493 「梅雨の自室にて」
梅雨の時期に入る頃、6月19日に日食があった。当たり前なんだけど、この世界が私の知る世界と同じなのだと、何となく実感させてくれる大自然のイベントだ。
北海道では皆既日食で、日本だけじゃなくて色んな国の観測隊が北海道に行ったそうだ。
また、満州のソ連国境に近い地域でも同じく皆既日食が見られたので、そちらでも観測が行われている。
東京でも部分日食程度は見られたけど、ほぼ日の出の頃だったから私は見ずに終わった。来年にも、小笠原諸島で金環食が見られるという話なので、その時にでも部分日食を見る機会はあるのだろう。
前世でも何度か見た記憶はあるけど、辺りが暗くなるくらいじゃないとテンションも上がらない。
(来年の今頃は、ハルトさんと結婚なのかなあ。乙女ゲームの設定を蔑(ないがし)ろも良いところな悪役令嬢ね。ていうか、姫乃ちゃんに悪役らしい事は、一つもしてないけど)
アンニュイな感じで、ベッドの上でボーッと考え事をする。自分の部屋なので、扉の外にシズが控えているだけだ。
私が唯一、伯爵令嬢を演じなくても良い空間であり、お年頃のちょーぜつ美少女を取り繕わなくても良い。来年にはそうもいかなくなるだろうけど、だからこそこうしてゴロゴロする時間が愛おしくすらある。
もっとも、主に考えていることは、相も変わらず散文的だった。
(私は来年3月卒業。その少し後に、ハルトさんの次の人事発表よね。重役ってこの時代や昭和の頃の言い方で、21世紀だと何だろ? 役員? 取締役?)
鳳の会社組織もこの時代風なので、21世紀的な英語の直訳的な役職名は見かけない。大体は係長、課長、部長って呼び名になる。重役は管理職になるから、その名の通り社員じゃなくて役員だ。
そして「役」にも幾つか階層や役割の違いがある。
大体、官僚とか軍隊の組織と似ていると、お父様な祖父などは言っていた。陸軍で言えば陸大出のエリートがなる参謀将校と、実戦部隊を率いる隊付将校だそうだけど、そもそも私には陸軍内部の事はいまひとつ理解していない。
ただ私は、そう言った社会的な組織の外にいるのに、圧倒的という以上の力を実質的に持っているから、いまひとつ理解できていないのだろう。
しかも鳳グループは、21世紀の財閥形態と言える系列企業がマトリックス的な横並びなのに、鳳ホールディングス傘下のフェニックス・ファンドが一族保有で、しかもフェニックス・ファンドが実質的に最高権力を持つという特殊な構造を持っている。
それはともかく、鳳ホールディングスでのハルトさんの立場だ。
(重役会って取締役会になるから取締役で、社長の副官っぽいこともするから専務じゃなくて常務よね。最初からヒラの役員じゃないのは一族中枢の人だからだろうけど、20代のうちにそんな役回ってきたら前世の私なら胃に穴が空きそう)
想像して思わずお腹をさすってしまう。
けど今は、間接的とは言え小さな頃から、巫女や当主名代といった立ち位置で、好き放題してきた。会社組織で言えば、私は相当上の立場だ。ただ私には、年齢的な問題で社会的な責任能力がない。
(私がトップだとしたら、時田やセバスチャンが専務で、マイさん、お芳ちゃんが常務?)
あまり考えても仕方ないから、いざ考えようとしてもイマイチピンとこない。それに私がハルトさんと結婚すれば、今後の世界情勢ってやつを含めてどうなるかも分からない。
私的には、かなりの偶然に助けられたものもあるけど、後はドイツとの関係をディスり続けて防共協定なり軍事同盟を結ばせなければ、この世界の日本に対する義理は果たせたと思っている。
そこまでして勝ち組に入れなければ、もう処置無しだ。
ただ、ドイツとの関係を結ばなくても、私の前世の歴史と違うパターンが起きるかもしれないという懸念はある。
(次の世界大戦までに日本とソ連が長期的な戦争になって、そこでドイツとソ連の戦争が始まったら、結局枢軸陣営、負け組になるって可能性もあるのよね……)
それ以外にも悪い可能性として、日本が連合軍入りしてもアメリカが参戦しないでドイツに勝ちきれないパターン、英ソがドイツに負けるパターン、ドイツに幸運の女神様が味方して絶好調すぎてヨーロッパ全土を征服してしまうパターン、ソ連がドイツに滅ぼされるパターン、などなど考え出したキリがない。
そこで一つ思いついた。
(そうよ! 貪狼司令に、次の世界大戦のシミュレーションをする研究チーム作らせよう。うん。私が考えるより、専門家を何人か集めて研究させる方が正確だし健全よね。主に私の睡眠時間の為にも!)
一つ懸案事項が解決したので、ちょっと気が晴れた。
ただ、ダラダラと考え事をしていたので、なぜこの答えに行き着いたのかを思い出すのに時間がかかった。
(えーっと、……あ、そうそう、ハルトさんが次の春に出世したらどうなるかって事よね。善吉大叔父さんが社長で、副社長もしばらくは固定だろうし、重役ってのは変わらないけど、常務から専務への昇進でしょうね)
考えてはみたけど、順当な結果しか思いつかない。だから別の可能性を考えてみる。
(……ホールディングス以外の会社の専務か、それこそ社長、副社長の線はあるかな? けど、ハルトさんの専門は金融だもんなあ。それに、私が断片的に知っている21世紀の知識ともおこがましいヒントとか解説抜きの概念とか教えたから、アドバンテージも多少はある筈だし……)
そこまで考えて、別の可能性があった事に気づく。
そう、ハルトさんは私の配偶者、鳳の中枢に立つのだ。
(そうか、ファンドを預かるって可能性もあるのね。経験値の不足は、時田を補佐にすればお互いもう少しづつ楽もできるだろうし、お父様なら考えてそう)
これで大体の結論は出た気がしたけど、まだ6月。来年3月までは随分先だ。そしてその前に、鳳一族内での大きな人事移動がある事に思い至る。
(それよりも、来月半ばには竜(りょう)さんがアメリカから戻るのよね。けど、帝大とMITを出て、これで提出中の論文も認められたら、虎三郎と同じく博士号持ちの技術者だから、虎三郎の跡取り状態よね)
そこでベッドから起き上がって、どこかにあった資料を探し始める。仕事部屋じゃないから書類とかは殆ど持ってきてないけど、ボーっと人事とかの事を考えていたのも、そうした資料に目を通していたからだった。
「おっ、これこれ」
そうして手に取ったのは、鳳グループの人事事情。今や巨大財閥なので、これだけでも分厚い紙束になる。
「リョウさんが入りそうなのは、鳳重工、鳳精機、そして専門分野の鳳電気か。けどなあ、虎三郎の後を継ぐなら、重工とかの方が楽だろうなあ。……いや、電気はこれからどんどん伸びるから、四半世紀くらい後を考えたら案外いけるかも……」
そこでブツブツと独り言を言っている事に気づいて、心の声に変更する。私には考え事中の独り言の癖はないけど、たまにこうなる。
(リョウさんが戻ったら、私の前世の知識を思いつく限り教えるか。そうと決まれば)
「ヨシっ!」
気合いを入れると、幼い頃から使っている私の『宝箱』へと向かう。ただし書いたものが増えたので、今や『宝箱』は初代から順に3つも置かれている。童女、小学生、女学生っぽい箱が並んでいて、初代のものは使い始めて干支が一周超えてしまった。
結婚して部屋を変える時が来たら、これをどうするかそろそろ真剣に考えないといけないだろう。
流石に、小さな頃のおもちゃ箱を嫁入り道具には出来ない。
(まあ、それはともかく……これじゃない。こっちも違う。オッ、懐かしー。これ薬のレシピじゃん。てことは、この箱には入れてないのか)
探しながら次の箱へと移る。そして2つ目でビンゴ。21世紀序盤までの発明ヒントのノートの塊。何度か書き足したり、場合によってはジャンル別にして書き直したりしたので、何冊もある。廃棄も出来ないから、もはや地層の如しだ。
そしてその中は、様々道具や機械のイラストと解説を思い出せる限り描いてある。
そして表紙の題を見ながら探すと、数冊目でおめあてに行き当たる。
色々な電気製品を描いたものだ。けれど、私の前世の時代だけじゃなくて、思い出せる限り21世紀に至るまでのものを描いているから、何冊もある。しかも家庭用とそれ以外で分けてある。何しろ電気製品は、描き出したら無限と言えるほど種類があったからだ。
そう思えば、この時代はまだまだ電気製品は少ない。
そして探し出すと、次にペンとノートを用意して、机へとつく。
今までも主に虎三郎には何度かして来たけど、こうして一度に全てではなく何かの拍子で話した事、こちらが作って欲しいものの知識をまとめる作業を始める事にした。
「さあ、ピックアップしていくか。何作ってもらうかなあ」
__________________
会社組織:
ある程度は決まっているが、企業により色々な状態、パターン、呼び方があるので、取り上げたのはあくまで鳳グループ、鳳ホールディングスのものです。
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