471 「卒業と入学」

 日本の中枢が『二・二六事件』の後始末にまだ掛り切りな頃、世の中は年度末。そして一足早く、学生達には卒業シーズンがやって来た。

 日本の学制は私の前世のいわゆる戦後と違って、相変わらず少し複雑だ。


 中学と高等女学校は5年制が基本だけど、中高一貫制の学校だと、実質1年端折って大学へと進める。中学か高等女学校も、4年で切り上げて実質大学の前半に当たる大学予科へと上がることが出来る。それ以外の専門学校でも、4年で移れたりする。


 そして鳳の子供達のうち、私と同い年の子達は中学なら5年生に、中高一貫なら高等科の1年に上がる。

 私は女学校5年で卒業予定だから関係ないけど、人生の岐路がここにある。何しろ、実質的な大学受験がここで待っている。

 もっとも、陸軍将校を目指す龍一くんは、幼年学校から陸軍士官学校予科、そして陸軍士官学校というコースだ。


 一方の玄太郎くん、山崎家の勝次郎くんは、どちらも首席を狙っていた。玄太郎くん、勝次郎くんが狙うのは、一高、つまり帝大首席だ。帝大首席と龍一くんが狙う陸士の首席のどっちが上かは微妙だけど、とんでもない秀才でないとトップが取れないのは間違いない。

 ただ陸士は一高、大学予科扱いらしいから、陸大と帝大を比べるべきなのかもしれない。


 なお、この時代は、赤本なんて便利なものはない。ある程度は以前の試験問題は分かるけど、傾向と対策が立てにくい。

 そもそもこの時代の方が、私の知る戦後の時代よりも勉強が難しい。特に漢字は絶対に難しい。戦後に漢字を簡単にしたのだけは、グッジョブだと転生してからこっち、常に痛感させられっぱなしだ。


 それはともかく、チート級の頭脳でも受験に向けた勉強は大変だ。だからこの1年ほどは、3人とあまり会えていなかった。

 試しに、私も昨年の入試問題をしてみたけど、受験勉強をろくにしてないから今の私では首席合格はもう無理だった。

 私が勉強するには今更な問題が多いのもあるけれど、頭も専門的に鍛えておかないと十分対応できない事を、こういうところからも知る事ができた。


 そして試験結果だけど、中学の時と同じだった。

 一高入試の首席は玄太郎くん。勝次郎くんは、今回も次席に甘んじた。勝次郎くんは勉強一本槍という訳でもないみたいなので、多少は仕方のないところだろう。

 そして一高に受かれば、学部さえ問わなければ無試験で帝大に入れるけど、人気学部に入りたければ受験が待っている。玄太郎くん、勝次郎くんも当然受験予定だ。


 龍一くんの方は今回はエスカレーターだけど、2年後に陸軍士官学校の本科の試験が待っている。1学年当たりの頭数から考えると、やはり陸軍将校の方が大変みたいだ。

 陸大はキャリア官僚みたいなものだと考えると、大変度合いが私にも少しは理解できた。


 そんな状況で陸大まで首席で、さらに出世速度最速で進んでいるお兄様は、とんでもない化け物だ。そんな背中を追いかける龍一くんは、既に親子揃っての首席2つという記録は打ち立てたけど、その道はまだ半ばにすら達していない。


 一方で、帝大でなくても大学や大学予科に上がるのは私学も一緒だから、鳳大学に進む子達も受験勉強と入試があった。

 そして鳳学園だから、私はその気になれば全ての情報を知る事ができる。勿論、全部を聞いたりはしないけど、知りたい人の結果と内容はいち早く知る事ができた。


 私の側近からは、輝男くんが鳳大学予科の入試に挑んだ。結果は、姫乃ちゃんが首席、輝男くんが次席。

 私の側近達の、お芳ちゃん、それに頭脳担当の銭司(でず)と福稲(くましろ)は、どうせ試験結果の公表はしないし、受験勉強とか煩わしい事をさせるのも無駄なので、特別推薦枠で合格させておいた。輝男くんもそうできたけど、当人たっての希望で受験している。


 一方で、サラさんが鳳大学を卒業した。

 この春からは、鳳ビルで働き始める。マイさんと同じく、私の秘書でも構わないかと思っていたけど、当人が能力面で「絶対無理っ!」と強く否定したので、なるべくエドワードに近い所に配置した。


 そうして一通りお受験と合格発表が終わった3月後半のある日、久しぶりにみんな集まった。

 場所は、勝次郎くんも気軽に参加でき、大人抜きで会えるという条件で、鳳ホテルのメイド喫茶でのお茶会となった。


「みんな合格おめでとう!」


「「おめでとう」」

「「おめでとうございます!」」


 私の音頭取りで全員で祝う。全員というのは私達だけではなく、シズ達メイドとそれぞれのお付きの人、お店のメイド達、それに店に居合わせた客達を含めた全員だ。店の外にも、ホテル従業員とか居合わせた人達とかが一緒に祝ってくれた。

 まあ、三菱と鳳の御曹司の合格と思えば、これでも随分とささやかだ。けど私達にとっては、とても嬉しい瞬間だった。


 なお合格を祝われる側に、鳳大学次席合格の輝男くんも加わっている。これでこの春からは鳳の特別奨学金を受ける書生扱いにもなるので、これくらいの待遇をしてもいいだろう。


 祝いのお茶会には、合格者の4名以外に虎士郎くんと瑤子ちゃんも当然参加している。これで姫乃ちゃんが居れば、完全にゲーム再現だったのが少し残念だった。

 もっともゲームには、メイド喫茶なんてものは登場しないから、集まったところで再現度はゼロだ。

 なお、首席合格の姫乃ちゃんにも一応お声がけをしたのだけど、恐れ多いと恐縮しまくりで辞退された。けど、数日後には会うし、改めて祝えば良いだけの話だ。私以外にとっては。


「アラ、勝次郎くんは何かご不満?」


「分かっていて言うのは、少し意地が悪いぞ。玲子」


「ごめんなさいね。けれど、勉強以外にも力を入れていたんでしょう。それで次席なんて、十分以上に凄いと思うけど?」


「玲子以外から言われたのなら、嬉しい言葉だな」


「女学校で上がりの私じゃあご不満?」


「玲子、虐めてやるなよ」


 フフフッと、玄太郎くんがインテリキャラが板についた笑いを浮かべる。


「龍一はいいよな。競争相手がいなくて」


「勝次郎、それは違うぞ。幼年学校からの顔見知りばかりで、みんなそれぞれの郷里の秀才や神童ばかりだ。お前達だから言うが、2年先が思いやられるよ」


「それはこっちも同じだよ。勝次郎だけじゃなくて、受験生は日本中から集まる秀才や神童ばかりだった。でもまあ、僕は玲子を知っているお陰で気楽だったな」


「それは言えている」


 玄太郎くんと勝次郎くんが、意気投合して笑みを浮かべ合う。ボーイズ的シーンは私にはご褒美だけど、一応違うリアクションしておく事にした。


「私が秀才や神童? 冗談でしょう。私より凄い人なんて、周りに幾らでも居るじゃない」


「大人達ならな」


「鳳の一族が規格外なのは、認めるよ」


「父上の背は、まだまだ遠いもんなあ」


 男子達がそれぞれの言葉で肯定する。けど主賓の一人は、さっきから黙ったままだ。


「輝男くんも凄いわね。一高受ければ良かったのに。首席を取れたかもよ」


「一高では、お嬢様をお守りできません」


「一高は全寮制だからな」


「お兄ちゃんと一緒なのね」


「龍一達と違って、学生自治があるのが違いだな」


「軍人は、上の命令を聞いてなんぼだ」


「鳳大学も寄宿舎はあったよな」


「鳳学園は、それこそ小学校から大学まで寄宿舎完備よ。希望者のみだけどね」


 男子ばかりの全寮制という存在に前世の魂が揺さぶられつつも、勝次郎くんには平静を装って言葉を返す。

 なんでこうも寮や寄宿舎が多いのかと思うけど、日本中から優秀な男子達が集まるのと、交通の便が悪いからだ。東京市内在住じゃないと、通いなど出来ない。


 だから鳳学園でも、寄宿舎の者が多い。特に紅龍先生のおかげで名が知れ渡ってからは、日本中から生徒が集まるようになり半数以上は寄宿舎となった。

 そして設備も良いし、主にドイツから優秀な教授陣も招いた事から、たった数年で医学を中心にして理系の大学としては日本屈指の座に昇りつつある。


「それだと、先輩諸氏から学ぶ機会が減るんじゃないのか?」


「帝大との方向性の違いよ。鳳は昔から欧米寄りの教育方針だし。それより、一高って引っ越したのよね」


「ああ、そうだ。本郷の向ヶ丘から目黒の駒場町に移った。駒場の方が、屋敷には少し近いかな? でもさ、龍一の方が近いよな」


「ああ。市ヶ谷の方が近いな。だけどな、軍の近代化に伴って将校の数を増やすから、来年からは場所が変わるかもしれないんだ」


「陸軍士官学校は、本科の方が郊外に移るって総研で聞いたけど?」


「そうなんだが、陸軍自体の組織拡大も視野に入っているから、市ヶ谷からは順次学校は郊外に移して、参謀本部が市ヶ谷に移転する計画もあるんだよ。もう、工事の下準備みたいな事も始めているしな」


「フーン。確かに、三宅坂に集中しているもの良し悪しよね」


 つい先日の事件を思い出して、そんな事を口にしてしまう。勿論だけど、私が考えたのは危険分散だ。


「それじゃあ、お父様の勤務地も変わるの?」


「どうだろ? けど今までも、任地は色々あったでしょう」


「それもそうね。でも大陸とかじゃないなら、まだマシね」


「瑤子も来年には鳳大学の予科だろ。そろそろ親離れしないとな」


「俺は別に構わんぞ。そういうのは人それぞれだ。瑤子の好きにしたら良い」


 龍一くんの敢えて大人びた言葉に、勝次郎くんが相変わらずの返しをする。瑤子ちゃんも機嫌良さそうに笑っているから、二人の関係も良好らしい。

 それよりも、さっきから輝男くん以上に黙っているのが、いつもは賑やかな虎士郎くんだ。


「虎士郎くんは、来年どうするの? やっぱり東京音楽学校?」


「ん? なに? ごめんね、この眺めを見ていたら、頭に色々と音が浮かんできて」


「そんな事だろうと思った。良いわ、好きにしていて。虎士郎くんは、将来の進路は決まったようなものだものね」


「そうでもないよ。欧州留学を色んな人から勧められているけど、やっぱり学校で基礎もしておきたい気もするし」


(虎士郎くんが海外留学したら、ゲームの再現は絶望的になるわね。まあ、今更だけど)


「虎士郎は、散々家庭教師から習っているし、子供の頃から大人に混ざって活動しているだろ。レコードも出したし、音楽会では引っ張りだことも聞くぞ。玲子ではないが、今更学校が必要なのか?」


 勝次郎くんの言う通りだけど、虎士郎くんはいつもの天使の微笑みで返す。


「基礎と鍛錬は音楽も必要だよ。ボクは色々浮気しちゃっているから、ピアノもバイオリンもその道一筋の人と比べると全然なんだよ」


「歌も作曲もあるだろ」


「そうだけど、どれも好きだしどっちつかずなのは、自覚もあるんだよねー」


 そんな言葉に天才&天然な虎士郎くんも、みんなが進む先を選んでいるのに影響されているんだと感じた。

 そうして気付かされた。人生が完全固定なのが、実は私一人だという事に。

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