469 「昭和11年度予算編成(2)」 

 昭和11年度予算 :約42億6000万円


 陸軍費 :約7億7000万円

 海軍費 :約8億円

(軍事費割合は約36%)



 内々の報告は、必ず予算総額に対する軍事費比率が載せられているけど、下に書かれている昨年度予算に比べると、確かに1%増えていた。


「この数字で、軍は全体予算の4割を求めてきたの? 単純に4%分割増したとして、約1億7000万円。予算がグッと増えた1932年度の約二倍になるのか。これでも多いのに、よくそんな数字を要求したものね」


「いつもの事だ。陸軍は露助が怖い。海軍は海の遥か彼方が気になって仕方ない。何よりお互い陸軍、海軍には負けられない、ときたもんだ」


 いつもの私の愚痴に、お父様の小馬鹿にした返答。それに今回は、お疲れ気味なせいかお兄様が処置無しとばかりに肩を竦める。

 けどこれで、身の入った話に移る事もできると言うものだ。



「それで真面目な話なんだけど、去年作った『臨時利得税』って、税収に反映されているのよね? うちは随分取られたけど」


「はい。勿論にございます。好景気とはいえ、国の財政は赤字続き。それに引き換え輸出産業、軍需産業、重工業など、多くの分野は多くの利益を上げております。また為替の下落でも、随分と儲けた所も御座いましたからな」


「為替はともかく、うちが搾り取られるわけね。けど、確か3年期限よね」


「はい。35年度から37年度の予定です。31年度営業収益が基本で、32年度からは好景気に入っておりますので、本年度は赤字国債は随分と減っております。資料は別紙をご覧下さい」


「はーい。まあ、赤字国債が減るなら、我慢するしかないわね」


「軍人どもは、我慢できなかったがな」


「混ぜかえさないで。目先の軍事以外見えてない人達なんて、考えたくもないから」


「そりゃ失礼。それで、軍事費の話は後回しでいいのか?」


「お兄様にも来て頂いているし、先にする? けど今年って、予算以外で話す事ある? 陸海軍共に次の3カ年計画って来年でしょう。お金のかかる兵器ってあった? 今年は予算が増えた分だけ、追加で何か買い物するくらいじゃないの?」


「だが、随分増えているぞ。幾ら増えた?」


「昨年度と比べると、予算全体で7億1000万円増となりますな」


「増えすぎだろ」


「それだけ景気が良かったと言う事ですな」


 お父様な祖父の即ツッコミにも、時田はいつも通り涼しい顔だ。


「ちょっと見せてね。……陸海軍の予算は、1億6、7000万円ずつ増えているわね。物価上昇による給与や経費の増加を考えても、随分とお買い物が出来るんじゃない?」


「ああ。玲子の言う通り、ここ5年程は今までにないほど装備に金が回せるから、陸軍内は俺達の意見を通しやすかったよ。海軍は使い道が今ひとつ無くて、困り果てていたみたいだけどね」


 お兄様の返答に、私は小さく頷きつつさらに返す。


「海軍は軍縮がありますからね。けど、近代改装や補助艦船の整備、それに航空隊にお金をかけているから、全体的な能力が向上して戦力バランスも良くなったって報告見ましたけど。ねえ、貪狼司令」


「はい。鳳がオーストラリアまで大型船で資源を運ぶようになったのもあり、以前よりは有事の際の遠隔地展開をより考えるようになっております。

 沿岸だけとまでは言いませんが、マリアナ諸島程度までの展開しか考えてこなかった従来から考えると、補給艦船の整備などに力を入れる姿勢は、多くの航路を持つ海洋国家の海軍としては、本来あるべき姿かと」


 貪狼司令が、私が前世のネットの海でチラ見した事のあるような言葉を並べている。やっぱり、この時代の人でも、日本海軍が歪なのは分かっていたようだ。

 お父様な祖父、お兄様も肯定的だ。

 けど、去年していた話を私は思い出してしまった。


「海軍って、次の軍縮条約を見越して本年度予算の一部を温存して、以前の二つの軍縮条約が効果切れになる1937年1月1日から、実質的に次の計画を開始するかもって話なかった?」


「その件でしたら、軍縮条約自体から日本が離脱するのが前提ですな。ですが、英米協調路線の外交なら、英米、特にアメリカと張り合う必要がない。しかもイギリス連邦諸国との貿易は、今や日本の生命線です」


「じゃあ、ないのね。それだと、今の3カ年計画より増えた予算分は何に使うの?」


「航空隊拡充と、今後を見越した操縦士の増強に充てる予定です」


「随分と航空隊が増えそうね。陸軍もそうなの、お兄様?」


「増やしたいのは山々だけど、海軍みたいな贅沢は出来ないよ。陸軍には、増やしたい装備が幾らでもある。だから、各装備に予算が分散される形になる予定だ」


「陸軍が増やしたいのは、航空機、戦車、装甲車、トラックだけじゃないぞ。全体の近代化を進めているから、重砲、機関銃、備蓄弾薬、生産工場、なんでも欲しい。重砲の一部なんて、日露戦争で使ってたやつだからな。予算を多く要求するのも、一応の理由があるんだよ」


 お兄様の後を継いだお父様な祖父が、珍しくうんざりげな表情。本当に装備更新は進んでいないんだろう。けど、ここ数年は違った筈だ。


「そう言えば、師団の機械化計画が動いてたわね」


「それに極東ソ連軍の増強は、年々脅威を増している。戦車と航空機だけとって見ても、2年前はどちらも300程度だったのが、この春の時点での推定数がどちらも1000に届くかもしれない」


「三倍にも? 陸軍が近代化と装備の増強を急ぐわけですね」


「ああ、そうだ。だが、この数年で我が陸軍も機械化は大きく前進した。今年もさらに進める予定だから、対抗は十分可能だよ」


「そうなんですね。鳳と小松でも、戦車を沢山生産している報告を見ましたが、それも一環ですよね」


「ああ。『九四式重装甲車』『九五式中戦車』『九五式重戦車』、どれも陸軍の期待の星だ。特に『九五式重戦車』の量産は今年一気に進む予定だから、満州でソ連軍に十分対抗できるよ」


 お兄様の力強い言葉なので、安心していいんだろう。私も強く頷き返して次へと進める。


「満州自治政府、中華民国政府にも、戦車や装甲車を売る話がありますが?」


「どちらも資源とのバーター取引か借款だから、陸軍予算自体には関係がないね」


「それは政府と鳳だけの儲けだ。どっちも、幾らでも寄越せと言ってきているから、全部叶えば玲子の言うところのウハウハというやつだな」


「エーッ、どっちも直接潤うわけじゃないから、私あんまり気が進まないんですけどー」


「借款は、あいつらがいつ返せるのかってのはあるよな。けど、資源は美味しいだろ。割り増しでくれるし」


「鉄鉱石や石炭をもらってもね。南で採れる、タングステンやアンチモンの方が嬉しいです」


「じゃあ、蒋介石にも売るのか? それは無理筋だろ」


「分かっています。上海の兄弟達との貿易で十分ですし。それよりお兄様、戦車隊ってどれくらい増えるんですか?」


 話が脱線しかけていたので、少し軌道修正する。

 みんなも分かっているので、その流れに乗ってくれる。


「現状だと、公主嶺の戦車第一師団が4個連隊、久留米、千葉にそれぞれ1個。本年度中に、新たに3個連隊の合計9個だね。ここ数年は好景気による予算増額で、増設の速度と規模は5割り増しだよ。来年度予算でも、生産台数で各種合計300両、4個連隊の創設を予定している」


「1個連隊って60台くらいでしたっけ?」


「編成内容にもよるけど、戦車師団だと1個連隊は各種合計5個中隊で75両だ。戦車第一師団全体だと、装甲車抜きにして戦車だけで300両。しかも全体の2割が、来年度予算による増強で『九五式重戦車』に変わる」


「13個連隊で合計約1000台。これだけ揃えても、極東ソ連軍と同じくらいなんですね」


「あの国は、平時なのにネジが外れたような軍備増強に余念がないからね。来年の推定値を加えると、1933年からの5年間で軍事費は3・7倍にもなる。

 日本も可能な限りそれに付き合っている形になるから、列強からは警戒されているよ」


 話の流れで、何やらあまり聞きたくもない話が出てきた。

 けど、聞かずにはおられないだろう。



__________________


※1936年の史実の予算:

26億6600万円

陸軍費5億1100万円

海軍費5億6700万円

(軍事費割合40・4%)



どちらも1000に届くかもしれない:

史実の極東ソ連軍の配備ペースと同じ。

史実の日本陸軍は、この時期戦車150両、航空機200機程度しか、満州に配備できていない。

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