392 「馬賊の頭目」

 前日の深夜近くにハルビン駅前にある哈爾濱(ハルビン)ヤマトホテルへと滑り込み、朝にシャワーを浴びてゆっくりと朝食を取り、そして迎えの車に乗り込んだ。


 哈爾濱ヤマトホテルに泊まるのは二度目だけど、ロシア風というかフランスっぽい落ち着いた建物で、かなりお気に入りだ。

 二階建てでそこまで大きなホテルじゃないけど、内装は帝政ロシアの威信をかけたって感じがしてかなり豪華。

 しかも私が滞在した部屋は、ホテルの事実上のスイートルーム。豪華なホテルの部屋は慣れっこだけど、満州の果てでこんなに豪華に過ごせるのは、なかなかに貴重に思える。


 もっとも、ハルビンの街自体がロシア人が威信をかけて作った街だから、中心部はヨーロッパ風の石造りの建造物が多く、ヨーロッパを思わせる佇まいを持っている。

 いつかゆっくり観光してみたいと思うけど、私が向かう先はハルビンを離れた荒野のど真ん中だ。



「2年前は鉄道が通っているだけだったけど、随分変わりましたね」


「ホントそうね。遼河よりすごいかも」


 マイさんと二人して、汽車の車窓からの眺めに圧倒される。

 そこは北満州油田。ハルビンからの汽車で3時間ほど走った先にあるが、2年近く前とは景色が一変していた。

 既に何本もの石油採掘のための大きな鉄塔が立ち並び、パイプラインで繋がれ、新しく敷かれた鉄道の近くにはタンクが立ち並ぶ。その鉄道の各所の引き込み線には、クソ長いタンク列車が幾つもたむろしている。そして新しい駅の周りには、労働者の為の街があった。


 それ以前に、前は駅すら無かった。

 しかも全て建設中か増設中で、これからどんどん大きく出来るような区割りがされている。その一部というか大きな部分は製油所の建設予定地らしいけど、そこは道路すらまだ整備されていないと来る前に読んだ資料には書かれていた。



「お待ち申し上げておりました、玲子様、舞様」


「ご無沙汰しております、出光様。そちらの方は?」


 汽車から降りると、複数の男達が出迎えてくれた。

 一人は出光さん。その側にはワンさん親子もいる。けど、見た目で偉い人がその主役だと直ぐに察せた。そしてその人物の後ろに、2年前に会った文曲(もんごく)という北斗七星の名も持つ調子の良い馬賊上がりの指揮官もいたので、その人物が誰なのかは大体分かった。


「お初にお目にかかります、鳳の姫君達よ。私は馬占山。鳳麒一郎様を大兄と慕う者です」


「これは、ご丁寧な挨拶痛み入ります。鳳玲子と申します。父より、馬様には大変お世話になったと伺っております」


 続いてマイさんも「鳳舞と申します」と挨拶をする。そしてしばらく、通訳を挟んだ挨拶と社交辞令が続く。


 目の前の人が、満州北部、黒竜江省のトップに立つ馬占山将軍だ。

 日露戦争の頃からお父様な祖父と知己があり、ロシア軍を一緒に引っ掻き回した一人でもある。また、シベリア出兵でも、お父様な祖父や時田達とは、強い協力関係にあったと聞いている。


 1920年代前半は、鳳の不振もあって少し疎遠になっていたけど、油田開発などで満州に進出するようになってからは、鳳からの支援も豊富に送り届けているので、勢力を大きく拡大。

 さらに、中華民国の張景恵陸軍総長が同じ地域の有力者だったけど、彼と彼の部下達は張作霖と共に北京に行って地盤も実質的に華北に移したので、北の大地でのトップの地位を固める事も出来た。


 満州事変で鳳の説得に応じて、満州臨時政府に参加。その後も黒竜江省のトップとして、満州臨時政府の軍事部門の事実上のナンバー2として活躍している。満州北部の最有力者だ。


 鳳の満州北部での利益を保護出来る十分な軍事力を率いており、その数は満州事変の頃で総数2万と言われた。現在では、3万とも5万とも言われる。精鋭の一部は日本式の訓練と装備で、中身も伴っている。

 当人の見た目は口髭を生やした細面で、元は馬賊の頭目だったと言うけど、予想していたより穏やかで知的な印象を受ける。

 それに今は機嫌も良い感じだ。

 

「そうでしたか、斉々哈爾チチハルからわざわざ。お忙しい中、誠にありがとうございます」


「何の。大兄のご息女や一族の方が来られるというのに、挨拶も出来ないとあっては大兄に顔向け出来ない。それに2年前は、私用でご挨拶すら出来なかった。今回は、その償いも兼ねて大いに歓待させて頂きますぞ」


「温かいお言葉、痛み入ります。ところで、」


 一応話が通っているか聞こうとしたら、直ぐに手を上げて制された。


「大丈夫。大兄の一族の方々に、婿を勧めたりは致しませんぞ。それに皆さんが、仕事で来られた事も存じ上げております。ですが今宵くらいは、この堅物の我儘を聞いて欲しい」


「頭をお上げください、馬様。心よりの言葉、大変嬉しく思います」


「さあ皆様、立ち話もなんです。公館へ」


「そうだな。日本から来られたのなら、北の大地はまだまだ寒い。お嬢さん方に風邪でもひかせては、大兄に申し訳が立たない」


 出光さんの如才ない一言で、ようやく移動となった。

 確かに春分の日を超えたと言うのに、満州は日本と比べると真冬並みかそれ以上に寒い。

 大河の氷が溶けたら冬も終わりだと聞いた事があるけど、私のような温室育ちではコートやマフラー、毛皮の帽子と完全武装が必要だ。



 そうして温かい部屋に移動しての仕切り直しとなったけど、馬占山黒竜江長と昼食を食べつつのしばしの歓談となった。

 もっとも、もてなしの方は昼食ではなく今日の晩餐会の事だった。そして当然だけど、その日は仕事にならなかった。


 馬占山とお父様な祖父、それに時田は時折手紙をやり取りしていると聞いていたけど、馬占山からは二人の話をせがまれた。逆に、海外旅行の話はあまり興味は示さず、話すネタには少し困らされた。

 とはいえ馬占山は、お父様な祖父や時田に好意的感情、敬意を持っているので、私もその好意のおすそ分けに預かる事ができた。


 けど、馬占山に気に入られたのは、マイさんだった。

 もちろん、見た目が気に入られたわけじゃない。この人、「ザル」だった。けど、酒豪とか酒飲みとかじゃない。蟒蛇(うわばみ)とも表現できない。

 あとで聞いたけど、大人になって飲むようになったけど、酒好きではなく少し飲んだら気持ち的には十分なタイプだそうだ。


 そして虎三郎家で、外に出した時に恥をかかないようにと、一度どの程度の飲めるか限界を見定めようとしたら限界が無かった。虎三郎には、「酒が可哀想」と言われたそうだ。

 だから、単に幾らお酒を飲んでも平気な人なだけ。特に酔う事もなく、ほんのり顔が赤くなる程度のアイアン・レバーの持ち主だった。


 そしてお付き合いの席だし、相手は馬賊の将軍だから少し景気良く飲んで見せたら次々に勧められ、接待だと割り切ってグイグイ飲み続けた。

 そうしたら、女だてらに大した奴だと、お酒で良い気分になっていた馬占山にすっかり気に入られてしまっていた。

 しかも寝落ちもなし、二日酔いもなしで、朝起きたらケロっとしていた。

 虎三郎一家は鳳の一族の中でも酒に強い方らしいけど、人は見かけによらないものだという良い見本だった。


 そして馬占山も酔い潰して二日酔いにさせたので、翌日からはいよいよ二度目の北満州油田での油田探しだ。



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哈爾濱ヤマトホテル:

旧東清鉄道ホテル。ロシア帝国が建設。

1937年から哈爾濱ヤマトホテルとなる。

建物は現存。ホテルとしても営業中。



馬占山 (ば せんざん):

満州北部の馬賊。史実では、中華民国、満州国の軍人。

日本軍と戦い続け、馬賊時代の経験を生かしたゲリラ戦を得意として、「東洋のナポレオン」の異名をとった。

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