457 「二・二六事件(7)」
「どうやって入ればいい?」
改めて鳳ビルヂングを見た純粋な感想だった。
使える兵力が余っていたので、結局、突入と籠城の二つの可能性を追う事にした、別働隊を率いる村中孝次大尉の言葉だった。
首相官邸襲撃の方は、いまだ意気軒昂な栗原安秀中尉、磯部浅一中尉が率いた。加えて、首相官邸方面の兵力誘引などを目的に、多くの兵士がそちらに参加していた。
この為、鳳ビルヂングの方に割かれた兵力は、全体の約1割の100名程度だった。しかもビル制圧なので、重装備はなかった。
また決起に際して、建造物の破壊などは考えられていなかったので、障害物に出くわした場合は手榴弾か手持ちの小ぶりなシャベル、ごく少数の手斧などの装備しかなかった。
そして目の前の闇に浮かぶ重厚過ぎる鳳ビルヂングだが、1階の窓という窓はシャッターが下ろされていた。2階の窓の多くも、お洒落なくせに頑丈そうな鉄格子がはめられていた。
しかし、そちらは非常時の侵入経路。まずは、正面扉、裏の勝手口などへと向かう。襲撃対象外だった為、事前に調べる機会はなかったが、鳳グループの業務ビルなので一見構造は単純だった。
しかし改めて見ると、一筋縄でいかないのは明らかだった。
1階に銀行が入っているせいか、過剰なほどの厳重さだった。しかも入り口は実質一つ。銀行の入り口は外向きにはなく、正面扉を入った中にあった。非常扉もあるが、分厚い防火扉で堅く閉ざされていた。
建物自体も、見た目は上品な豪華さを演出しているが、太い柱、分厚い壁で構成されているのは、見れば明らかだった。そして開口部の下層は、賊避け、防災対策と考えても過剰に見えた。
そしてとりあえず正面玄関方へと来たが、前の道路には歩道に乗り上げる形で、周辺工事の為の工事車両が停車してあった。
工事をしているのが鳳グループ系の会社なので、他に迷惑をかけないように自グループの建物周辺に止めているらしかった。
だが良く見ると、その配置は巧みだ。
(仮に車両を突っ込ませるとしたら、人手をかけてトラックをどけないと駄目だな)
手持ちのトラックがもう1台あったので、最悪は使うつもりでいたが、それは難しそうだった。
しかも歩みを進めると、正面玄関前は岩や大理石を使った、ちょっとした庭園になっている。トラックを退けロータリーを回れば車も入れるが、正面扉を前から突入するのは不可能な配置だ。
しかし、それは流石に偶然だろうと思える、芸術性すら感じさせる人工物の小さな庭園だった。
そして正面扉だが、見るからに分厚く頑丈そうなシャッターで閉ざされていた。
(さて、このシャッターを開けない限り、中には入れないという事か)
鋼鉄製の頑丈そうなシャッターが下ろされた正面扉前で、村中大尉は少し途方に暮れそうだった。
先に調べた、鳳ホテルをつなぐ陸橋から入る扉も似たような状態で、簡単には入れないのは確認済みだった。
そこで手榴弾を大量に仕掛けてシャッターの破壊を考えていたところに、一人駆け足でくる。
「伝令! 勝手口より中に侵入可能です」
「そうか。良くやった。半数は勝手口に回る。残りは正面扉周辺の守備を継続。シャッターが開くのを待て」
「ハッ!」
同じように途方に暮れかけていた部下達が、気を取り直して動きを再開する。
村中大尉が裏の勝手口まで来ると、数名の兵士達が待っていた。代表して、その場の分隊長の軍曹が敬礼する。
「既に守衛に中へ続く扉を開けさせました。中にも数名入り、様子を確認中です」
「ご苦労。中には、警備以外の人はいそうか?」
「守衛の話では、7時頃になれば早番の者達が出勤して来るので、その15分前には正面扉と地下駐車場入り口は開くそうです。また、このビルは特別な申請がない限り徹夜禁止だそうで、昨夜のうちに社員達は帰宅しています」
「つまり中は、殆ど人がいないのか。警備の数は?」
「夜勤で、勝手口の守衛に交代込みで4名。建物内の見回りが、こちらも交代込みで4名」
「分かった。小隊は中に入り、警備員達を拘束。だが手荒な真似はするなよ。その後、建物内を念のため捜索。そうだ軍曹、この建物の見取り図など分かるか?」
「正面玄関の案内板に、どの階に何があるのかは示されているとの事。見取り図は、簡易ですがこちらに。守衛達が持っていました。また、あちらが各所の合鍵です」
「でかした。それと正面扉は少しだけ開けさせて、出入り出来るようにしておこう。中に入る者以外は、正面扉前とここの守備に当たれ。少尉、外は頼む」
「お任せを」
部下の言葉に軽く敬礼で返すと、村中大尉は中へと入る。
「電気が生きているんだな」
「はい。非常用に自家発電を備えているそうです。ですが、電話は駄目でした」
「流石は大財閥の本丸、と言ったところか。籠城にはもってこいだな。どこか司令部に使えそうな場所はあるか?」
「やはり最上階かと。鳳商事が入っています。無線室もそこにあるようです」
「地下は、駐車場と銀行の金庫、それに冷房機室、ポンプ室、機械室、配電室、非常用発電機など建物の心臓部か。残っている車両も少ないし、地下は放っておいていいだろう。念のため、各階を確認だけする。分散して、確認作業に当たれ」
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「なんとか開幕に間に合ったな。どうだ?」
「お客様約40名が、ご入場されるところだ」
「その程度か。……しかしワン、お前その格好似合うな」
「ん、そうか? 作るより、潰す方が得意なんだがな。だが、宝塚歌劇に通ったお陰で、完全にドカタになりすませた。お前にも見せたかったぞ、俺の名演技を」
「そのガタイでは、名演技も台無しだろ」
その返しに大笑いした大男は、顎に手を当てしみじみと対面する男を見返す。
「そっちはまるで、姫のおっしゃるニンジャだな」
「夜間迷彩と言ってくれ。まあ、我らが姫君の発案だそうだがな」
「流石は姫、いつもながらのご慧眼だ」
ドカタ姿の大男が、心底感心したとばかりに目を閉じてウンウンと頷く。それに、部屋に入ってきたばかりのもう一人の大男が、皮肉げな笑みを浮かべる。
「どうなんだろうな。俺には、あのお姫様はムラが有りすぎるように見えるが」
「完璧すぎては、我らの立つ瀬が無いではないか」
「かもしれん。もっとも、あの姫が軍事や戦闘も完璧なら、それはそれで面白いがな。まあ、面白いと言えば、このビルの仕掛けもだが」
そう言って目にしたのは、まるで大きな軍艦の司令室のような空間だ。中でも特徴的なのは、真鍮製のフタ付きの筒が無数に並んでいる事。その筒の1つ1つにはプレートが付けられていて、『1階玄関右側』など記されている。
まるで船の艦橋だ。
そこには数名が張り付いていて、隣の移動式黒板に情報が記され、机の上のビルの簡易配置図に駒が置かれ、そして動かされていく。
「然り。空調の管に併設された伝声管で、こうした建物内が沈黙した場合に、どこで音がしたのかが一目瞭然となるとはな」
「まあ、開いた口が塞がらない類の思いつきだな」
「だが、こういう場合を想定されていたのだろう。驚きしかない」
「姫はこれでもご不満らしいぞ。最初の案では、内線の電話回線やマイクなど設置して情報を集める気だったと聞いた。しかも将来的には、テレビカメラと受信機を連動させ、どこで誰が何をしているのかを一目で分かるようにしたいのだそうだ」
「途方もないな。これはその始まりの段階というわけか」
「そうらしい。さてと雑談もここまでだ。そろそろ開幕といこうか」
そんなやり取りをしていると、その伝声管に張り付いている者からの報告があった。
「ああ。だが、極力とはいえ、殺すなというのは苦手なんだがな」
「まったくだが、姫だけでなくご当主もお望みだ」
「まあ、義理は果たすとしよう。貪狼殿、この場はお願いできますかな? 我らは、お客人達の相手をせねばならない」
「はい。ここはお任せを」
それまで部屋の隅で黙っていた、大きな鼻の上にメガネを置いたような容貌の男が、ごく薄く口の端を上にあげた。
そして短く命令を下した。
「電動で動く扉、窓、シャッターは全て閉鎖。しかる後に、中の電源を落とせ」
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内線の電話回線:
普通の電話より歴史は古い。
日本国内でも、古くは明治維新の頃から一応ある。
20世紀に入ると、公的な加入電話と私設電話を繋ぐことが可能となっている。
なお、「二・二六事件」での青年将校の電話のやりとりは残されています。
頭痛が痛くなりそうな案件ですが、当時の日本では電話などに対する意識が低かった証拠なのでしょう。
(情報収集手段として使い、記録として残した警察は別です。)
何話か前のあとがきの最後は、一応皮肉です。
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