396 「関東軍司令部(1)」

 北満州油田での襲撃事件後、油田の今後の調査、それに事件の物理的な後始末などは現場に任せ、私たちは翌日のまだ夜が明ける前に油田を車で出発し、ハルビンへと移動。そして、前日のうちに手配しておいた「あじあ」に乗り込んだ。

 旅順から奉天に移っている関東軍司令部に殴り込みに行く為だ。

 移動の際は護衛を多数伴って移動したけど、全く動きはなかった。また、前日の段階で調べられる限り関東軍の動きを追ってもらったけど、平常と異なる動きをしている部隊、部署、人間はいなかった。

 

 一方で、鳳グループの総研、そして鳳の本邸には、通常の電報を装った隠語によって非常事態の発生はすぐに伝えた。内容は一見事業報告だけど、専門部署やお父様な祖父達が見れば一目瞭然の代物だ。

 また、捕虜、死者は可能な限り情報収集を行い記録をとった。写真も多数証拠用に撮影し、その場で多数を焼き増しして、簡単な報告と一緒に各方面に送った。これで襲撃した側が、今回の件でどの程度情報を統制できるかが分かる仕掛けだ。もちろん、ちゃんと届けばそれに越した事はない。

 送り先は、鳳の本邸、鳳総研、満州自治政府、満鉄調査部、関東軍司令部、勿論日本陸軍の中央にも。日本政府の関連には送らないであげたけど、それがこちら側のメッセージでもある。


 なお報告の内容は、襲撃者は関東軍の現地部隊を騙したソ連のスパイと、スパイを手引きしたこの地域の共産党組織の可能性大という内容。死んだ将校には悪いが、死人に口無しを逆用して、その推定上のスパイ役をしてもらう。

 どうせ、まともな素性が表に出る事もないだろうと言う読みだ。一方で素性をちゃんと出してきたら、こちら側はどうとでも言い訳できる。



 そして私達を乗せてハルビンを朝9時30分に出発した「あじあ」は、その日の夕方5時9分に定刻通り奉天に到着。流石は日本人が運行する鉄道だ。

 その奉天で、事前に電報で奉天に向かうことを鳳の現地事務所に伝えてあるので、出迎えの車に素早く乗り込む。

 そして意外にお役所仕事な日常業務が終わったばかりの関東軍司令部へと、そのまま乗り込む。

 ただしこちらは、敢えてアポなし。向こうの反応を見る為であり、反応があった場合、待ち構えていた場合などで、どう言う対応をしてくるのか、誰が出てくるかを見る為だ。

 そして中尉や大尉風情が出てきたら、こちらも然るべき措置を取る予定だ。


 そうして一応のこちら側の代表の出光佐三さんと私が、関東軍司令部に出向く。随員は、私達と同じく事件当事者のマイさんと出光さんの部下の人1名。八神のおっちゃんとシズ達は、万が一に備えて色々としてもらっておく事にした。


「意外に質素な建物ですね」


「あくまで臨時だからですよ。新京の施設が完成したら移る予定だと聞いています」


「それなら、今まで通り旅順にいたら良いのに」


「溥儀が奉天にいるので、表向きは連絡、連携を密にする為だそうです」


「実際は、監視とか威圧とかと言うことですね」


 ハハハッ。私の嫌味に、出光さんがおおらかに笑う。関東軍には、みんな思うところがあると言う事だ。

 粗暴な軍隊だからと言うわけじゃないけど、関東軍に良いイメージは殆どない。同じ日本人に対してですら、権高、横柄、暴力的と言う応対が多いと聞く。彼らが頭をペコペコ下げるのは、陸軍省や参謀本部のエリートに対してだけだ。勿論、例外もいるけど、そう言う人は大抵陸軍中央から派遣されてきたエリートの場合が多い。


 そして予想通りというか決まりで、まずは司令部前の門での押し問答状態が始まる。

 緊急事態なので然るべき人物に急ぎ会いたい、というこちら側の言葉に、兵隊さんは面会予定がない者は通せないというお決まりの返答。

 けどこれは兵隊さんが正しい。政府や軍の施設に、突然やってくる方が間違っているし、兵隊さん達は施設内に変な奴を入れるわけにもいかない。


 それに対して出光さんは、門から遠くないところに建物があり、建物自体も小さいので、敢えて大声で門番とやりあう。

 ただ、その程度では、建物から誰かが出てくるという事はなし。そして兵士の方は、こちらが鳳グループの偉い人と鳳伯爵家の人間という事で、一応は上に聞いてくるという話になる。勿論だけど、袖の下、賄賂を渡したりはしない。満州にいても、日本の兵隊さんは真面目な人が殆どだ。


「先に川島さんに会いに行くべきだったでしょうか?」


「いや、これで正解でしょう。私達の動きを見ているとしたら、相手に変な先入観や思い込みをさせない方が良い」


「見ててくれたのなら、すぐに出てきてくれたら良いのになあ」


「まあ、あちらさんにも段取りがあるでしょう。それとも、いきなり本丸に押しかけるとは予測してなかったかもしれませんね」


 そう言って皮肉げな笑みを建物に向ける。

 するとそこで、建物の正面扉が開く。当然人が出てきたのだけれど、数は複数。しかも真ん中の人物を私は知っていた。向こうも私を見て、誰だか気づいてくれた。

 けど、私達が予測していた人じゃない。不意の遭遇って奴だった。


「鳳のところの玲子さんじゃないか。お久しぶり。随分と妙なところで会うね」


「これは南様。ご無沙汰しております」


 今の関東軍司令官の南次郎大将だった。仕事が終わって、ちょうど出てきたところといった感じだ。

 歴史が私の前世と違うせいで、満州事変の頃に陸軍大臣になり損ねた人であり、お父様な祖父の同期では一番の出世頭。

 お父様な祖父とは友人なので、この人が帝都に勤務しているときは、たまに鳳の本邸に遊びに来ていたので、私とも顔見知りだ。


「うん。麒一郎さんは息災かな?」


「はい。貴族院は退屈だと、よくボヤいております」


「あいつらしい。ここの司令官になって1年以上経つけど、終わったら遊びに行くと伝えておいておくれ。それで今日は、こんな所に何の御用かな? おっと、立ち話もなんだな。君、部屋を一つ用意してくれ」


 私が答える前にお付きの従兵に告げると、その従兵は中へと戻る。そしてそれを確認する事もせずに、南次郎大将が私に親しげな笑みを向ける。


「用があったのだろう。そこの君も、後ろの女性も確か鳳の人だよね。さあ、みんなこっちへ」


 「お気遣いご配慮感謝致します」とは答えて続くも、思わずマイさん、出光さんと顔を見合わせてしまう。

 相手の反応を見る前に、大物すぎる人に出くわしてしまった。そして南次郎大将が、鳳に対して腹黒狸を装うという事はないので、本当の偶然の遭遇だろう。



 そうして仮の庁舎だけあって、元は別目的と分かる瀟洒な応接間で、私達と南次郎大将は向き合う。そして表立って話しても良いであろう事を、ソ連のスパイ説の面から、かいつまんで説明した。

 当然というべきか、対面の初老の人物が渋い表情を見せる。


「ソビエト連邦がそのような動きを見せているという話は、私は一切聞いてない。……玲子さん達がここを訪れた本当の理由を、私も聞くべきだろうな」


 流石は、世が世なら陸軍大臣になったであろう、ひとかどの人物。ついでにお父様な祖父の親しい友人だけあって、上っ面のホラ話だけでだいたい察してしまっていた。けどこの場合、察せてしまえる状況が揃いすぎているからかもしれない。

 そして南次郎大将は、その言葉に続いて人を呼んだ。


「君、河本君と土肥原君、それに板垣君を呼んでくれ。関東軍司令官の命令で、至急にと伝えてね」


 現時点での満州で最も強い権力を持つ人が呼びつけたのは、私が会えればと思っていた人物全員だった。

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