398 「関東軍司令部(3)」

 土肥原の言葉が止んで数秒後、今度は河本が私達を見る。

 その口調は力がないけど、軍人らしい権高なままだ。


「この一件、現在どこまで漏洩している?」


「事件直後に、油田基地から電報を打ちました」


「それは掴んでいる。だが、内容は普通のものだったが……やはり隠語を含んでいたんだな。もう、鳳元少将はご存知か」


「はい。私達が襲われた事は知っています。逆に質問しますが、私どもが各地で出して回った手紙は、どれくらい検閲されましたか?」


 そう聞くと、かなり苦々しく苦笑された。


「流石に、そこまでの権力は我々にはないよ。大財閥相手の検閲は、流石に問題を大きくし過ぎるからな」


「そうですか。それならば、鳳の本邸、鳳総研、満州自治政府、満鉄調査部、関東軍司令部、勿論日本陸軍の中央に報告を送りました。日本政府には、直接送っていません。それに事件の夕方に送り出したので、日本で配達されるのは明日でしょう。

 それと内容ですが、襲撃者は関東軍の現地部隊を騙したソ連のスパイと、スパイを手引きしたこの地域の共産党組織の可能性大としています」


「私が最初に聞いた内容だね。関東軍司令部に送ったのは、私は報告を受けていない。まだ配達が届いていないのだろう。しかし何故政府には?」


「口裏を合わせて、事を大きくし過ぎない為です。まあ、裏取引の一つでも出来れば、と言うあたりが本音ですけどね。自衛行動をしただけとはいえ、こちらは日本兵を何名か殺傷しておりますので」


 南次郎大将の問いに今度は出光さんが答える。


「それはそうかもしれないが、他には?」


「やはり、日本人内で割れているところを、他国に見せるのは得策ではないでしょう。それにソ連を犯人にしておけば、日本人の中では丸く収めやすい。ソ連が違うと強く抗議してきたところで、連中の信用など知れているでしょう。実際、密偵は入り込んできていますからね。鉄道沿線なんかに油田基地があるお陰で、丸見えですよ」


 最後に軽く肩を竦める。

 そんな出光さん、そして私達を対面に座る3人が不思議そうに見る。

 そうして代表するように、土肥原が口を開いた。


「あなた方に利点は少ないように見えるが?」


「我々は商人ですが、国益を損ねても構わないと考えるほど強欲ではありません」


(実際は、全部ぶっちゃけて追い詰め過ぎたら何をするか分からないと、あの時点で考えたからだけどねー)


 出光さんが話す横で無表情の能面を通しつつ、ほんの少し安堵していた。半ば偶然ではあるけど、少なくとも私達には有利に事が運ぶ事が確定したお陰だ。

 ただ懸念もある。だから出光さんに一度視線を向けて、今度は私が口を開く。


「あなた方はどうされますか? ありのまま、と言っても我々は真相は存じ上げませんが、真相を全部話して軍法会議に出て銃殺刑になりますか?」


「我々は、もはやまな板の鯉ですよ。ただ、鳳の家からどう見られるのかは少し気がかりだ」


 土肥原が、少し探るように私を見てくる。

 その目を強めに見返し、そして河本にも同じ視線を一度向けておく。


「鳳は一族を大事にします。しかも私は鳳の長子です。鳳舞も本家に近く、しかももうすぐ結婚という身です。我々が偶然であるにせよ襲撃を受けたとあっては、許すはずがありません。ましてや相手は日本人です」


「だろうね。せめて責任は私個人で収めてもらいたい。家族、一族、諸々は関係ない」


「事件に関わった、動かした側の者も含まれます。逆に、利用され動かされただけのものは気にしないでしょう。この件で軍を追われても、うちが抱える事すらするかもしれません」


「確かに、あいつはそういうところがあるな。だが、流石に「事故死」はやめてくれ。後味が悪すぎる。……やはり、下手に誤魔化すのは止めるべきだろう。満州自治政府、満鉄調査部に推測という形でも既に一報が伝わっているなら、嘘は問題をややこしくするだけだ」


「しかし司令官。それでは関東軍が」


「黙れ、河本! 勝手に動いたのはお前達だが、今の関東軍そのものにも、お前達のような者が勝手に動く素地があったという事だ。全員詰め腹を切って、事を陸軍と政府に委ね、一度膿を出すべき時期なんだよ」


「我々は膿ですか」


「国の為とでも考えたんだろうが、軍人が命令もなく勝手に動いて良いと思うのなら、その時点で膿だよ」


 そう言われ、河本が首をうなだれた。

 これで話の向き先は決まったと見て良いだろう。


(それにしても南さん、私的には明るくユーモラスなおじさんだったし、陸軍の穏健派だけど政治力が弱いとかお父様が言っていたけど、肝も座っているし大局的に見れるし立派な人ね)


 そんな再評価をしつつ、南次郎大将に体ごと向ける。


「では南様、どのように各所に報告されますか?」


「そのままだよ。奉天特務機関が関東軍参謀長その他と共謀し、関東軍の警備部隊を命令もなく独断で出動させる。その後、北満州油田警備隊及び満州自治政府軍を襲撃するも撃退される。双方に死傷者十数名を出す。なお、現場視察で同行していた鳳石油社長、鳳伯爵家の者2名が襲撃に遭遇。幸い怪我はなし。まあ、この辺りだろう」


「私どもとしては、多少偽っても構わないと考えていました。ソ連の足は引っ張りたいですし」


「外交問題になりかねないから避けるべきだろうね」


「確かにそうですね。軽率でした」


「いいや、初動で誤認はよく有る事だよ。すでに送り出した最初の報告は、噂程度で広まる分には良いんじゃないかな」


 私たちには温和に返答してくれた南次郎大将だけど、違う意図を感じる。


(陸軍の事に余計な口を挟むなって事だろうな)


 そう考えたので、私は南次郎大将の言葉に頷いた。

 そしてその後は、可能な限り詳細な情報を伝え、私達は今日の宿泊先となる奉天のヤマトホテルへとチェックインした。




「どうなると思う?」


 チェックインした部屋に、私達、出光さん、それに八神のおっちゃんに問いかける。ワンさん達は現地に残っているけど、追加の報告などは届いていない。また鳳の大連にある支店から、鳳の本邸からも何もない。

 現状で分かる事と言えば、私達が関東軍の司令部を後にする時から、司令部が俄かに騒がしくなった事。今は、関東軍自体が、状況把握に大忙しだろう。

 そんな状況を踏まえて、八神のおっちゃんが断言する。


「そもそもだ、部隊が勝手に動いた事以上に、丸1日経っても損害が司令部、司令官に報告されていない。これだけで大問題だ。陸軍の中央から、査察の一つも入るだろうさ」


「けど、損害なしで事を収めるつもりだったのかな?」


「どうだろうな。現地の連中は、遭遇した連中を攻撃するだけでなく、追撃までしてきた。撃って状況を作っておしまい、とは考えてなかった。その辺は、捕虜の証言通りだろう」


「そうよねえ。あ、そうだ、襲撃の後に関東軍が、油田基地まで押しかけてこなかったのは? やっぱり、関東軍がいちゃダメな場所だから?」


「そうだろうな。賊を追撃してきた結果と言い訳もできるだろうが、そもそも関東軍がいてはいけない場所で、戦闘が起きている」


「うん。だからこそ、証拠隠滅とかのために奪回しなかったのかなって」


「無茶を言うな。こっちがしらを切るか隠すのは確定の場所、とてつもなく広い場所で何をどうする? ましてや最悪戦闘だが、あの後でも戦うバカがどこにいる。

 油田でも話したが、連中はこっちが相手より優秀な装備と兵だとは露ほども考えて無かったんだろう。何せ、馬賊や匪賊相手には、無敵の関東軍様だからな。それにこっちも、油田の警備はダンマリだった。そして当然だが、より強力な装備や大軍が待機しているわけがない。いたら、姫の申す通り恫喝に出て来ていたでしょうな」


 最後は嘲り半分の言葉になった。

 確かに相手は、乗用車やトラックも持っていたし、機関銃や擲弾筒もあった。規模の割に装備の優秀な部隊だと言う事だった。油田の外に出た間抜けを一方的に攻撃して、「証拠」と「事実」を捏造する程度にしか思ってなかった。

 とどのつまり、今回の一件は事を起こした人達の、想定ミスから始まっている。しかも運にまで見放されていた。

 首謀者の土肥原と河本は、たとえ銃殺にならなかったとしても、鳳が許さない。流石に暗殺はしないだろうけど、日本と大陸での再就職はまず無理だろう。お父様な祖父の性格なら、故郷で隠居ならギリセーフってところじゃないだろうか。


「それで、姫はどうする?」


 少し考え込んでいたら、八神のおっちゃんからの曖昧なお言葉。けど、聞きたいことは分かる。


「南様が事を全て公にするなら、首謀者、加担者は絶対に厳罰に処してもらう。ここで緩い処罰とかしたら、独断専行しても大丈夫って言う先例を作ってしまうから、それは絶対にダメ。裏金使って世論を煽ってでも、徹底的に叩く。そして逆に厳しく処罰されるって前例を作る」


「鳳の復讐と取られませんか?」


 出光さんの言葉だけど、全員がそう感じたのだろう、私を見る。だから私は、笑みと共に言葉を返す。


「復讐大いに結構。なにせうちは、世の中の敵、悪役よ。悪役らしく、徹底的に叩かないでどうするの」



__________________


検閲:

史実と違い満州国ではないし、関東軍の力も史実ほどはない。

それに一応だが、検閲は憲兵隊が行う事。



「事故死」:

事故に見せかけた暗殺。

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