502 「アメリカの対中認識」
1936年8月1日、ベルリンオリンピックが開幕した。
アメリカの王様達の使いとの諸々のお話も、なんとか目処が付くくらいには進める事もできた。
それにしても、色んな人がアメリカからやって来ていて、大変だった。政治、経済、さらには軍事まで。おかげで鳳一族、鳳グループも、中枢の大人達が総出で応対しなければならなかった。
そしてそれなりに満足いく結果はお互い出せたと、私は感触を得た。
相手側に歴史上の人物、ネームドはいなかったけど、これでアメリカと戦争になるフラグは、また一歩遠退いたはずだ。
そしてその証の一つが、今現在進行形で進んでいる婚姻関係を結ぶ段取りだ。ジャンヌが一番手だし、エドワードもそうなる予定が本格化しそうだった。
アメリカではなく欧州との関係の場合は、紅龍先生の伴侶のベルタさんが、私が持つ細い糸とは比較にならない太いパイプになっている。
日本の財閥、閨閥からは少し外れる事になるけど、日本の政財界の中でも、ちゃんと世界が見える人達は無視できなくなる。
しかも見方を変えれば、鳳一族と鳳グループが日本の為に我が身を欧米に差し出している事にもなる。
身銭を切った上で一族を外人に差し出せと言われて出来るところは、日本には他にいない。鳳に対して文句や妬み、嫉妬、その他諸々を影で言うだろうけど、誰も真似はできない。
何しろ、向こうにとって価値がないと意味がない。
そして、鳳一族、鳳グループが世界経済とのつながりを深める事は、日本経済と世界経済のつながりを深める事だけでなく、日本の生き残りにも有益と考える筈だ。
なお、第二次世界大戦でも、バブル経済とそれ以後でも日本が潰された理由の一つに、欧米の上流社会、経済界との関係の薄さがあると私は思っている。
だから現状は、願ったり叶ったりだ。
一方で、今回アメリカの王様達の使いが来た理由には、アメリカ経済の今後もあった。
ルーズベルト政権が1期ほぼ終わり、ニューディール政策がかなりの効果を上げていると見られていた。
実際のところ、ニューディール自体はあまり意味がなかった可能性があるけど、大規模公共投資で救われた人が大勢いたのは確かだろう。
そしてアメリカ経済の一つの指標として、ダウ・インデックスが今年に入って再び上昇に入っていた。
それまでは、ここ数年90ドルから100ドルを推移していた数値は、1935年春から上昇に転じた。そして今年の夏を迎える頃には150ドルを超えようとしていた。強気の者は年内に200ドルに達するのではと予測している程の上昇だ。
これほどの上昇は、1932年夏のどん底からの復活時を除けば、大暴落以前の暴騰した時期に匹敵した。
そしてこのダウ・インデックスに莫大な投資をしているフェニックス・ファンドの時価総額は、投資額の3倍になっていた。元本と言える3億ドルに、投資した株を担保にしたレバレッジにより市場全体の約5%を有している。額にして、時価総額はざっと15億ドル。
円=ドルレートが1ドル3円程度だから、45億円ほどにもなる。勿論、ドルで見ても膨大な額だ。
そしてアメリカ以外での鳳グループは、日本国内での重工業を席巻する勢いでの快進撃と、満州、オーストラリアでの膨大な地下天然資源の発見と非常に優先的な採掘権などの獲得がある。テキサスの油田も、権利の一部を持っていた。
加えて、まだ秘密のペルシャ湾もある。
全部積み上げれば、アメリカの主要な王様の1人に匹敵するくらいの規模になる。
その上、日本の政治にも深く食い込んだというのだから、アメリカの王様達が鳳に関心を持つのは当然だろう。
しかも鳳一族は、大陸利権も強い。
上海を基盤とした商社は、幕末からの繋がりを持っている。これはイギリスに次ぐほどだ。
そして主力の満州では、大油田2つと大規模な炭鉱1つを、事実上独占している。最大規模の油田である北満州油田は日本の国策会社だけど、鳳グループの技術がなければ採掘すらおぼつかない。
また、満州臨時政府との繋がりから、満州での大規模土木事業、農業経営でも大きな役割を果たしていた。
満州での満鉄の次の経済的な地位は、日産ではなく間違いなく鳳グループだった。地力などが違うから、積極的に動かなくても日産を上回るのは自明だ。
さらに北満州の豪族と言える有力者と太いパイプを持っているのも、鳳一族だ。
ついでに言えば、炭鉱のある熱河、資源探査をさせている内蒙古でも、満鉄や関東軍よりも満州臨時政府を介して鳳に話を付ける方が確実だと言われていた。
陸軍の土肥原賢二らが失脚して以後、特にその傾向が強まったとも言われているし、一部は事実だった。
そうして鳳グループは、北満州油田の株式の一部は、日本の他の財閥がお金が足りないので買い占めた形だけど、それは日米交渉によっていずれアメリカの王様達のものとなる株を預かっている形になっている。
現状38%を持っているけど、鳳としては26%あれば十分だった。日本政府が50%なので、実質的に26%で筆頭株主だからだ。ただ日本政府や他の財閥としては、残り12%の全てがアメリカ資本となるのは非常に避けたがっていた。
特に日本の右巻き、国粋主義者、国家主義者などは、何もしてないくせに声だけはでかい。
正直そんな連中は鼻で笑ってやりたいけど、日本政府や日本の他の財閥を蔑(ないがし)ろにするわけにはいかない。
もっとも、話は日本政府、中央官庁とアメリカの王様達の代理人次第だから、鳳としては双方に義理を果たす以外の行動は取っていない。
今回の来日も、アメリカ資本が有利になる為のものでもある。
ただアメリカ資本、アメリカの王様達が欲しがっているのは、油田の権利だけじゃない。
王様達はそこまで熱意はないけど、アメリカは大陸市場へのさらなる進出を求めていた。前世の歴史でのアメリカも、日本が大陸利権を牛耳ろうとしたからブチ切れて、戦争の原因の一つになった。
もっとも、この世界では違う様相で事態が推移している。そして日本だけを何とかしても、何ともならない状態になっている。
中華民国政府は、もともと北洋軍閥だった張作霖の政府だけど、一時的以上に未だ揚子江にまで勢力を広げられていない。そしてその揚子江流域の中流域は、蒋介石の南京臨時政府が支配している。さらに南には、中華ソヴィエト、広州臨時政府がある。
さらに各所には、雑多な軍閥がひしめいている。
だから、大陸の政府の一つを従わせても、日本に文句を言っても、どうにもならない。
その上、南京と広州はドイツと関係を結び、軍備増強を急速に進め始めていた。アメリカから見れば、日本や中華民国よりも、ドイツと蒋介石、汪精衛が敵になる。
そして状況的には、日本と張作霖の中華民国政府も、英米と同じ被害者側だ。だから張作霖の求めに応じて域内の通貨を安定させ、大規模な借款をして軍備増強をさせている。
それでもアメリカとしては、日本から輸出された繊維製品が、ほとんど素通りで中華民国からアメリカへと低関税で流れ込んでいるのが気に入らない。
けど、アメリカとしても、中華民国が自力で稼がないと借款や援助を増やさないとダメだ。さらに、中華民国自身にあまり強く干渉すると、日本だけでなくイギリスなどが文句を言いはじめてしまう。
そしてアメリカは、大陸の事にこだわるくせに、大陸の内情に疎い。だから自分たちルールが良いと、独善的に押し付けようとして自爆の形で失敗する。
だから、日本やイギリスから情報を得て、手助けを借りて動かざるを得ない。そうでないと、金と武器が欲しいだけの大陸の各勢力とのまともな関係が構築できない。
私の前世の歴史でも、結果的にアメリカが大陸から追い出されたのは、大陸の事を色々な意味でよく分かっていなかったからだ。
この世界に転生して色々と知って、その事を私も理解する事ができた。
そして今、さらにその認識を再確認する事ができた。
「ハ? 今何と?」
「アメリカ政府の一部は、分裂状態のチャイナの統合の為、アメリカ、日本、イギリス、フランスが仲介役となり、話し合いの場を設けられないかと考えております」
頭がクラクラするとは、こういう事かと実感させられるとは思いもしなかった。二度も同じ言葉を言ってくれたミスタ・スミスも、申し訳なさそうな表情を浮かべている。この人も、無理は承知で言っているだけだ。
「えーっと、会議をするならドイツも呼ぶ必要がありますし、場合によってはソ連も。そこはどうお考えなのでしょうか?」
「ドイツはまだ可能性があるが、ソ連は無理だと考えているようです」
「そこは常識をお持ちのようですね。少し安心しました。それで、話し合いの場には、大陸のどの政府の代表を呼ぶのでしょうか? 共産党は非常に難しいと考えますが」
「勿論、全てです」
「全て? どの全てですか? 全てが旧清朝の領域を示すなら、チベットや東トルキスタン、さらにはモンゴル人民共和国も呼ばなければいけません」
「それは……」
ミスタ・スミスが、珍しく言葉に詰まった。
事前情報はスッカラカンという事だ。実にアメリカらしい。
「誰も、そこを考えておられないのですね。それに全てであるなら、満州臨時政府、内蒙古臨時政府も含まれるわけですよね。日本政府が、簡単に承諾する筈ないでしょう。その言葉を発したのは、コミンテルンのスパイとしか思えませんが?」
「いやっ、これは手厳しい。私個人としては、中華民国政府と南京政府、広州政府の会談の場と考えておりました。場合によっては共産党も」
「満州、内蒙古は対象外と?」
「はい。不用意な発言でした。チャイナ情勢に十分な知識を持っていない事と合わせ、謝罪申し上げます。ですが、日本政府ばかりか、中華地域に非常に太いパイプをお持ちの鳳一族に、協力頂けないかと返事をお聞きするのが、この件での私の役目です。ご容赦ください」
「謝罪までは不要です。それで、託した者とミスタ・スミスの考えは一致しているのでしょうか?」
「いいえ。また、全てだとしかお伺いしておりません」
(聞いて来いと言ったやつがアカか反日なら満州込み、違うならミスタ・スミスと似たり寄ったりの知識なんでしょうけどねえ。これじゃあ落第点だ)
「わかりました。では、この件に関してお答えします。明確な対象、条件が示されていないので、返答できかねます。
また、大陸情勢に関して、より詳細な情報を収集し分析した上での提案を心よりお待ち申し上げております、との言葉もお伝えください」
「……可能なら、いま少しお言葉をいただけると助かります」
「大陸情勢に関する、詳細な情報をお渡しする事は出来ます。私どもの情報で不足でしたら、ハースト様にお聞きして下さい。どちらもご不満でしたら、連合王国に問い合わせる事をお勧めします」
「是非に、エンプレスの誇る鳳総研の情報提供を求めます。こんな簡単な事で、自分達の無知を晒してしまうとは、全くもってお恥ずかしい限りです」
「いえ。そんな事はありません。『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』という諺(ことわざ)もございます。ですが、チャイナにご興味がお強いのに、政府関係者の知識の薄さは外交を誤らせる事に繋がりかねないと、外交の素人でも心配になってしまいます」
「全くです」
「それに、仮に話し合いが出来たとしても、話し合いをしたという以上は難しいでしょう」
「はい。エンプレスがおっしゃった通り、ホスト側に最低でもドイツが加わる必要はあるでしょう。それにコミュニストとの話し合いは、私個人も無駄だと考えております」
「一つの意思に統一すれば、話は多少違ってくるでしょうけどね」
「一つの意思、ですか? 簡単なのは共通の敵を作る事ですね。ですが、彼らの視点から見れば、全ての列強が敵で、一つに絞るのは非常に難しいでしょう」
「ええ。だから私どもは、別の可能性を予測しています」
「お聞きしても?」
「勿論。古来大陸では『天意』、正しい道理、世界の意思とでも言いましょうか、それを受けた者があの大地を統一すると言われています。まあ簡単に言えば、戦争もしくは内乱で勝てばいいわけです。それにより、天意が示された事になりますから」
「つまり、大規模な内乱ですか」
「建国の父孫文が死んでからは、内乱状態ですけれどね」
「張作霖により一度は統一されましたが、それも数年と持ちませんでしたね」
「ええ。そして武力以外で統一は無理でしょう」
「そしてそれが出来るだけの勢力は、少なくとも現時点では存在しないわけですか」
「お金だけでは、どうにもならない問題もあるのです」
「身にしみました。主人達にも伝えたく思います」
そう言い合って、お互い苦笑するしかなかった。
ただ私の内心としては、大陸情勢はアメリカ人が考えている以上に面倒くさすぎるから、何しても無駄だろうという諦観に似た気持ちだった。
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