504 「夏の避暑(1)」

「前畑! 前畑がんばれ! がんばれ! がんばれ!」


 8月11日から12日に日付が変わろうとする頃、お盆前の湘南の別荘の一室では、ベルリンとの時差8時間を超えたNHKのオリンピック実況放送がラジオから流れていた。


(おー、転生前にテレビやネットで聞いたのと同じだ)


 実況放送だけに臨場感バッチリなんだけど、内心ではそんな感想しか出てこない。

 私の周りでは、ラジオの前に女子達を中心に静かにしかし熱く放送を聞いていた。そして「勝った! 前畑勝った!」の声と共に歓声が部屋中に溢れる。

 何だか、ラジオ放送自体よりも、目の前の情景に歴史の1ページを感じてしまう。


 それは恐らく、すでに録音か録画での歴史上の人物の声や姿に関しては聞いて、目にしているからだろう。ルーズベルト、ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、それに日本の要人達。前世の記録映像などで見たのと同じものを、転生してから既に目にしていた。


 このラジオ放送も、ライブという点では他と違うけど、私にとっては歴史の1コマに思えてならない。それ以上に、目の前の人々が放送に対して見せている姿こそが、歴史であり真実だった。


 なお、ベルリンオリンピックは、21世紀から転生してきた私にとっては馴染み深いイベントが以前より増えていた。

 ライブ、実況放送ももちろんだけど、ドイツでは機械式テレビという、この時代でも既に陳腐化しつつあるテレビによる中継も試験的に実施されたそうだ。


 他にも、新聞社がファクシミリ、要するにFAXで、画像をドイツから日本に送る試みもされた。

 このファクシミリは、鳳の皇国新聞にもアメリカから最新のものを数台買ってやらせてみた。

 私が早く見てみたいと思ったからだ。

 結果は、私的にはまだまだだったけど、大手新聞を出し抜く結果になり、ちょっとだけ申し訳なかった。


 それよりも、聖火リレーと開会式での派手な演出は、私にとって馴染み深いものだった。

 そして私の記憶の片隅には、多分しばらくしたら実物を映画館などで見ることになるであろう、ベルリンオリンピック開会式の映像が思い浮かんだりもした。

 また、聖火リレーは史上初めてで、ギリシアからベルリンまでを、7月20日から開幕する8月1日の約2週間をかけて数千人がリレーした。


 けど、全てはドイツ、ナチスの宣伝、プロパガンダの為であり、こうして時代の当事者となると素直に喜べないものがあった。


 一方で、現地駐在員などに調べさせると、英米などのオリンピック・ボイコット運動の影響で、ドイツ国内から反ユダヤ人の看板が恐らく一時的にだろうけど撤去されていた。

 その一方では、ユダヤ人同様に差別の対象とされたロマ、ジプシーのうち、ベルリンに住んでいた人々が、警察に一斉検挙された情報も入っていた。

 この辺りの事は、可能な限り詳細に記録させておいた。


 もっとも、オリンピック直前になると、街は鉤十字(ハーケンクロイツ)とオリンピック旗で飾り立てられ、お祭りムード一色に染まっていた。

 ファックスと船便で送られてきた写真や映像が、歴史の資料で見たまんま過ぎて苦笑すら出そうになった。

 そしてナチスのプロパガンダであれ、世界の祭りには違いない。そして祭りは楽しまないと損だ。



「明日の新聞の一面は、男子800メートルリレーと女子200メートル平泳ぎの金メダルのどっちだろうな!」


 龍一くんが、小さな頃のような元気の良さで大声をあげる。みんなとの旅行がお盆前になったので、ギリギリ間に合って参加していた。


「男子800メートルリレーは、2位アメリカに大きな差を開けての圧勝だ。こっちじゃないか?」


「前畑さんは、日本人女性初の五輪金メダル。話題性ならこっちじゃないかなー」


 玄太郎くんと虎士郎くん兄弟の言葉に、周りがあっちだこっちだと互いの意見をぶつけあう。まあ、他愛のない話だし、勝負の時の熱狂状態の余韻があって賑やかなだけだ。

 そしてもう日付が変わったというのに、大きな敷地の別荘だからみんな開放感もあって、いつも以上に騒いでいる。


 旅の参加者は、鳳の子供達に山崎家の勝次郎くん。そして虎三郎の兄弟姉妹とそのパートナー。それに別荘は広いので、私の側近達も連れてきてある。

 そして輝男くんが参加しているので、書生も呼ぶという名目で姫乃ちゃんを誘ってみたら、電話口と旅の前の集合時に、めっちゃ喜ばれた。

 もしかしたら、私が気づいていないだけで、誰かお目当がいるのかもしれない。


 けど、単に物怖じしない性格だから、こちらが誘ったのでやって来ました、というだけの可能性も高そうだ。

 そんな理由はどうあれ、好印象を与えるようにしておけば、波風も立ちにくいかもしれない。実際、今の所だけど、姫乃ちゃんが鳳一族に波風を立てる様子はない。

 逆に、鳳の一族全体に対する好感度が上がっている感じがする。



 そうして少し騒いでいたけど、夜も遅いのでそれぞれ広い別荘に割り当てられた部屋へと下がる。

 私は瑤子ちゃんと同室だ。私がハルトさんと婚約し、瑤子ちゃんが勝次郎くんと許嫁状態だけど、男女同室は結婚しているペアだけ。だからエドワードとサラさんも別室で、同室なのはマイさん、涼太さんの夫婦だけ。


 単に貞操観念の強い時代というだけでなく、お行儀も良いお金持ちだから、この辺りはしっかりしている。

 仮に夜這いとか考えても、私の場合は部屋の前の夜番を倒さないといけないくらいだ。


 そして今回の避暑というほどではない夏の別荘での日程は、9日の日曜日に主に虎三郎の兄弟姉妹運転によるドライブがてらに湘南海岸に来たから、この11日でちょうど中間日。そしてお盆前日の13日には帰る予定だ。


 このまま行けば、お盆後半の夏休みの方が私はゆっくりできそうだ。何しろ、アメリカの王様達の代理人は向こうの新年度に合わせて、大半がもう帰国した。

 そしてようやくその代理人達から解放された私は、鵠沼の別荘か目の前の湘南海岸のプライベート区画でボケーっと過ごす。


 なお、江ノ島がいい感じに見える鵠沼は、年々別荘地から住宅地へと姿を変えつつある。確か21世紀だと、別荘地だった辺りは高級住宅地が多いエリアになっていた筈だ。

 一方で、大金持ちの別荘地としてはあまり相応しくなくなってきたので、逗子に集中するか、今更ながら吉田茂も邸宅を構える大磯に新たに構えるかという話が出ている。


 けど私は、自分自身を鼓舞する為に、江ノ島が見える場所にこだわりたいので、この場所に固執している。

 悪夢を夢のまま終わらせるのが、私の破滅を避ける一番の道筋だからだ。


 けど湘南の別荘で、深刻な事はしたことがない。ダラダラ過ごすか、遊んでいるか。

 この夏は、期間は短いけど、かなり濃い毎日を過ごした。昼間はドライブでどこかに出向いて、そこで遊ぶ。

 ただし、海水浴は制限がついた。



「エーッ! せっかくシャネルにオーダーメイドで誂えてもらったのにっー!」


「以前も申し上げましたが、人目のつく場所での水着着用はお控え下さい」


「水着なんて、人に見せてなんぼでしょう」


 またシズに言われたけど、海に来たんだから簡単には引き下がりたくない。

 けど、邪魔が入った。いたって真面目な表情の勝次郎くんだ。


「いや、玲子よ、水着は泳ぐものだろ」


「違うわ、勝次郎くん! シャネルがデザインした、ちょーかわいい水着よ! 銀ブラでお洋服を見せつけるみたいに、衆目に私の可愛さと水着の素晴らしさを見せつけないでどうするのよ!」


「お、おぅ、そうだな」


 勝次郎くんが同意してくれたから満足して周囲を見ると、なんだかびみょーな表情の子が多い。

 私が悪いらしい。確かに、女子がおしゃれするのは、自分の為の場合が多いのは認める。もしくは同じ女子を威嚇か、圧倒する為の場合も多い。

 男性に褒めてもらう為なのは、ごくたまにで十分だ。不特定多数に見せつけるのは、さらにごく限られた場合に限る。

 ただ、みんなの同意は得られてなかったらしい。


「あの、晴虎さんは、その、どうお考えですか?」


「ん? 行き過ぎてなければ良いんじゃないかな? アメリカ留学の時は、みんな普通に水着で遊んだりしていたからね」


 玄太郎くんの控えめな止めてくれという声に対して、流石はハルトさん、大人な発言。そしてここからは、それぞれの意見を聞き合う状態になってしまった。

 結論としては、当の女子達は、海なんだし水着で遊んでも良いじゃないかというのが総意。

 もちろん、主に私の警備の必要性を考えて、雑踏や人混みはダメ出しされた。


 唯一、海で水着はちょっとというのは、ジャンヌだけだった。信心深いだけに、人前で肌を晒すのは憚られるという事だ。

 ごもっともすぎて反論の余地がないけど、これだけのワガママボディだと宝の持ち腐れだ。私が彼氏なら、水着を着せて自慢したいところだ。


 だからリョウさんにそれとなく聞いてみると、「女の子達が良いなら」というハルトさんと似た軽い返事。この辺りは、アメリカ留学した影響だろう。

 ただリョウさんの場合、女子同士が仲良くというかイチャイチャしていると、目線がすごく緩くなる気がする。暖かい目線とも違っているから、もしかしたら妙な趣味を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

 虎三郎に似ているせいか、リョウさんは微妙にオタクっぽいオーラを放っている。いや、見た目はアメリカン寄りだから、ギークかナード。能力はあるから、ギークの方だろう。


 一方、虎三郎の兄弟以外の男子達は、基本的に育ちが良いせいか否定的だ。せっかく極上の水着姿を見せてやろうというのに、面白くない。

 私的には、私達が水着な以上、書生の姫乃ちゃんも水着にするつもりなのに、その辺りの気遣いすら分かってない。


 けど、私の説得はある程度認められた。

 人が少ない朝の早めの時間、もしくは夕暮れ時はオーケー。ただし長時間は却下。それにこの頃の鵠沼は、ある程度は金持ち用の砂浜でもあるから、人出が多く出るという事はない。

 それと波打ち際の水遊びは良いけど、特に私は泳ぐの厳禁されていた。泳ぐ事自体は、金持ち用のプールで子供の頃から習っていたから大丈夫だけど、この辺りは仕方ない。


 そして私自身も、長時間海で遊ぶ気は無いし、浜辺でぼーっとゴロゴロするなら、別荘で似たように過ごしても大差ないのでそこは気にならなかった。

 21世紀の金持ちなら、大きなクルーザーでセレブな洋上パーティーだろうけど、そんな船はこの時代にないし、私もそんな文化を持ち込む気もなかった。



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ベルリンオリンピックの実況放送時間:

日本時間の午前6時半から7時、それに午後11時から午前零時までの2回。当時のドイツは夏時間制度を採用していないため、日本との時差は8時間。

なお、当時のラジオは午後9時40分が最後の時報で、10時には完全に終わってしまう。


前畑秀子が出場する女子200メートルは、本来放送終了時間を過ぎていたが、現場と日本本国の機転もあって有名な実況放送が行われた。

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