503 「来日者の目的は?」
「そういえば、トリア来なかったねえ」
「使者が手紙持ってきたでしょ」
私のなんとなくな呟きに、お芳ちゃんが返す。
それに「まあねえ」と返すけど、今回の王様達の代理の大挙来訪を、アメリカで調整をしていたのがトリアだ。そして向こうでの私の宣伝ウーマン兼スピーカー役なので、日本に来る意味がない。むしろアメリカにいてくれないと困る。
そしてトリアはそれを十分理解しているから、今回来日しなかった。
それに声くらいなら、金さえ積めば国際電話で聞く事も出来る。文明の進歩万歳、といったところだ。
そしてそんな会話をしている頃、もう8月に入っていた。
ドイツではオリンピックの日程が順調に消化されていた。日本で言えばお盆の終わりに、閉幕式が行われる。
一方で私の夏休みは、女学生とはかけ離れた仕事三昧。
アメリカから来た、王様達の代理人や色んな会社の人の相当偉い人達との、会議、会合、食事会、お茶会、何かの催しへの参加、果ては夏祭りや盆踊り、隅田川での花火の観覧などに費やされた。
鳳グループの各担当は、これに加えて接待もしないといけない。
善吉大叔父さんなどは、日本でも数少ないゴルフ場の一つの程ヶ谷のゴルフ場で、接待ゴルフまでしていた。
ちなみに善吉大叔父さんの数少ない趣味がゴルフで、40代くらいから始めたというけど、日本の財界やゴルフ界ではかなりの人らしい。
また、グループ傘下の鈴木の方の高畑誠一さん、今は鳳商事の社長とはゴルフ友達で、ちょくちょく一緒にゴルフをしていると聞いている。
お父様な祖父は、日露戦争に従軍した武勇伝を話したり、乗馬の接待にまで駆り出されていた。この時代、競馬以外でも馬は社交の一つの手段だ。
そうした中、意外な接待が麻雀(マージャン)。日本でも昭和初期はブームだったけど、アメリカでも1920年代からブームになっていた。
ルールは日本で独自ルールがあるように、アメリカ式のルールや役もあるそうだ。
どれも私には無縁の接待だけど、屋内接待はタバコがデフォなので、せずに済んで心底良かった。
なお、私のタバコ嫌いという話は向こうに伝わっていたので、食事の際などにタバコを吸うおバカさんはいなかった。そもそも、人種差別の素振りすら見せない紳士揃い。王様達が相当気を使っているのが、それだけでも窺い知れる。
特にタバコに関しては、もしかしたら軽度のアレルギーかもしれないと伝えてあったので、わざわざ吸わない人を寄越している場合も少なくなかった。
そう言えばミスタ・スミスも、タバコを吸わない人だ。最初の頃はともかく、今は私の事を十分リサーチ済みなんだろう。
だからだろうけど、鳳の宗家と虎三郎一家へのアプローチも強かった。
私とハルトさんの婚約の改めてのお祝い程度はデフォで、祝言はともかく披露宴には相応しい者が参列したいという、社交辞令以上の人も一人や二人じゃなかった。
そしてより多く参列しやすいのが、彼らの年度終わりから年度始めの夏の間だから、暗に7月半ばから8月前半くらいに式を挙げてくれたら嬉しいなあ、みたいな言葉をかなりの人から聞いた。
勿論直接的ではなく、リョウさんとジャンヌの諸々は、私達の1年後の夏というのが既に向こうのご両親参列などの意向で決まっている。だから、その辺の話に絡めてのお願いになっていた。
もっとも、さらに1年後くらいにはサラさんとエドワードの結婚話にもなるだろうから、向こう三年くらいは毎年夏に結婚が待っている事になる。そんな状況だからこそ、アメリカの王様達も直接人を寄越した筈だ。
それにしても、随分な熱の入れようだ。
(確か太平洋戦争だと、アメリカって16分の1でも日系人を収容所送りにしたのよね。しかもドイツ人とかと違って、戦争中ずっと。私達の扱いって、白人様に媚びへつらうから特別扱いしてやろうって、気持ちがどんだけあるんだろ?)
アメリカでは誰もがお金と力には正直だし、こうしてやって来る人達は選ばれた人だから、私達を不快にしたりはしない。
中には「人種差別? ナイスジョーク!」な真のリベラルな人もいるし、日本文化大好き人間もいたりした。
けど、そういうのは、どちらかというと例外だ。
ハーストさんに、毎年大金を渡して日本に対する啓蒙活動をしてもらっているけど、ほんの少し日本の認知度が高まった程度。根本的なところの変化はない、と考えるのが妥当だろう。
そもそも私と付き合うような上流階級や知識階層の人達は、日本の事ちゃんと勉強している。
ただ、それにしても、今回はやりすぎに思えて仕方なかった。
「それで、何を剣呑な事考えてるの?」
その声の方に顔ごと向けると、赤い目が私を見ていた。いつ見ても、ある種の神秘的な感じがする。
そして何だか、素直というか素な言葉が出てくる。
「アメリカの王様達は、どうやったら鳳から全部 毟(むし)り取れると思っているのかなって」
「お嬢の夢の悪い状況の通りになれば、あらかたは毟り取られるんじゃない?」
「日本とアメリカが戦争になって、日本が無条件降伏に追いやられる、だったわね」
マイさんも私を見ている。ただ、お芳ちゃんと違って少し憂いた目だ。私が危なっかしく見えているんだろう。
「うん。ただね、こうも好意的に見られると、裏があるんじゃないかって疑っちゃうんですよ。あ、お茶入れて。ちょっと休憩にしましょう」
夏休みも関係なくお仕事中とはいえ、そろそろお茶の時間。だから、今日の当番のみっちゃんに頼んで、みんなのお茶を用意してもらいつつ返事を待つ。
「……まあ、裏はあるでしょ。無かったら、逆に気味が悪い」
「確かにそうよね。とはいえ、玲子ちゃんの夢みたいに、日米が戦争になる状況って想像できないわね。日米の外交関係は特に問題はないし。何か心配事でも?」
「低い可能性の上での話なら幾らでも。ただ、半分くらいは私の妄想の類。
日米の戦争が起きる場合での理不尽な想定の一つだと、……そうだなあ、ソ連が満州欲しさに日本に戦争吹っかけてきて、全面戦争化。その頃欧州ではドイツがやんちゃして、欧州全体が戦争状態に突入。その前にドイツとソ連は、互いの背後を固めるべく不可侵条約を締結。お芳ちゃん、この先の想像つく?」
「そんな無茶な想定から私に振る? 普通に想定すれば、日本は英仏と同盟組んで、ドイツとソ連を各個撃破。そこにアメリカが後方から支援、てとこだね」
「ある種理想的な状況の一つだなあ。悪い方は?」
両手を挙げられた。
「そこから日米が全面戦争の状況は、普通に考えたら想像つかない」
「じゃあ、マイさんは?」
「お芳ちゃんが分からないのに、私に振る? けど、オーダー承りました。……理不尽に日米が戦争よね。だったら、ドイツかソ連が、どちらかに戦争を仕掛ければ成立するかも」
「不可侵条約結んだのに?」
「うん。今の想定は玲子ちゃん的な考え方でいいから、約束は破るものって考え方で良いと思う」
「確かに。私みたいな純真無垢な子供には、お嬢の悪辣さには及びもつかないね」
「ハイハイ、好きに言って。それでマイさん。その先は?」
「そうねえ、前の大戦と同じように戦争債の問題から考えて、ドイツと戦っている英仏にアメリカが付くのが自然よね。
そうなると、ドイツが不可侵条約を破れば、ソ連は敵の敵は味方の理屈で英仏側。それまでにアメリカが参戦していれば、ソ連と戦争している日本も英仏、そしてアメリカの敵って図式になるわね。
でも、実際にこんな状況が都合悪く成立していくのか、言っている私自身は半信半疑以上に思うんだけど」
「小説だと有り得そうな展開ですね。でも、お嬢が懸念している、世界中の共産主義者とその支持者が、総力を挙げてソ連を守ろうとするって話にも沿っているし、私はマイさんの想定は十分有り得ると思います」
「玲子ちゃんの採点は?」
「満点です。そのパターンも考えつきました。けどソ連は、もう大規模な粛清が始まりそうだから、外に自分から仕掛ける可能性は当分ないと思います」
「じゃあ、安心だね」
「何のこれしき。私の夢に一番近い状況が起きる可能性だって、まだ十分あるわよ。もっとも、それ以前に、日本とドイツとの関係強化は徹底阻止。これに尽きる!」
「だから、日本政府に強く働きかけて、人種差別で英仏と連携したのね」
「うん。大成功。さすがは宇垣首相と吉田外相。これでドイツ、いやナチのクソ野郎が、また一つ日本を嫌ってくれたのは間違いなしよ。それにこの間に、特に危ない人の移民も進めさせているから、尚の事嫌ってくれる筈」
「どうだろ。ナチ党から見て国内にいて欲しくない人達を、日本が引き受けてくれるだけって考えるかも」
「それでも一向に構わないわよ。日本が反ナチスって分かってくれるだろうから」
「何にせよ、人種差別を公然とする政府とは、仲良くなりたくないわね。アメリカもそうだけど」
「ドイツと違って、アメリカは権利までは奪いませんからね。けどお嬢は、アメリカも不気味なんだよね」
「そうよ。だから秋には、今後起こりうる事態をシミュレーションする研究所を立ち上げるのよ」
そう言い切って、いつも通り二人に呆れられた。
けど、相手が何を考えているのか分からないのなら、どう動くのか分からないのなら、それを想定し、起こりうる事態に備えるしかなかった。
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程ヶ谷のゴルフ場:
現在の程ヶ谷カントリー倶楽部。
横浜の南西部にあるゴルフ場。日本の最初期のゴルフ場の一つ。1921年設立。1935年に18ホールを備えた。
ゴルフの歴史自体は古いが、広まったのは19世紀の終盤くらいから。
高畑誠一さんとはゴルフ友達:
高畑誠一は、古くからのゴルフ愛好家。大正時代、日本人ゴルファーは数えるほどしかいなかったが、その一人。
アレルギー:
20世紀に入るくらいから、近代科学的に言われ始めている。
最初の食物アレルギーは、日本の稲田龍吉が牛乳によるアレルギー喘息について1927年に書いたのが始まりらしい。
なお、稲田龍吉は、ノーベル生理学・医学賞の候補になったこともある。
人種差別で英仏と連携:
1936年のベルリンオリンピックでは、英米はユダヤ人迫害政策、反政府活動家に対する人権抑圧で、開催権の返上やボイコットを行う動きを見せた。
結果、オリンピック開催中だけ、ドイツは人種差別、特にユダヤ人差別を一時凍結した。
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