550 「亜欧空路の旅(5)」

「それで、お嬢の寸評は?」


「覇気を無くしたおっさん」


 翌日の朝、アイゼンハワー中佐に見送られてマニラを飛び立ち、水平飛行に入って一路シンガポールを目指す。そうして、機内ラウンジに陣取っての最初のやり取りがそれだった。


 昨日の夜は、かなり長い時間マッカーサーとの会話に花が咲いたって感じだったけど、日付が変わる前にはなんとか解放された。

 マッカーサーは、金に目が眩んで独立が決まったとはいえ、まだまだ植民地での軍事顧問というお山の大将を気取っていた。

 けど、要は退屈だったのだ。


 何しろ、フィリピンにわざわざ来る人間なんて限られている。要人となれば尚更だ。そして自尊心の強いマッカーサーとしては、要人でなければ会うに値しないわけで、尚更人と会う機会も少ないのだろう。

 そこに日本の大金持ちで、アメリカにも太いパイプがあるという奴が通りかかったわけだから、相手が女子供でも自分が相手をする価値があると考えたに違いない。


 なお、終始紳士的だったのは、こっちが超が付くブルジョアでしかも女子だから。

 フィリピンへの投資話は、多分だけど社交辞令程度。本命で聞いてきたであろう、この先などと言う妙な事も、南国の僻地でくすぶっているから。

 投資話については、空路も開くし、マッカーサーの顔を立てる程度の事をすれば良いだろう。

 その辺りを、まずは説明と一緒に話して聞かせた。



「でも、10年程したら、日本を占領しに来るんじゃなかったっけ?」


「日本がアメリカと全面戦争すれば、フィリピン防衛で英雄になって、そのまま司令官になって、日本に踏み込んで来るかもね」


「現状では、日本とアメリカの全面戦争の可能性は非常に低いですな。マッカーサー氏の活躍の場そのものが無いのでは?」


「そうなのよね。だから、どう返事をしようか悩んだわよ。日米が仲良いから、あなたの出番はもうありません。なんて言えるわけないし」


「夢に出てきたマッカーサー氏は、どのような経歴を?」


「マイさんには、まだ話してませんでしたっけ?」


「はい」


「ちなみに、マイさんの寸評は?」


「話していて分かりましたが、頭の切れる方なのは間違いないですね。尊大さは殆ど見せられませんでしたが、あの方に対する好悪は人によって強く別れるとは思います」


「確かに、夢の中だと酷く嫌うか心酔するかのどっちかでした。日本人も、大半が崇拝する方だった筈」


「日本人が? 司令官として以外にでしょうか?」


「1945年8月30日、連合国軍最高司令官として日本を占領するべく厚木飛行場に降り立ちます」


 ちょっと芝居がかって歴女知識を披露すると、目を大きく見開いて反応した。


「日本がアメリカと戦争になって負けると言う話は聞いていましたけど、あの人が。でも玲子様は、副官のアイゼンハワー中佐とも今後の関係を結ばれていましたが、あの方も何かを成すのでしょうか?」


「確か何年かしたらアメリカ本国に帰って、上手くいけば戦争で大出世。7、8年先に元帥閣下になります。本物のね。だから、今後は手紙のやり取りをするし、アメリカ行ったらあの人を売り込んでおく予定。青田買いに近いですけどね。あと、元帥になるかもしれないのはマッカーサー元帥も同じだけど、アイゼンハワーさんは後押ししとかないと、将来の芽が無いかもだから」


「アイゼンハワーさんは、今中佐ですよね。来年帰国されるとしたら、そこから毎年昇進するなんて有りえるんですね」


「うん。記録的な事、みたいな評価だった筈。けど、こっちも日本軍と戦うからフィリピンに詳しい人って事で出世のとっかかりになる筈だから、大出世するかは未知数ですね」


「お嬢が歴史を引っ掻き回した影響だね」


「運が巡って来ないだけだから、別に良いじゃない。しかも日本とアメリカの戦争なんて、しない方が良いでしょう」


「日本に勝ち目ないもんね。それにしても、お嬢の夢は日本が酷い目にあうものばかっかりだね」


「程度の差はあるけど、世界の大半の国が酷い目にあうのは一緒よ。もうちょっと、何とかしたかったんだけどね」


「何とかする為に、今回欧米に行かれるのでは?」


「何とかする為というより、この目で確認する為かな」


「何ともならないんですね」


「多分、もう無理。そもそも世界をどうにかするなんて、私には無理。無理ゲーすぎ。日本を少し良くするので精一杯。それでも、世界の方も少しでもマシになって欲しいんだけどなあ」


 言いながら大きく背伸びして、みんなから一瞬だけ表情を隠す。また言い訳を言っている自分への嫌悪が、多分顔に出ているからだ。

 そして伸びをするフリをして軽く深呼吸も済まし、みんなに向き直る。


「何とかなるかもしれないルートも、もしかしたら、あるんだけどね」


「お聞きしても?」


 マイさんじゃなくて、しばらく黙って聞いていたセバスチャンが目だけ興味深げにこっちを見てくる。


「妄想の類で良ければね。……話したと思うけど、もうすぐソ連で軍への物凄い規模の大粛清が始まるでしょ。それがピークに達する来年くらいに、ドイツが本格的な膨張政策を始める。そこで英仏、それに日米も全部が一斉にドイツに宣戦布告して、まだ軍隊が完成していないナチス政権を一気に叩き潰す。

 そして、大粛清が終わって独裁体制を強化し終えたソ連を、欧州と極東から押さえ込んでしまう。

 それで二度目の世界戦争は避けられるんじゃないかなー、と」


「何とかする為ですら、戦争が必要なんですね」


「ヒトラーとスターリンが同時期に暗殺されて、どっちの国も残った奴らの権力争いで大規模な内乱にでも陥ってくれれば話は別ですけどね」


 深刻そうなマイさんに、そう返すのが精一杯だった。

 一方、セバスチャンとお芳ちゃんは、目が真剣なままだった。


「その分岐点の一つが、今月末に来るんでしたな」


「粛清される軍人も、一部はクーデター計画があったかもしれないから、確かに分岐点ね」


「それじゃあ、お互い様?」


「どうだろう? 辻政信がモスクワで色々していたから、お兄様なら知っているかも」


「聞いてないんだ」


 聞いてきたお芳ちゃんへの返答にまた聞かれたけど、宮仕えには守秘義務というものがある。ましてや軍だ。だから、この辺りが財閥の情報収集の限界だった。


「流石に聞ける事じゃないし、話せる事でもないからね」


「それ、何かしたか、何かある、って言っているようなものでしょ」


「単に私の妄想で、何もないかもしれないけどね」


「玲子様としては、ソ連はどうなるのが最良とお考えですか?」


 お芳ちゃんとは半ば軽口の応酬で済むけど、真面目なところがあるマイさんは軽口では済まなかったみたいだ。けど、周りが悪党ばかりだと意見が偏るので、こういう時でも真面目に聞いてくれる人は貴重だ。


「お互い中途半端にクーデターと粛清をして、泥沼の内戦状態。そうなれば、取り敢えず世界中が喜ぶんじゃないかな?」


「それでも取り敢えずなんですね。確かに、その後でドイツが喜んで侵略しそうですね」


「そうなんですよね。厄介な国が一つじゃないから、欧州も困っているんですよね」


「極東も人ごとじゃないけどね」


「蒋介石にドイツが手を貸しているから? けど蒋介石は主権国家じゃあないから、大ごとにはならない筈。それに蒋介石にはソ連も手を貸しているから、何があっても英米は張作霖と日本の側よ。極東の方が欧州よりマシよ。だからマッカーサーも、自分の出番がないって嘆いているんじゃない」


「そうですね。ですが、アメリカが大陸情勢に介入するか、日本とソ連が戦争になった後で援軍として加わるなら、フィリピンに居るマッカーサー元帥は、極東情勢に詳しい軍人ですから、出番があるのでは?」


「それでも、日本か張作霖が余程追い込まれていない限り、単なる助っ人。主人公のガンマンを助ける騎兵隊であって、主人公にはなれないわ。

 あの人は、前の世界大戦でも目立つ姿で前線に立つような人だからねえ」


 話が逸れたけど、これ以後は余程の事態が起きない限り、マッカーサーには出番がないだろうというのが私の結論だった。


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