397 「関東軍司令部(2)」

「それで、軍を叩き出されるのは誰だ? 全員か?」


 関東軍参謀長の河本大作少将、関東軍司令部附・奉天特務機関長の土肥原賢二少将、関東軍参謀副長の板垣征四郎少将の3人が揃うのを待って、上座に座る関東軍司令官の南次郎大将は開口一番そう言い切った。冗談は一片もない口調と態度だ。


 なお、私がもう一人いても良いかもと思った石原莞爾だけど、この人は旅立つ前に所在を調べておいたら入院中だった。膀胱内の乳頭腫摘出だそうだ。

 「それって膀胱ガンじゃね?」と思ったので、本当のお菓子の見舞と当人と家族宛の手紙を出しておいた。紅龍先生の名前も使って、早期に徹底的に治療しないと危険だともアドバイスを付けておいた。

 あんまり好きになれるタイプじゃないけど、ああいう人はいないと寂しいものだ。


 ただ、日本どころか世界のがん治療の研究は、21世紀から来た私から見れば全然だ。なので、鳳の病院や製薬でも、相応に金を投じて研究させ始めている。

 世の中も、抗生物質などで既存の病気が克服されたので、ガンに目を向ける向きも多少は高まっているから、私の上っ面の知識を紅龍先生に教えて、研究のとっかかりにしてもらっている。

 それはともかく、私の前に錚々たる人物が一堂に並んでしまった。しかも、関東軍のトップ揃い踏みでもある。


 そんな連中相手に、私もポーカーフェイスで表情を消す。そして感情も消した目で、相手を順番に見据えていく。そうすると、私的にはかなり迫力というか威圧感があると思っている。

 ゲームでも見た、静かながら怖い表情だ。

 けど、その程度で怯んだり馬脚を現すような相手はいない。だから表情を消す手段として用いている。


(全員謀略担当ってのもすごいメンツね。けど土肥原が考える側で、あと二人は実行する側か)



「話がまるで見えないのですが?」


 最初にそう返答したのは、板垣だった。表情や態度からは、本当に何の事やらといった雰囲気を感じる。

 対する、南次郎大将の表情は厳しいままだ。


「板垣君は全く知らないと断言できるんだね」


「はい、南さん。ご存知の通り、私は行う方であって考える方じゃない。それに私は、満州は今のままで良いと真に思っております。石原の言葉じゃないが、日満蒙共栄で良いではないですか。互いに一歩ずつ譲れば、全員が納得できる」


 「うん」それだけ答えて、残りの二人を見る。その二人は、互いに視線を向けるでもなく、俯くでもなく、前だけを見ている。かといって、真っ直ぐに南次郎大将を見ているわけじゃない。人同士で真剣に向き合わない時点で、性格や行動から考えて土肥原のクロは確定だろう。

 河本の方は、心なしか表情が硬い。もしくは強張っているように見えなくもない。私の感想だと、この人もクロだ。


 そして言い切った板垣は、堂々としている。全く緊張もない。一瞬だけど私と視線が合ったけど、平静な感じがした。

 そうして私が相手を観察していると、次に沈黙を破ったのは南次郎大将だった。小さくため息をついてから、まずは3人に厳しい目を向けてから、私達の方へと顔を向ける。


「お前ら、私からの温情はもう終わりだ。鳳玲子さん、舞さん、そして出光さん、この馬鹿どもと私に、何があったのかを正確に教えてやってくれませんか」


「閣下!」


 河本の叫びに似た呼び声を、南次郎大将が手で制する。


「もう聞かんぞ。あと、ついでに言ってやるが、俺はせいぜいあと1年で退役だから、今腹を切っても未練はない。一緒に腹を切るのは、上に立つ者の務めだ」


「っ!!」


 二度目の声を上げる事なく、河本が絶句した。

 参謀長だから何とかしようとしたのかもしれないけど、仮に河本が無関係でもこれで一緒に腹を切る、つまり軍を辞めるのは、これで決定したも同然だろう。

 河本に対して土肥原は、終始無言、無表情を貫いている。


 そして二人を半ば無視して、南次郎大将が再び軽く頷いて話を促す。

 それに出光さんが代表して、多分だけど年長というか財閥一族の者に話させるわけにはいかないと考えてだろう、目線で私たちを一瞬押さえてから話し始めた。


「分かりました、南大将閣下。それでは代表して、現場に居合わせた私から事の委細を話させていただきます」


 そう切り出して話始めたが、目の前の3人ばかりか南次郎大将までが、現場に居合わせたという言葉にそれぞれ反応していた。

 どうやら、襲撃現場に居合わせたとは考えなかったらしい。そこまでの情報を、襲撃した兵隊達は持っていないという事だ。


(私達も襲撃現場に居合わせていたと知ったら、どんな顔をするのか少し楽しみになりそう)


 そして出光さんが、手短に要点を踏まえつつ説明していく。流石現場の人だけあって、説明もうまい。私はその程度の感心をしていればいいけど、話を聞いている軍人達はそうはいかなかった。

 話を聞き終えた4人のうち、南次郎大将が関東軍総司令官ではなく、南次郎個人として私達に深々と頭を下げる。


「全く以って申し開きもない。我が身の不徳、痛恨事だ。それと、万が一の事がなくて本当に良かった。それだけが、せめてもの慰めだ」


「頭をお上げください、南様」


「いや、陸軍軍人として、関東軍司令官として、それに鳳麒一郎の友人として、これは下げる頭しか持ち合わせないよ。部下の監督不行き届き、並びに部下の言葉にも出来ない程の悪行、本当に申し訳ない」


「閣下! 悪行とは何ですか!」


 河本が、たまらずと言った感じで絶叫した。

 自分からクロだと言っているようなものだ。それを板垣は鼻で笑い、土肥原は無表情で一瞬だけ目を向ける。

 そして次の瞬間、部屋中どころか建物中響くような裂帛の声が響いた。


「大馬鹿者がっ! 兵権は、陛下のみがお持ちになられるものだ。それを、勝手に部下を使い、何を言うか! 軍法会議と銃殺を覚悟せよ!」


「なっ! か、閣下、自分は何もしておりません」


「では何だ!」


「いえ、その、自分は」


「自分が参謀長より黙認の許可を頂き、子飼いの者に命じて実行させました。……そうでしたか、あいつは自決しましたか。真面目なやつでしたからね」


 河本が狼狽する横で、無表情のまま土肥原が静かにゲロった。

 そうすると、河本が立ち上がって絶叫した。


「土肥原っ! 貴様!」


「諦めましょう、河本さん。それにね、ここで足掻いても悪くなるばかりです。失敗した上に、鳳の方々が南司令官と先にお会いになったのが、我々の運の尽きです。

 それと河本さんがさっき手配した兵隊ですが、私が止めました。この建物の周りは鳳の私兵が、この中は南司令官が手配した兵が控えています。そこの窓からは、多分狙撃兵が狙っています。立っている河本さんは、いい的ですよ」


「なっ、そんな……」


 そう言いつつ、河本が崩れるようにまた座る。立ったのは、激昂する振りをして自分の兵隊でも動かそうとしたんだろう。流石は謀略の行動派だ。

 けど今回は私達に運があって、全部裏目に出てしまったようだ。

 そして土肥原は、河本が力無く座ると言葉を再開する。


「最初に一つだけ。皆さんを襲うつもり、殺すつもりは一切無かった。この点だけは信じて頂きたい。今回の一件は、要人のいる場所、要人が見ている前で騒動を起こし、北満州油田、ひいては満州北部の防衛体制がソビエト連邦に対して無防備であるという認識を広げる事を目的としていた」


「それだけか?」


 南次郎大将が促す。


「油田を関東軍が牛耳る。それが最終的な目的、でした。あんな北の僻地に政府、海軍、それに陸軍中央が入り込んだ利権が転がっていたら、我々が目指す満蒙での統制的な生産体制の確立など夢物語だ。だから警備体制の強化を理由に、関東軍が油田を警備する方向に持っていく予定でした。そうすれば、あとはどうとでも出来る。

 それに鳳は、遼河の油田、筑豊に匹敵するフーシンの炭田、それに北満州大油田と、大きな利権を持ちすぎている上に、満鉄、満州自治政府とも昵懇(じっこん)だ。お陰で、満鉄、満州自治政府双方は、我々、いや関東軍に対する強気の姿勢を一層強めている。我々は、それを何とかしたかった」


「我々ではない。それに目指すのではなく、軍事力を背景に従わせ早急な軍需生産体制を構築するだけだろう」


「はい。左様です。閣下が司令官になり動きを抑制されなければ、もう少し上手く進める事も出来たでしょう」


「お前達にとってはそうなのだろう。だが私は、帝国軍人としての務めを果たしたに過ぎない」


「鳳元少将から何か言われませんでしたか?」


「その話か。私は鳳の操り人形、だったか? 跳ねっ返りの少尉や中尉風情に言われるとは、我ながら情けない限りだ。だが、見くびるなよ。あいつの話は多少は聞くには聞いたが、私が考え選んだ事でしか動いてはいない」


「では今回、皆様にお会いになったのは? これは計算の上ではありませんか?」


 そう聞かれて、小さく笑みを浮かべる。


「本当に偶然だ。そもそも、お前らが下らん事をしなければ、鳳の方々は新たな油田を探し終えたら、そのまま日本に帰られただろう。何しろ今日、大連には迎えの飛行機が到着している筈だ。私が知っているのは、その程度だ」


「そうですね」


 そこで土肥原は話すのをやめたので、場が静かになった。



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関東軍のこの頃の人事は、架空人事の河本以外は史実と同じです。

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