから数名が来賓している。その中には、これからハルトさんの側近となる人もいる。
そして日本人の方はもう騒いでいるので、来日している学友と馬鹿騒ぎしない程度に飲むらしい。
(男はいいよなあ。女は、21世紀はともかくこの時代は前祝いに呑み明かすとかありえないのに。そもそも未成年だし、私の女友達って言える人かあ……)
「というわけで、女子だけのアフタヌーン・ティーにしてみました!」
「何がどう『というわけ』なの?」
お芳ちゃんが、珍しく心の底からの疑問の視線を向けてくる。平日の午後なので、参加者は少ない。
大人は仕事、子供達の大半はまだ学校がある。お芳ちゃんは、一応試験だけ受けたらオーケーな超特待生なので、こうして顔を出している。それに私の秘書のマイさんも客として呼んだ。
あとは、護衛のシズとリズ、みっちゃん達側近の護衛担当の女子達は客としては呼べないけど、臨席はしてもらった。ただし、瑤子ちゃんは学校。姫乃ちゃんも同じ。
これが、平日昼間に集められる私の全てだった。
「ホラ、新郎は結婚式の前日に、男友達と飲み明かしたりするでしょ。ハルトさんもするみたいだから、私もせめて女子だけのお茶会の一つでもって思ったのよ」
「それなら夜を待てば、瑤子様もお呼びになれるのでは?」
みっちゃんが、ごもっともな疑問。私も頷き返す。
「うん。それも考えたけど、着付けもあるから明日の朝早いし、みんなも明日は早いでしょう。夜は早く寝ないと」
「そういうところ、お嬢って真面目だよね」
「失敗したくないだけ。一族のメンツがかかってるからね」
「それ、分かる。私も緊張したもの」
プライベートで呼んでいるので、普段言葉なマイさんがウンウンと深く頷いている。
そこからは、主にみんなで唯一の既婚者のマイさんの体験談を聞く事になった。
そうして話していると、ふと側近の誰かが言った。
「そういえば、乳母はどうされるのですか?」と。
私としては当然「え? いらないでしょう」と返すも、さらに言葉を重ねられた。
「ですが玲子様は、次の鳳の長子を早くお作りになられますよね。だったら、早めに信頼できる乳母をご用意されるべきではありませんか?」
乳母は、明治時代に急速に廃れていった。皇族など一部は別だけど、鳳は曾お爺様も乳母はいなかったと聞いている。
そして鳳一族では、使用人が育児を世話係として補佐をするだけ。緊急事態以外では、乳母は置いていない。その緊急事態の一人が、母が早期に病没した私になる。
けど、母が亡くなったのは乳離した後だったから、明確な形での乳母じゃない。その人は関東大震災で亡くなったけど、一族に近い使用人が私の母親代わりで世話をしていただけ、要は養母、保母さんポジだったそうだ。
鳳の本邸に来てから私の面倒を見てくれた麻里も、乳母的ポジションではあったけど世話役でしかなかった。
だから質問に首を横に振る。質問者は、鳳の本邸で今まで小さな子供がいないので質問してきただけだろう。
「鳳は乳母は置かないのよ」
「これほど大きな家なのにですか?」
「うん、昔は小さな家だったしね。それでも、使用人に補佐はしてもらうけどね。ねえ、マイさん」
「ええ。私、というか虎三郎の場合も、手伝っただけって聞いているわ。それに今だと粉ミルクもあるし、昔よりも便利になったから、尚の事乳母は置かないんじゃないかしら」
「まあ、そう言うわけよ。あなた達も、子供の遊び相手くらいはしてあげてね」
「はい、勿論。ですが、その世話人はどなたに? やはり香月様ですか?」
「シズは、私が結婚したらって約束で、いい人を探す予定。麻里が探してくれているわ」
話を振っても、離れたテーブルのシズは黙っている。肯定も反論もしたくないって感じだ。
「では香月様は、一時的にお嬢様付きから外れるのですか?」
「私の予定では、シズが妊娠中と子育ての忙しい時以外は、側にいて欲しいわね。みんなもよ」
「「はいっ!」」
護衛担当の側近達は体育会系ぽいせいか、こういう時の反応が元気でいい。
それで私の方は一件落着したから、マイさんに振る。
「マイさんは、子供ができたらどうするんですか? 今って、住み込みの使用人は置いていませんよね」
「ええ、鳳の本邸から手伝いに来てくれているだけね。お陰様で今も、涼太と二人でのんびりやっているわよ。でも、子供の世話の事は具体的に考えてなかったなあ」
「私は、子育てで長期間外れてもらっても全然構いませんけど、マイさんは働きたいんですよね」
「うん。出来ればね。だから世話役みたいな形で、手伝ってくれる人は増やす事になるでしょうね。あ、でも、玲子ちゃんの妊娠と合わせたら、仕事の空白期間を短くできるのね。涼太と相談してみるわ」
「そこまでしなくても構いませんが、好きにして下さい。あ、でも、同世代だと子供同士で遊びやすいですね」
「うん。玲子ちゃん達や、今のちっさい子達みたいに、一族内で同世代が多いと良いわよね」
「そうですね。けど、子供達の事を考えると、サラさん達やリョウさん達のお子さんとも合わせたいですね」
「確かに。まあ、そっちは二人目を合わせれば良いでしょう」
「そうなると年子か。育てるのが大変かも」
「玲子ちゃんには子供の数だけ世話役が付くし、ご当主様はお子さんが多い方が喜ばれるわよ。一族のみんなもね」
「ウヘーっ。そう言われると、ちょっとプレッシャーだなあ」
結婚式を通り越えた会話で、何だか急に所帯じみてきた気がしないでもなかった。
けど、多くの資産を有する者にとっては、子供は間違いなく財産で、それなりに数が多い方が良い。家を継ぐ者だけでなく、一族として家を支える者が必要だからだ。
そしてそんな事を話している間に時間も過ぎ、早めに夕食をとって、そして早めに就寝した。
明日は夜明け前には起きたら、1日全力運転になるだろうから。
(これがゲームの中なら、悪役令嬢がいなくなってしまうから、ゲーム的には一種のバッドエンドでゲームは強制終了になるのかな? ……明日が結婚だってのに、私、下らない事考えてるなあ)
そんな事を思っているうちに、緊張で眠れないかもという懸念もなんのその、気がついたら爆睡していた。
私は案外大物だったらしい。
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「娘三人持てば身代つぶす」:
少し前の時代まで娘の嫁入りには、花嫁修行を含め新所帯に必要な家具や着物など多額の費用がかかった。
戦後は多くの人が貧しくなり一気に廃れた。
名古屋は今も近い伝統が残っている。
エステ:
欧米でも、近代的なものは20世紀に入ってから普及し始めた。日本ではほぼ戦後スタートで、急成長したのはバブル経済以後。
「バチェラーパーティー」:
新郎が独身最後に男友達と開催するパーティー。
乳母:
皇族の場合は、「乳人(めのと)」制度の慣例が長く受け継がれた。
粉ミルク:
欧米では19世紀半ばから販売。
日本では、1921年に森永が製造販売を開始。
粉ミルクの発明により、母乳の飲めない状況に置かれた乳児が生き延びる事が可能になり乳幼児死亡率も大きく低下した。
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