470 「昭和11年度予算編成(3)」

「そう言えばアメリカは、ついに中戦車か重戦車の部隊がなくなったんでしたっけ?」


 なるべく意識しないように、質問を向けてみる。

 もっとも、答えてくれるお兄様は、特に懸念はしてなさそうだった。


「ああ、そうだ。だけど、旧式しか保有してなかったから仕方ないだろう。とは言えアメリカは、去年の暮れにようやく新型軽戦車の『M2軽戦車』をごく少数の生産開始したばかり。しかも機関銃しか搭載しない、重装甲車みたいなやつだしね。日本の状況は気にもなるだろ」


「アレ? アメリカ陸軍は、クリスティーの戦車作らないんですか? 輸出を止めたくせに」


「少数を採用したが、量産はしなかったようだ。予算が付かなかったからね」


「アメリカ陸軍は相変わらず貧乏ですね。他の列強は?」


「少し先を進むのはフランスだ。それでも、重戦車と言える戦車を少数保有している他は、去年何種類か戦車を開発したくらいだね。

 あとは、イタリアが無砲塔の小型軽戦車を有して、イギリスが新型の軽戦車を開発中。チェコスロバキアが優秀な軽戦車を開発したところ。再軍備を始めたドイツも、早速、訓練用と実戦用の二種類の軽戦車を開発した。それ以外は、どこも前の大戦で英仏が大量に作った戦車を、まだ大量に持っているよ」


「肝心のソ連は?」


「『T26』という軽戦車を、何千両も量産している。あとは陸上戦艦とも呼ばれる多砲塔の重戦車を少し。それに、『T26』を一回り大きくした中戦車を、今年辺りから生産する。後は、我が軍の『九五式中戦車』を模した新型の快速戦車を開発中という情報もあるね」


(最後のやつって、確かベーテーなんとかってやつよね)


「ソ連の戦車は、どれも砲身の長い大きな大砲を積んでいるんですよね」


「ああ、辻にも調べさせたが、45ミリの長砲身砲を搭載している。半ば推定だが、性能も侮れない。玲子に言われていなかったら、遅れをとっていたところだよ」


「お役に立てて何よりです」


「うん、本当にありがとう。お陰で『九五式中戦車』も、本年度生産分からは新型砲を搭載した改良型砲塔を搭載した型の生産が本格化する。『九五式重戦車』は、他国には「試作」として姿も秘匿しているから、ソ連に対しては煙幕にもなるだろう」


(お兄様は、いつも通り抜かりなしね。それに兵器の話をしていると、ちょっと元気になったみたい)


「各国は分かりました。それで日本の戦車の大半は、満州配備ですか?」


「そうだね。戦車第1師団は、満州常駐になるだろう。他は千葉の教導隊以外は、近代化を進める各師団に所属させ、その師団のうち最低2個が満州配備だ。だから実質6割が、満州配備になるね」


「対抗出来るとは言え、戦車の数はソ連の半数くらいなんですね」


「相手を躊躇(ちゅうちょ)させるには十分な数だよ。それにソ連は、玲子の言葉通りの事態が進んでいる。早ければ1年以内に、数年は放置して構わなくなるだろう」


「もう大粛清の時期なんですね。私の夢より少し早い気もしますけれど、それなら安心できますね」


「ああ、内輪揉めで弱体化してくれるとは、願ったり叶ったりだ。それに我々も、座して見ているわけじゃない」


(あっ、悪い表情だ。やっぱ、辻ーんかなあ)


「そう言えば駐在武官で行かれた辻様は、そろそろご帰国されるのでしたっけ?」


「この2年、相当引っ掻き回していたから、戻ってきたら良い席を用意してやらないとな」


「辻様が、色々とされたのですか?」


「辻だけじゃないが、辻が一番の金星なのは間違いないよ。それに、旅立つ前に玲子が言っていた人物との、太いパイプも確保できたそうだ。こちらの情報も交換で多少は渡すことになるが、今こちらからもあっちの水面下が丸見えだよ」


「龍也、楽しそうなところ悪いが、脱線しすぎだ。まあ、ソ連が極東どころじゃなくなるのは、日本の予算面にも好影響ではあるけどな」


「おっと、これは失礼を。では、先を進めてください。と言っても、戦車の事だとあとは予算割り当てくらいで、他の装備の話でもしましょうか?」


「それもいいが、お前の口からだと聞き始めたら幾らでも出てきて、きりがないだろ。それより海軍は、今年の増額分で何を作るんだ? 本当に来年頭まで貯金するつもりか?」


 お父様な祖父の進路変更に、貪狼司令が改まる。


「新型空母のもう1隻の建造を始めたいのと、空母『赤城』の大規模な近代改装をしたいようです。ですがこれも、今月末の軍縮会議の結果待ちです」


「どっちも、そこまで金はかからんだろう。追加は?」


「高速給油艦と、空母を改装したり新造するのに合わせ、空母用の特殊な補給艦を計画しております。どちらも大型の水上機母艦並みの値段ですが、2隻ずつという話ですな。あとは、条約枠外の小さな船を増やすようです」


「何が違うんだ?」


「高速給油艦は、今まで整備した大型の補給艦を空母に改装した場合の備えですな。艦隊に随伴し洋上補給ができるのが特徴です。空母用の方は、航空機燃料、爆弾、魚雷など専門的に補給する特殊な輸送艦という事です。当然他国にはなく、大食らいの空母を遠征で支える類の船のようですな」


「有事に空母に改装する船は、これ以上作らないの?」


「妙な形の高速給油艦が6隻、潜水母艦2隻、水上機母艦が合わせて4隻、締めて12隻。このまま使うにしても、そろそろ回せる水兵が足りなくなるくらいに計画・建造しました。

 ですので、海軍の大型客船建造に助成金を出して有事に徴用するという方針が、これ以上は不要と考えられています。

 さらに海軍全体では、油が豊富なのもあって補給艦や母艦は重宝しているようです。そして客船の方は、万博合わせで商工省と政府が金を出して作らせる方向で調整しております」


「なるほどね。客船は作るけど、海軍は関係なしか。良い傾向ね。それ以外だと、去年の秋の事故の影響で修理や改善工事の改装してたけど、そっちにお金は使わないの?」


「ああ、その件ですが、少々お待ちを」


 話題を少し変更した私に応えるべく、貪狼司令が別の資料を探し始める。それでも用意しているのだから、やっぱり有能な人だ。


「去年の秋より査問会や調査委員会が組織され、この4月にも報告が完了する予定ですな。大多数の艦の改善工事の方も、1936年度末までに終了予定です」


「来年度までかかるのね。影響は? 強度の不足だから、うちも溶接技術で随分協力したとか、過剰装備って聞いてるけど」


「はい、強度問題の方はともかく、特にロンドン会議以後に計画された艦艇は、かなり弄る予定です。過剰武装で頭でっかちの駆逐艦、水雷艇の大半が、見た目すら変わるとの話ですな」


「何事もほどほどにしないとね。それで、本年度予算に影響はないの?」


「改装や改善の為の予算がある程度は回されますが、多少数が多いだけで通年の改装と予算規模は大きく違いはありません。

 海軍全体としては、大きく金のかかる艦艇が、建造したくても建造出来ないので、予算を持て余しているというのが現状ですな。航空隊ばかり膨れ上がり、新たな派閥形成が急速に進んでいるという噂もございます」


「アラアラ、上手くいかないものね。今しているロンドンの会議の行方に期待してあげましょう。あ、それより、うちも海軍の艦艇は受注するの? 聞くの忘れるところだった」


「高速給油艦を1隻、受注予定しているよ。播磨造船は、さらに建造施設を拡充しているからね」


 私の少し慌てた声に答えたのは、軍事に関わる話だと滅多に関わってこない善吉大叔父さん。

 だいたいこの話し合いは、報告を受けるのが中心だから、お父様な祖父と私が質問ばかりしている事が多いので、なんだか久しぶりに声を聞いた気がする。


「ありがとう御座います。播磨の方は、新しい造船所も作るんですよね」


「うん。まだまだ船が足りないからね。それに他に言っても、未だに前の世界大戦後の船余りの苦境があるから、心理的に作ってもらいにくい。そうなると、自前で何とかするしかないよ。瀬戸内にあと2つ、香川の丸亀と廣島の三原に、次世代用にも対応出来るさらに大きい奴を2年以内に稼働させる」


「景気の良い話だな。じゃあ、その辺を話していくか」


 お父様な祖父の言葉で軍事費についての雑談とも言える話が終わり、財閥としてのより深い関わりのある話へと移っていった。


 そしてその話を聞いている限りは、来年度予算は国債発行が少ないが、経済成長に伴う税収増加による大盤振る舞い状態なので、公共事業はさらに拡大傾向にあった。

 また、満州臨時政府、中華民国政府への武器、工業製品の輸出が好調で、英米との取引も拡大傾向で、来年度も経済は大きく躍進できるだろうというのが、希望的観測を抜きにしての予測でもあった。

 そして1936年はベルリンオリンピックもあるし、私の前世の歴史でも酷い事件もないから、楽観出来そうだった。



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「肝心のソ連は?」:

クリスティー式の足回りの戦車が開発出来ないから、『T26』をアホほど量産しているかもしれない。

まあ、史実とは違う中戦車を開発しているだろう。


『T26』を一回り大きくした中戦車:

言葉通りか、史実の『BT-7』が『KVー1』のような足回りをイメージ。


新型の快速戦車は、現物がないから苦労しそう。果たして『T-34』は間に合うのか? このままだと『KVー1』に似た足回りの『T-34』が出てくるのかも。



高速給油艦:

空母用の特殊な補給艦:

史実だと1940年ごろ計画された補給艦。戦闘補給艦の先駆けで、先進的な発想を持っている。

この世界では軍縮条約の影響で、海軍は予算があっても使い道がないので、贅沢な支援艦艇ばかり計画している。

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